ゲマシテル・ラゴ
ゲマシテル・ラゴは待っていた。すでに彼の手、特に指先にはカマンクスの羽根がこびりついていた。
彼の指は一分前にはカマンクスの肉を引き裂いていたのに、今度は愛撫することを望んでいる、指の一本一本が。
しかし、それも今はお預けだった。
すでに真夜中近くだった。
もうすぐ、クーマ・イストル・ファ・クムが川底から浮かび上がってくる。
暗闇から浮かび上がるその手には、赤い大蛇が握られているのを、ゲマシテル・ラゴはまざまざと見た気がした。まだ見ぬ幻の中に。
「蛇のうろこの一枚さえ手に入れば。」
彼はいつの間にか悔しそうにつぶやいていた。
その一枚さえあれば、ガマスル・ファグの町に自分だって堂々と入ることが出来る。つまり、クリストル・ランフォの野獣の背中を毎晩撫でつける必要がなくなるというわけだ。町に行けさえすれば、水に浸かっても溶けない体が手に入るかもしれない。
彼は白くて埃っぽい、土くれで出来た自分の体をしばらくの間、無関心な表情を浮かべながら、眺めていた。彼は白土巨人なのだ。クリストル・ランフォがかつて彼を作ったらしい、数十年前に。
その時ランフォは治水工事の時に掘り出されて、道端に山のように積まれていた白土を夜中にこっそり出かけていって、手押し車に積み込むと、そそくさと立ち去った。
それから、次の日から、彼は何を思ったのか、牧場の羊番に金をやって、新鮮な牛の糞をそれこそ山のように集めさせた。クリストル・ランフォは気違いの魔法使いで通っていたから、なにをしたって無視されていたのだ。
また、彼は野獣の魔法使いとも言われていた。彼の体にはなぜか銀色の針のような毛がたくさん生えていたからだ。その毛の本当の効用は彼しか知らなかった。早朝にその毛に付く朝露の中に、得がたい魔法力が込められているのだ。それがなかったら、彼はとっくのとうに干からびて死んでしまっていただろう。もし彼がガマスル・ファグの町に居さえすればそんな毛は必要なかったはずだったのだが。
クリストル・ランフォはうつろな目をして、家中に散乱して悪臭を放つ、牛の糞の山を見つめた。異臭防御の魔法ぐらいなら、いくら野獣の魔法使いだって使える。匂いに悩まされることはなかった。だが、彼はいらだたしそうに一すくいそれを握り締めると、壁に向かって投げつけた。そんなことをして、彼の自慢の実験室がめちゃくちゃだったがそんなことはもうどうでもよかったのだろう。ただ、自分がかつて糞と同じように町からはじき出されたのを思い出しただけだったのだ。
そして、一週間それを干した後、彼は牛の糞と白土を一生懸命こね始めた。こねながら彼は自分の今までの憎しみとありったけの魔法力をそれに練りこんでいった。出来上がったのが、ゲマシテル・ラゴ(白糞の巨人)というわけだ。
ゲマシテルは目の前に沈む、暗い沼を眺めながら、自分がせめて、牛の糞でなく、竜の糞で出来ていたなら、水の中に浸かったって大丈夫だっただろう、それに泳ぐことだって出来たかも知れないと、思っていた。あの、クーマ・イストル・ファ・クムと同じように。
しかし、まず、クリストル・ランフォの野獣の背中の毛の一本一本が自分の心の襞を刺し貫いているのをなんとかしなくてはいけない。すべて、クーマの持つ蛇の魔法力を奪うことが出来さえすればどうにでもなると、彼は確信していた。赤い大蛇のうろこがありさえすれば。
そうこう思いを馳せるうち、ゲマシテルが身をひそめる沼のほとりの水の中から、クーマ・イストル・ファ・クムの歌声が聞こえてきた。
それはレイノータルスの赤き霜の事を歌っていた。
「レイノータルス、見ず、これから来て、アクイムーズの舌の中へ・・」
とてもきれいな歌声だった。その昔レイノータルスという魔法使いが自分の血を霜に変えてアクイムーズの大竜の口の中に忍び込んでそれを殺したという、有名な話の一節だ。
