ルーファ・オーデルンの手記

SFファンタジー中篇
著 岩倉 義人

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5 シファーの失踪

朝に呼びに来られて、驚いて神童子たちの寝床に行ってみますと、ミグル一人だけが素裸で仰向けになって寝ていました。そして、その胸には毒のナイフが十字架のように深々と、突き立っておりました。その周りのシーツにはどろどろとした、汚らしいほどの黒い血糊が染みついていました。しかし、その腐ったフナのような口の中から、時折、はっきりと、きしるような風の通る音が簡こえて参りましたので、まだ息のあることは確かでした。
「ステファン君、人工皮膚と血皇石を酸に溶かしたものを注射器に入れて、急いで持ってきてくれ。」
ミグルの胸に刺さっているのが毒のナイフだったので、それが返って良かったのでしょう、犯人はその方が確実に殺せると踏んだのでしょうが、よほど慌てたのか、興奮しすぎたのか知りませんが、ナイフは心臟を外れて、肺と心臓の隙間に丁度ぴったりと、刺さっておりました。そして、ナイフの毒が全身を巡り、麻酔をかけたのと同じ事になって、出血がある程度おさえられて、血が流れ落ちて死ぬまでの時間が少し延びたのだと思います。また、もし、毒のナイフが刺さって麻痺していなければ、ミグルはのたうち回って苦しがり、その結果、彼の心臟も肺も両方とも破けて、死んでしまっていたでしょう。
人工皮膚 数千年前にゲル地方で発生した人の皮を持つ豚の皮膚を乾燥させたもの。ゲル地方では動物や人に対する魔加工が盛んに行われたとされる。人皮豚はジス国の薬魔学研究所の中庭で養殖に成功されている。この皮をルーファはこの場合は、止血に使おうとしている。
血皇石は人工血液の材料であり、血液型に関係なく使うことができる。
 そうやって、私がなんとかしてミグルを生き廷びさせようとしていますと、神童子の一人のチアが怯えきった表情で、痩せぎすの体を震わせながら、申しました。
「ルーファ隊長、シファーがいません。」
たしかに、周りを見回してみても、シファーの姿はありませんでした。状況から見て、彼がミグルを殺そうとしたのは、ほぼ、間違いありませんでしたので、ミグルの出血の量から推測すると、シファーが逃げ出してから、優に一時間は過ぎておりました。しかし、驚いたことに彼は、自分の荷物も食料も、そして、神官殿から譲り受けたマントさえも置いて出ていってしまっていたのでした。
 ミグルを刺して、裸に剥くまでは彼はある程度、冷静さを保っていたのでしょうが、その後、私たちにはとても分かろうとも思えない理由で狂乱してしまったのか、それとも耐えられない程の自己嫌悪におちいって、死のうと思って、30分後にはマントを着ていても精神が引き千切れそうになる程の灼熱になる砂漠のなかに逃げ出したのか、知る由もありませんでしたが、ただ、すでにシファーが死んでいるであろうという事だけは、確かでした。
私は、ミグルの傷の手当てで手一杯でしたので、とても、彼の捜索の指揮をすることなど、出来そうにありませんでした。
 そして、手や服を血まみれにしながら、ミグルの胸の傷をもう一度、輸血をしながら切り開けて、傷の深さを確かめようをしていますと、隊に同行していたミュール氏が、左手でその白い口髭をひねくりながら、
「ミグルのことは任せたから、そろそろシファーの奴の死体を見つけてくるよ。」
と言ってくれましたので、彼に捜索隊の指揮を任せることにしました。
ミュール氏は「やれやれ、いちいち面倒臭いことをしでかしてくれるわい。」
とでも言いたげな面持ちで、目を擦りながらマントを着込み、神童子たちと共に、外に出て行きました。天幕の外の気温は、神官のマントを着ていなければ、即座に丸焼けになって死ぬほどのものにすでになっていました。明け方のほんの一瞬の時間のみ、マントを着なくても外を出歩くことが、可能なのです。
 ミュール氏は砂漠用のかんじきを履いて、歩きながら、内心どこを探して良いのやら、途方に暮れておりました。ちょうど、探し始めた辺りから、私どもの宿営していた場所の付近に、軽い砂嵐が起き始めたのです。
 シファーが逃げ出したと予想される時間の30分後には外は、ほんの少しの間も生きられない、ただ、精神が引き千切れるに任せるしかないほどの灼熱に覆われておりました。
 そのために、ミュール氏はその間にシファーが歩ける距離を、彼は砂漠用のかんじきすら履いていませんでしたから、1キロメートル以内と踏んでおりましたので、最初は神童子たちを天幕を中心として放射状に散開させて、シファーの死体が少しでも顔を覗かしていないか探させておりました。
