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一章 偽りの火
クリストル・ランフォが明け方に目を覚ますと、自分の口元が濡れているのに気が付いた。なぜだろうか? 手を薄暗がりの光の中にかざすと赤く濡れていた。彼にはそれが血の色であることが分かるのにしばらくの時間が必要だった。
そして、何が血を流させたのか思い出すにつれ、言いようのない怒りの塊が胸の奥から湧き上がってきた。
「そうだ。あいつだ。あいつのせいだ。
あの醜いゴーレムのせいで俺は死にそうになったんだ。」
野獣の魔法使いと呼ばれる、クリストル・ランフォはその名前の由縁となった背中に生えた銀の毛をぎしぎし言わせながらベッドから起き上がった。
すると、立ち上がったまま、指をある特殊な形に組み合わせると、目を閉じた。そうして彼は自分の中にある精神の器を覗き込んでいった。器の中にはいくつかの奇妙な形の火の玉や彼の今までの記憶をしまいこんだ小さな宝玉があった。そして、いくらかたまった埃の山の中を手で探るとやっと目指しているものを見つけた。
それが、彼がゲマシテル・ラゴと名付けたゴーレムの仮の魂の火の種だった。その火があるからこそ、魔法使いは自分の作ったゴーレムを制御出来るのだ。
ランフォは目の前に揺れる、その小さな青い火をいとおしそうに眺めていた。今、自分がその火を吹き消してしまったなら、ゴーレムは元の材料のただの牛の糞と白土の山に戻ってしまうだろう。
「本当に馬鹿な奴だ。
この小屋からどんなに遠くに逃げたって、奴の魂は俺の精神の器の中で飼われているんだから、そこから逃げ出せるはずなどないことなど、分かりきったことなのに。
それに俺の精神の器から出してしまうだけで、奴の偽りの魂はかき消えてしまうだろう。」
ランフォの目の前にあの薄暗い表情をしたゴーレムの顔が浮かんだ。もうすでに怒りなど感じてはいなかったが、彼を許すわけにはいかなかった。
「裏切り者には死を、魂の醜きものには破滅を。」こんな陳腐な言い回しをまた使う日が来るなどとランフォは夢にも思っていなかった。あの時と同じように。もっとも、その時は自分の意思でその言葉を呟いたわけではなかったのだが。
ランフォは胸の高さまでその火の玉を持ち上げると、そっと手を離した。そして、それは地面に触れるか触れないかまで落ちる間に静かに消えてしまった。もう一度てのひらの上に乗せたいと思った瞬間にはゴーレムは死んでいた。
まるで、始めからそんな魂などこの世に存在していなかったかのようなあっけなさだった。これで、奴は死んだ。いや、本当に死んだと言えるのだろうか?
偽りの生命に偽物の死。
今奴はどこかで、糞と土の山に戻っているだろう、苦痛や後悔さえ感じる暇さえなかったに違いなかった。旅人がそれを見たって、さっきまで生きて動いていたなんて想像も出来ないはずだ。
クリストル・ランフォは何度か激しく咳き込むと、つばを床に吐き出した。つばのぬらぬら光る中に、白いかけらを見つけた。手に取るとそれはするどく尖っていた。多分、蛇か何かの毒のある生物の歯だろう。これが奴の仕込んだ毒の正体か、あいつは俺がカモの肉を食っている最中に俺が苦しみだしたのを見て、こう言った。
「苦しみやがれ。偽物の魔法使いめ!
いつも俺が旨い肉をお前に持ってきてやるなんて、えらい勘違いだ。
お前のところにいるぐらいなら、死んで糞の山に戻った方がずっとましだ。」
そう叫んで、ゴーレムは部屋の戸を蹴破ると飛び出して行った。ランフォはすぐにでも追いかけてゴーレムを殺そうと思ったが体が思うように動かなかった。彼は急いで、自分に解毒の呪文を唱えると、すぐにベッドに倒れこんでしまったのだ。そして、彼が目を覚ましたのがついさっきという訳だった。
ランフォは自分の精神の器の中に耳を澄まし、ゴーレムの吐息が完全に消えたのをもう一度確認すると、またベッドの中に崩れ落ちてしまった。布団の柔らかな感じに安堵感を覚えながら彼は決心した。こんどこそ、もうちょっとましなゴーレムを作ってやろう。
それには、もっと良い材料が必要だ。牛の糞なんかではなく、すばらしい竜の糞さえあれば、俺にだって未来が開けてくるはずだ。
そこまで考えると、この前彼が変装して小さな町に潜り込んだ時に聞いたうわさを思い出した。ケサリーの町でまた竜が出始めたらしい。その竜は三日で数千の住民の魂を食いつくし、姿を消した。近く、王の軍隊が征伐部隊をケサリーに派遣するのが決まったようだ。多分軍隊の魔法使いが罠にでもかけようとしているんじゃないか。
確かそんな内容だった。ランフォはそれを聞いて、なんて阿呆なんだ、しばらくケサリーには近づかないのが一番だと思っていた。しかし、竜が出て、魂を沢山食っているということはそこに行きさえすれば、山ほどの新鮮な竜の糞だって手に入るはずだ。
ランフォは竜なんていう恐ろしい怪物はまっぴら御免だったが、今はそこに向かって行きたいという、馬鹿げた欲求には逆らうことなど出来そうになかった。
すでに彼の心の中ではケサリーに向かって旅を始めていた。安らかな夢の中で。
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