ゲマシテルはもっと聴いていたかったが、急に歌声は止んでしまった。なぜなのだろうか?と彼は自分の手を見ると、彼女の細い首があった。いつの間にか彼女を締め付けてしたのだ。
クーマの体は空気を欲しがって、しばらくのあいだ痙攣していたが、それも止むと、水の中に彼女の白い体がゆらゆらゆれているのが見えた。
「そうだ、蛇はどこに行った?俺はそれが欲しかったのに。」
彼女の沈み込んだ、腕の片方には赤くて太い紐のようなものがぐるぐる巻いてあった。その尻尾の先をいまだに彼女の指先が握り締めているようだった。ゲマシテルは首を締め付けている力を緩めないように気を付けながら、彼女の体を引き上げにかかった。そして、やっと蛇が水から顔を覗かせたときに、彼女の指の力が緩んだ。蛇はするりと、とぐろを解くとゲマシテルの腕に深く噛み付いてきた。
ゲマシテルはその余りの痛さに気を失いそうになったが、硬く握りこぶしを作ると、蛇の頭をすばやく何度も殴りつけた。すると、意外にも蛇の頭はくしゃっと小さな音を立てて、卵の殻のようにはじけてしまった。
これでうろこが手に入るはずだ。
ゲマシテルは狂喜のうなり声をあげて、蛇をつかもうとしたが、それはなぜかすばしこく沼の中に逃げ込んだ。頭をすでにつぶされているのにも関わらず。
クーマ・イストル・ファ・クムが息を吹き返したのに違いがなかった。彼女は一瞬で蛇の尻尾をつかむと、一声奇声を発して、すぐに沼の底へと姿を消してしまった。
また彼女の白い体を見れるのは何ヶ月も先のことになるだろう。ゲマシテルは絶望に打ちひしがれながら、自分の腕に刺さったままになっている、蛇の四本の牙をぼんやりと眺めた。それは頭を潰したときに抜け落ちてしまったのだろう。
牙だけでなく、うろこも残っていればどんなに良かっただろう。もし、蛇のうろこがなければ、ガマスル・ファグの門番は一瞬で彼を射殺しようとするだろう。実際何度も、そうやって殺されかけてきた。うろこはファ・クム(町の人)の証明になるのだ。
「あの蛇と同じようにクーマの頭も潰しておけば良かった。」
でも、そうしたら、あの歌声も聴けなくなる。それはゲマシテルにとって最も耐え難いことだった。
ゲマシテルは自分の腕にささったままになっている蛇の毒で、死んでしまうぐらい自分が敏感であったなら、少しはましだったのではないかと思ったが、それもしかたがないことだった。彼はどんなに低級であったとしても、白土巨人であることには変わりがないからだ。
もう、クリストル・ランフォの野獣の元に帰らねばならないのを、傾きかけた月が知らせていた。彼は自分の腕にささった牙を引き抜くと、それを、クリストルの餌になるカマンクスのぐったりした首の根元に埋め込んだ。
そんなもので、クリストルが死ぬはずがないのはゲマシテルは百も承知だったが、たまには毒入りの肉を奴にくれてやるのもわるくないと思ったのかもしれない。
それが終わったら、今度は愛撫の時間だ。その何百本も生えた銀の針の毛の鋭さを思うと、ゲマシテルは何度も身震いせずにはいられなかった。
登場人物と舞台
ゲマシテル・ラゴ:白亜土の男:水に浸かると溶けてしまう。
カマンクス:カモの一種。赤い毛のない顔、白い羽根の輪が胸のところにある。水中に卵を産む
クーマ・イストル・ファ・クム:町の住人。たまに町の外の沼に遊びに出たり、カマンクスの卵を取りに来たりする。
ガマスル・ファグ:西部に点在する、青い光都市の一つ。強い魔法力を持つ赤い蛇、またそのうろこが通行証代わりになっている。
クリストル・ランフォ:野獣の魔法使い。牛の糞と白土からゲマシテルを作った。カマンクスの姿焼きが好物。料理は得意らしい。というより、ゲマシテルはろくな料理が出来ないのでしかたなく、自分で作る。
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