 しかし、いつまで探しても見つからず、砂嵐も強くなる一方でして、死体はすでに埋もれてしまっているだろうと、ミュール氏は呆然と、気の狂うような砂漠の上空の熱気をいとおしそうに、眺めていたそうです。そして、
「今回の旅は吐き気のするようなことが、多いわい。」
と、誰にも聞こえないような声で眩いたそうです。
 それから、昼ごろになって、私はなんとかミグルの傷を縫い合わせて、うまく彼を生き延びさせる事が出来て、ほっとしてステファンとお茶を飲みながら遅い食事を取り、一服していると、いつもはやかましいほどに騒々しい神童子たちが、皆疲れたような顔をして、黙り込んで天幕の中に戻ってきました。
 一番最後にやっと、ミュール氏が、なにか見えないものでも睨み付けている様な顔付きをしながら、天幕の入り口の幕を勢い良く跳ね上げて入ってきました。そして、ステファンの持っていた飲みかけのお茶を奪うなり、一息で飲み干してしまいましたが、またそのまま、コップを握り締めたまま、黙りこくってしまいました。
「ミグルは助かったよ。なかなか手術も大変だったがね。」
「そうか、それは良かった。しかし、シファーの奴いったいどこへ行きやがったんだ。この砂嵐じゃ絶対に見つからんぞ。」
 そうミュール氏はうめくように咳いて、用意した食事も取らずに、ただ、手にしたままになっている、空のコップの中に目を落とすのみでした。
しばらくして、ステファンが急に顔を赤らめて、興奮した様子で申しました。
「入り口の所に置いている、風砂塵を使ったらどうでしょうか。」
「そうか、それなら、砂を自在に操れるし、シファーがかなり深く埋もれていたとしても、必ず見つかるな。」
と、ミュール氏は、威勢良く立ち上がると、ズボンのお尻についた埃を、軽く2回ほど払い除けてから、うなりながら腰を伸ばしたりしました。
私はそれを見て、ちょっと、笑いながら、
「まだ、少し時間がかかりますよ。なにしろ、あの魔法機械は相当の年代物ですし、一応、出力を強くしても大丈夫かどうか、ステファンに試してもらおうと思います。まあ、とりあえず、砂嵐が続いている間に、食事を済まして一休みでもしましょう。」と申しますと、ミュール氏は、白い口髭の先をねじって筆のような形にして遊びながら、「そうじゃった。そうじやった。」
と、再び腰を下ろし、その丈夫そうな歯で、茄で戻した鳥の乾燥モモ肉を頬張っておりました。
 他の神童子たちも、辛い事の連続で疲れ果てたのか、こわばった顔をして、少しずつ食事を口に運ぶ者や、そんな事は余り気にならないのか、すでに食べ終えて、昼寝と決め込んでいびきを立てている者もおりました。
 すると、胸を縫ったばかりのミグルが、毒のナイフの麻酔が切れたのでしょう、寝床からむくりと起きだして、呆然と毛布の上にあぐらをかいておりました。
「調子はどうだね。胸の傷は痛むだろうが、しばらくすればちゃんと治るよ。
まあ、ゆっくりと休んでいればいいから。」
私が声を掛けますと、ミグルはそのことがまったく聞こえないような素振りをしながら、
「俺に一体何があったんだ。そうか、あの黄色な筋をした、俺の中に巣くっていた美しい化け物が、俺の胸の傷から抜け出して行ったんだな。」
と、まるで夢でも見ているような調子で眩くのでした。そして、その黄色い化け物を、見えるはずもない空中に目を漂わせていましたが、いきなり私を鋭い目付きをして睨み付けるなり、
「俺を刺したのは誰ですか。ルーファ隊長、はっきりと言って下さい。」
そう、激しく詰め寄るものですから、
「君を刺し殺そうとしたのは、シファー君だよ。もっとも彼はもう、昼間の砂漠に飛び出して自殺してしまったがね。死体は明日には見つかると思うよ。」
 と、何の躊躇もなく、はっきりと答えてしまいました。すると、ミグルは急に落胆した様な、そして何かほっとしたかの様に、浅くため息をついたかと思うと、「そうですか。」と少し笑みさえ浮かべている様な面持ちで、崩れ倒れて横になり、そのまま、また深く寝入ってしまいまいました。
 私はチアやステファンとしばらく何も言わずに目を、合わせておりましたが、私が、
「もう一杯、お茶でも飲もうか。」
と、催促したものですから、チアが紅茶をぎこちないような緩慢な動作をしながら、入れ直してくれたので、皆でもう一杯ずつ、濃い山羊の乳を入れたお茶を飲むことにいたしました。
 その後、しばらくして、私とステファンは風砂塵の整備を始めましたが、どこの砂をどのように動かすのかという命令文を風砂塵に打ち込まねばなりませんでした。その命令文といいますのが、古代ルシャワール言語の特別な用法しか機械が受け付けませんでしたので、非常に苦労いたしました。
やっと、整備が終わったころには、日も落ちそうな時刻になっておりましたので、シファーを探すのは、明日ということにしました。