ルーファ・オーデルンの手記

SFファンタジー中篇
著 岩倉 義人

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10 双子のヒビ入り結晶

 そして、次の日からは、ヒビ入り結晶がうまく見つかり始めました。黒い川の妖気のような精神作用にもそろそろ慣れてきたのでしょう。それに、エスモルック石の入った、永遠光ランプの光を結晶体に当てると、共鳴するように青白い光を発することから、冷気の最高度に濃縮しているヒビ入り結晶ならきっと、他よりも強く発光して、その位置が分かるだろうと予想したのでした。
 案の定、黒い川をその光で照らすと、底の方の一点が、恐ろしく白く、空間に穴が開いたのではないかと思ってしまうように、強く存在しているのが見て取れました。
「昨日までの普通の永遠光ランプとは、全く違うな。ステファン君。」
「ええ。これで、やっと、ヒビ入り結晶をすくえますね。」
結晶の一つを、鉄のひしゃくですくい取り、濾過装置に入れて、黒い水と結晶体とを分けるために、小さいが非常に強い火炎の渦を分離器内に引き起こそうとして、念を入れ続けました。そして、うまく濾過が出来たようなので、結晶を吸着剤をつけた針先で拾い上げ、保存容器の中の小さな金属の爪に、しっかりと設置し、太陽型発光球のつまみをひねり、中の空気の温度を高く、一定にしました。
 そして、小型の顕微鏡で保存容器の窓から結晶を覗いてみますと、0・15ミリの砂結晶の少し伸びた形の、灰色がかった半透明の八面体の側面には、糸屑のように細かい、ヒビ割れ目が白く入っていて、その断裂面は時折、ちりちりとした虹色に、微かに輝いておりました。
 私はその様子を眺め、胸の中の青い石が静かに、燃え立っているのを耳の奥で感じ、その顕微鏡から目を離すこともなく申しました。
「これが本当のヒビ入り結晶だよ。ステファン君。これは、生命などには、とうてい持ち得ない純粋な、恐ろしい、光だよ。」
「ええ。とても美しいですね。」
 ステファンも、私と代わって顕微鏡を、うっとりとひざまずき、覗いておりました。
その結晶や黒い川の影響で、その空洞内は零下102度にまで達しておりましたが、そのことや妖気の事など、気にもならずに作業を進めておりました。そして、それから一週間の内にヒビ入り結晶を、98個まで集めることができたのです。
洞窟に潜り始めて、9日に入り私どもは再び黒い川の窟に潜って参りました。そして、いつものように作業を始めたのですが、その時は私とステファンは、150から200メートルほど離れてロープで岸壁に体を固定し、エスモルック石の明かりで辺りを照らしておりました。
ステファンの居る方を、ふと見ますと、蛍のように灯が揺れているのを見て、安ど致しました。そのまま、白く光る結晶をすくい上げては、濾過装置に入れ、覗き穴を見つつ、黒い水と結晶との結合を解こうと魔化学的操作を取り行なっておりました。その顕微鏡中の黒く、どろどろとした水の渦を眺めていると不思議に心が落ち着くような気さえしました。それから顔を上げて黒い川の彼方の、闇の中へと消え行くところを見遺り、白くぎすぎすとした溜め息を尽きますとそれが消え失せるまでは、相当の時間がかかりました。
 私にとって、今回の旅は非常に胸苦しい、吐き気さえするような事がかなり多かったのですが、なんとか、うまくいきそうなので、半分胸を撫でおろしておりました。しかし、私はあの、忌まわしいシファーの死体の腐りかけた吐息のことも思い出しておりました。あの時、私は余りもの恐怖におののいて、おかしくなって、幻をかいま見たのでしょうが、今、考えると、それは戦慄へ誘う甘美さを持っていて、懐かしささえ感じるものでした。

