2 グ・セルマルグの赤い銃
ラカはタミフーバルの東の外れにある、ねじくれた金属の塔の中にいた。たった一人で。暗闇の螺旋階段の中で彼女はこれからなにが最上階で行われるか分かっていた。だが、それに逆らう気はとうになくなっていた。
氷の湖に住んでいた竜、リナクリーが死んでからすでに一月は経っていた。
その間に一体何が起こったというのだろう? それは夢の中の内容を思い出そうとするときにとても似ていた。いえるのは夢の最初の方はいい夢だったけど、最後には悪夢になってしまったということだけだった。
ラカの心の中に浮かんできたのは、真っ黒な羽根をした兵士たちの群れだった。黒い水晶で出来た彼らの剣の先には切り落とされたばかりの赤子の手が突き刺されていた。それは灯台のように辺りを真っ赤な光で濡らしていたことをラカは思い出した。
彼女たちにはもうそんな異界の生き物を追い払う力は残されていなかった。だから、塔の中に隠れて彼らが去るのを待つことしか出来なかった。
誰かが彼らを呼び出したのに違いなかった。しかし、魔法の力が存在しないのになぜそんなことが出来るのだろう。誰にもその理由はよく分からなかった。
次に思い浮かんだのは、魔術師の評議会の副議長の白い顔に浮かべられたやさしい微笑だった。彼はラカがタミフーバルの女王になってからも何度も役に立つ助言をしてくれたりしていた。だからとても彼の事を信頼していた。
魔法の力を全て捨てた今になってもそれが続くと信じていた。
しかしそれも彼がラカだけにもらした静かな告白によって打ち破られてしまった。
「私が黒い羽根の怪物たちを呼び出して殺させた。」という告白によって。
驚いたのは怪物たちの被害者になっていたのが、副議長自身の家族だということだった。
「なぜ、そんなことしたの?」とラカが聞くと彼は答えた。
「全てはあなたのためにしたことだ。あなたの中の力を使って私は彼らを呼び出して殺させた。」
彼はその証拠にガラス瓶に入れられたガーマイースルの悪魔の羽根をポケットから取り出し、彼女に渡したのだった。
あとは奇妙なよく分からない事件が何度も起こった。それもこの国に存在しないはずの竜の力を使ったものだった。
最高評議会の男たちは何日も悩んだ挙げ句、次の結論を導き出した。
「なぜ竜の力が残っているのか?
なぜ消されたはずの悪しき魔法の力がこの国に残っているのか?
それはたった一つのことを原因にしている。
それは魔法力の源が未だ破壊されていないからだ。
それは女王のリナクリーを思う気持ちを原因としている。
その気持ちが未だ竜の力を生き残らせているのだ。
悪しき竜の力を破壊しなければ私たちは生き延びることができないだろう。」
会議場でそう宣告されたときの空ろな響きが彼女の耳の中に蘇ってきた。
そんなふうに言われたって一体どうすればいいというのだろう。
竜を思う気持ちを捨てました。と宣言すれば良いのだろうか。そんな単純なことで済むのなら何度だって言ってやっただろう。
しかし、ラカにはどうすることも出来なかった。出来ることで残されているのはたった一つだけだった。
そんな時彼女の自宅に一通の封書が届いた。それは真っ黒な封筒に銀色な文字で宛名が書かれていた。裏を見ても誰の名前も書かれていなかった。だが、彼女にはそれが誰によって書かれたかすぐに分かった。
中にはただ一文だけ、「二日後にコードメールの塔に来い」とだけ書かれていた。
そこに行くと彼はラカが望んでいるものを与えてくれる気がした。
正直その手紙をくれた男とは二度と会うことはないと思っていたのだが。
彼が魔術師の最高評議会を抜けたのは半年以上も前の事だった。
しかし、そこに行きたい欲求をラカは抑えることが出来そうになかった。
そして彼女は今、その暗い塔の中にいた。
白い息を吐きながらやっと階段を登りきるとたった一つだけ窓があった。窓の外には銀色をした霧がかかっていて、遠くにある暗い森の上をうっすらと覆っていた。
