7 幻の女の子
リナクリーの死体は岸辺に打ち上げられていた。どう考えても前にはそんなものはなかったはずなのに。その水晶のように光る半透明の巨大な塊は腐ることがないのかほとんど臭いを発していなかった。
だが、その微かな臭いさえラカにはうれしかった。彼女はリナクリーのぐったりした首の近くにうずくまると目をつぶった。まるで添い寝でもしているように。
「よかった。リナクリー、もう一度会えて。
これでやっと私の渡したかったものを渡せる。それは私の魂。」
こんなことになってもリナクリーは全く怒っていなかったようだ。その死に顔の安らかな表情を見ているとそう思えてならなかった。ラカはそのごつごつしたリナクリーの角の一本一本をやさしく触れていった。そんな風に彼女に直接触れたのは初めてだった。
彼女はずっと氷の中に閉じ込められていたのだから。
「ごめんね。リナクリー。私たちが馬鹿だった。
あなたのことを痛めつけて生き延びてきたのは私たち。
あなたはちゃんと私たちが生きていけるように見つめてくれていただけだよね。
それなのに私たちはあなたのことを裏切った。あなたの力を利用して醜いことしかしなかった。
だから私たちは狂ってしまった。それで私たちは自分自身が生きてることに耐えられなくなってしまった。だけど、私たちは自分のことを無くすことができなかった。
だからあなたは私たちが消え去るのを許してくれたんだよね。
私たちの中のあなたの力を捨て去ることを許すことで。
あなたが殺されるのを許すことで。」
そのあとラカの口について出た言葉はそれまでの優しさと正反対だった。
「でも私はあなたを許さない。
どうしてこうなることを教えてくれなかったの。
教えてくれさえすれば、どうにかすることが出来たかもしれないのに。」
彼女の心の中は激しい怒りで満たされていた。本当は教えられても何も出来ないことが分かっていたからなおさらだった。彼女は腰のベルトにまだ小さなナイフがぶら下がっていることに気がついた。
彼女はそれをベルトからむしりとるとリナクリーの腹に突き立てた。
水晶のような肌は意外にもやわらかだった。逆にほんの少ししか力を入れていなかったのに割れ目はひとりでにぐんぐん広がっていった。
リナクリーの腹の割れ目から真っ白な光が漏れ始めた。それは町の中を覆っていた光と同じ色をしていた。その光の中で全ての人は息絶えたのだ。ラカは少しだけ息を吸い込むとその光の中に進んだ。光に包まれた瞬間、恐ろしい痛みを感じた。
でもしばらくしてその痛みも止んでしまった。
ラカはやっと今度は死ねると思って深く安心した。
だが、彼女の耳元でささやく声がした。
「起きてラカ。
私はケリーノ・リナクリー。
あなたはわたしのなかのあなた。
わたしはあなたのなかのわたし。」
ラカが痛んだ体を起こすと目の前には小さな女の子が立っていた。
女の子はやさしそうに少し笑うとラカの体を静かに抱きしめた。
そこは光に満ちた部屋の中だった。天井を見上げても壁との境目がなかったから広いのか狭いのかよく分からなかった。
ラカはリナクリーに言う言葉が思いつかなかった。だから、彼女は自分の腕に爪を立ててつかんで耐えなければならなかった。そうしなければリナクリーに全てを奪われてしまうだろう。腰に付けていたナイフはどこかに消えてしまっていた。
リナクリーを刺し殺すことはあきらめなければならなかった。別にいいさ。首の骨を折って殺せばいい。ラカはそのか弱い女の子の首の骨が砕ける音を想像して身震いした。さぞかし良い音だろう。
ラカはもう一度起き直ると自分を抱きしめたままの女の子の目をもう一度覗き込んだ。それは確かに竜のリナクリーと同じ色をしていた。
緑色の宝石のように輝いていた。その中に人間たちは閉じ込められていた。そしてそれを破壊しようとしたから消滅させられたんだ。ラカにはやっとはっきり分かった。
リナクリーの瞳を破壊することは人間を破壊することと全く同じだったことが。
それならば、どうせ消えるならもう一度幻のリナクリーの目玉を潰して全てを終わりにしよう。死ぬのはそのあとでも遅くない。そうラカは決心した。
だが、リナクリーはそんなラカをうっとりと見つめながら言った。
「聞いてラカ。
私はあなたそのものだし、あなたは私そのもの。
それをあなたは忘れてしまった。
だからタミフーバルの魔法使いたちはここから去ってしまった。
あなたとわたしはつなぎとめるための鎖だったの。
でも鎖は絆でもある。
もう一度あなたが私になれば全ては変わる。
全ては始まるの。
だから行きましょう。
もう一度あそこへ。
暖かい氷の湖の中へ。」
リナクリーはラカの手をそっと握った。
そうしているとラカの耳に微かに聞こえてきた。元の世界へと近づく人間たちの足音が。
それを聞いてラカは良かったと思った。
彼らが戻ったときには自分はまた氷の中に閉じ込められるのが怖かった。
それでももう迷うことはなかった。彼らの足音がとても暖かだったから。
「魔法国消滅」 終わり