 そして、伏せていた目をもう一度、黒い川の岸の、水と接するところを見ますと、赤く小さな物がなにやら飛び跳ねているのが分かりました。シファーの血に似ているな。その際に流れるのは彼の内臓かな。と、一人で眩いて、なぜか私は黒い川の中に入らずにはいられなくなってしまい、鉄紐を金具から外し川面に足をそっと乗せ、腰の辺りまで沈み込むのを感じました。
 その時、私は余りにも苦痛が強すぎて、何も感じなくなってしまったのか、分かりませんが、ぬるぬるとした中を、祭壇へ向かうように、静かに、押し歩いていきました。そして、しっかりと歩いているにも関わらず、上流から浮き流れてくる赤黒く、てらてらとした、のた打つ内臓は、私自身のものだと確信を持ったのです。私はその、微かに脈打つ心臓をいとおしいように拾い上げ、鎧の隠しの袋の中に包み入れますと、また這いずるようにして進みました。
 それからの事は、よく覚えていないのですが、私は、腐りかけた自分の頭蓋を、手を黒い水にくぐらせて、拾い上げ、その唇に流れる黄色味がかった私の血糊をそっと、舌先ですくい、飲み込んだように思います。その恐ろしい腐敗した、暖かくすべらかな味を楽しみながら、私は、自分の千切れた頭をもう一度、見つめて、むしろ、その姿の方が美しくて、ふさわしいような気がしてなりませんでした。
 それから私は疲れ果ててしまったのか気を失ってしまい、川岸へ身を乗り出すようにして倒れ込んでしまいました。
 しばらくして、目を覚ますと天幕の中で、助け出されたらしく、私は暖かい掛け布にくるまれており、下半身は猛毒の、青縞火とかげの爪に、引っ掻かれたとでもいうように、傷だらけに、火膨れになっており、少しも、身を震わせて、動かすことすら出来ませんでした。
 私を見下ろして、心配そうに、干涸びた蝋のように青白い顔をしている、ステファンを、私が、くすんだ眼で見返すと、
「大丈夫ですか。ルーファ隊長。やっと目を、覚まされましたね。あの時は僕も、恐ろしくびっくりしましたが、隊長の明かりが消えているのを見て、急いで、そちらへ向かったのです。そうしたら、隊長があの、忌まわしい川に腰まで漬かって、岸辺に、倒れられていて、驚いて引っ張り上げたのですよ。それから、ミュールさん達に地上まで、紐で引き上げて貰おうと思ったのですが、鎧にべったりと、黒い川の水が染み込んでいたので、そのまま、上にあがると、隊長が火だるまになってしまいますので、本当に困りましたよ。しかたがありませんので、一度地上に登って、皆と相談したのですが、僕が、短時間しか持ちませんが、一番強い魔防護をかけているうちに、神官のマントを3着、重ねたものに着替えさせて、上に引き上げて貰いました。普通ならそんな事をしたら、妖気にやられて、気が狂ってしまうでしょうけど、隊長はその時、気を失われていたのでね。」
「ああ。すまなかったな、ステファン。それで、黒皮鎧は河辺に置いて来たのかね。できれば明日にでも、鎧の隠しの袋を調べでくれないか。」
そう言われてステファンは少し、当惑したように眉をひそめておりましたが、静かに頷いてくれました、
次の日からは、私の傷が治り、黒皮鎧の洗浄が済むまでは、魔化学の知識があるのは私の他には、ステファンしかおりませんので、彼一人で地下に潜ることになっておりました。
しかし、朝に潜ってから、2時間もたたないうちに、地上に戻る合図を告げてきましたので、皆で、何かまたあったのかと、咳き合っておりました。
するとステファンは、恐ろしい勢いで、鎧を脱ぎ捨て、天幕の中に入ってきました。手には二つの結晶の保存容器が握られていて、寝床にいる私の目の前に立つなり、うわずった声で、
「隊長、これを見て下さい。」
と、容器を突き出してきました。
私はおののきつつ、それを覗き込むと、今までの結晶体は、顕微鏡を通さないと見ることもできないようなものでしたが、その2個の砂結晶体は、人差し指ぐらいの大きさのある、考えられないほど巨大な、薄灰色をした塊でした。私が取り付かれたように、それを見ていますと、
「ルーファ隊長の鎧の隠しの袋から出てきたのです。」
と、ステファンは頬を紅潮させながら申しました。
私は誰にも聞こえないように、
「やはり、そうだったのか。あれが命の火輪の可能性だったのか。どおりで。この石は、醜いほど巨大だな。」
と、眩くのが精一杯でした。
一方は7・5センチ、もう片方は9・1センチにも及ぶ、これらのヒビ入り結晶は、ぎりぎりで、保存容器の中に収まっていましたが、チアが工夫してくれて、予備の発光球を五つ取り付けられるようにしてくれました。
その中にある冷気の力は、ステファンが調べてくれたところによりますと、普通の大きさの砂結晶の1000倍以上と分かり、大きいほうは2000倍ほどの力を持っているようでした。その冷気をすべて一度に取り出したならば地球の芯までを凍らせることができそうな程のものでした。
これほどまでに強い、気の狂わせる力もこの上なく持つ、結晶を手にいれたのですから、もう、小さな砂結晶を探す必要も、とうに無くなってしまいましたので、縦穴の底の黒い川の岸にある、黒皮鎧を回収した後に、一日休んでから、都に戻ることにしました。