最上階の部屋のドアは複雑に入り組んだ金属で出来ていた。その重厚な雰囲気は触れただけで手の皮膚が切れてしまいそうな気さえした。
彼女は少しの間だけ目をつぶって息を整えてから、ノックもせずにそのドアを乱暴に開いた。その重たい開かれていく音が自分の聞く最後の音になるのではないかしら。と思いながら。
中の部屋には緑色のタイルが敷き詰められていて、不思議な光で満たされていた。何本ものらせん状の金属の柱が列をなして立っていた。そこに映る自分の姿を眺めながら、彼女はそっと進んだ。
部屋の一番奥の薄暗いところに一人の男が立っていた。
「グ・セルマルグ。やっぱりあなたはここにいたのね。
最後に会えてよかった。」
彼は風変わりなドレープの入った真っ黒な服を着て、すそは床に達していた。それは魔術師の最高評議会の衣装だった。グ・セルマルグは評議会の会長をつい半年前まで長年続けてきていた。まだ、タミフーバルにケリーノ・リナクリーの魔法があるとき彼は良くその力を使って、町から100キロ離れたところから入ろうとしている侵入者の魂をそれこそ手のひらのトマトを潰すようにして簡単に殺したものだった。
彼はそんな作業を心から楽しんでいたのだろう。そんなことはもっと下の者にまかせておくことも出来たのだが。
グ・セルマルグは皺だらけの顔を無理にゆがめて笑い顔を作ってみせた。
「ラカ。なに言ってるんだ。最後だなんて。
ただ、リナクリーが死んで全てが終わったはずだった。
私たちの魂の中にある悪い要素は永遠に追放されてしまったんだよ。
君の中だけを除いて。
ただ私は君の決心を見せてもらいたいだけなんだ。
そのための装置を私は用意してみた。」
男は机の上にある立方体の銀色の箱をそっと開けた。ラカはその手つきをみて彼がかつて自分の体を触れていたときの感覚を思い出して吐き気がした。しかしそれももう終わりだ。中から彼女の待ち望んでいたものが取り出された。
それは真っ赤に光るリボルバー式の拳銃だった。まるで私の心臓にそっくりな色。なかなか気の利いたプレゼントじゃない。彼女はそう思ってうっすら微笑んでいた。
その表情を見てグ・セルマルグはとても嫌なものを思いがけず見たときにする顔つきをした。多分無意識にそうしたのだろう。しかしそんなことでさえとてもいとおしく感じた。
「何かおかしいかしら。
あなたは笑い出しそうね。
あなたの言いたいことはわかる。その銃を私に撃ち込むことによって私のリナクリーに対する気持ちを全て殺してしまおうとしてるのよね。」
グ・セルマルグはとても穏やかな表情をしながら銃を箱から取り出すと彼女に渡した。それから銃口を静かに触って自分の胸の方に向けさせた。
「私のことを撃て。ラカ。
君の代わりに私が死ぬよ。
そうすれば全てよくなる。君の中の恐ろしいものはもとの闇の中に返される。
いや、光の中だろうか。リナクリーは光の属性だろうから。
君が決心さえしてくれればタミフーバルの全ての者は生き延びることが出来る。
私の中にわずかに残された力を使って、リナクリーを追放しよう。」
ラカはそれを聞いても何の感情も動かされなかった。
彼女は左の手のひらを机の上に置くと手の甲にぴったりと銃口を押し付けた。男に静かにキスされたときの感触と似てるな。とうっすらと感じながら彼女は引き金を引いた。
激しい音がしたはずなのに彼女には全く感じ取れなかった。
ただ、ラカは自分の手のひらに開いた穴から流れ落ちる血を見ながらなんて綺麗なんだろうと驚いていた。それはオレンジ色に輝いていた。しばらくすれば心臓が止まるだろう。最後にみるものがそれでとてもよかったと思った。ずっと見ていたかったがそれは適わない願いだった。これでリナクリーは完全に死ぬだろう。
しかし、私たちは生き延びるだろう。私をたった一人だけを除いて。