ルーファ・オーデルンの手記

SFファンタジー中篇
著 岩倉 義人

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12 探検の追記

その後、神官殿の試みがうまくいかれたというのは、言うまでもないことですが、その時、私の持ち帰った大きな、2個の結晶石はそれぞれ、腐首裂結石、心凍裂石などと、神官殿が、私の話を聞いて名付けられました。核熱鉄器の黒い血石には、小さい結晶で十分だったので、それらは博物館の中に展示され、使われるときを待っているのです。もしよろしければ、今度のお休みにでも、御覧になってみて下さい。その妖気は、神官博物師によって、しっかりと防がれているはずですので。
 私のこの文章の目的といいますのは、ジスや他国の方々に私のして参りました、探険を通じて、辺境の普通は人の立ち入れないような、恐ろしい自然のことに、心を飛ばして頂きたく思い、そして、それのみでなく、なんらかの楽しみへとなってくれれば嬉しく思います。
 そして最後に、この旅を通して心に浮かんできた考えを書き残しておこうと思います。
私は旅を終えた後、なぜ私はダグラント砂漠の境目の穴の中で、たとえ幻覚に犯されていたとはいえ、自らの半分腐った首を持ち上げて、口づけをしたのでしょうか、ということが、私の中で、どう仕様もないほど、私を悩ませてなりませんでした。
 屍に口づけをして、自らの死を受け入れたのでしょうか。それならば、なぜ、私はあの時、自分で自分の喉を締め殺すでもしてシファーのように、ならなかったのでしょうか。
ダグランド砂漠を旅して私どもは、その魔気のようなものにより攻めさいなまれ続けてきました。そして、なぜ魔気は命のあるものだけに影響を与え、狂わそうとしてくるのでしょうか。やはり、生命とは正反対の性質があるに違いありません。私は、その魔気の中心ともいえる、黒い川に、身を進んで投じたのです。私は単に、本当のところ、死のうとしただけなのでしょう。私は命の火輪を嫌い、その火をただ、凍り付かせてしまおうと考えたのです。
しかしそれは完全に物質になって死のうとしたのではなく、命の火輪のくびきから抜け出してみたいという賭だったのです。
 そう、あの時の怖気のする毒霧のような陶酔を思い返したり致しました。