アーハ・ハーガラの魔法野菜の庭園 ファンタジー小説 : 著 岩倉義人

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1 畑に住む毒殺者

 天を見上げるような城壁に囲まれた魔法都市、ガマスル・ファグの中心の塔に登ったことはあるだろうか。そこの天辺にまで登りつめれば、息を飲む光景が見られるだろう。地平線近くには、神の国を思わせる雲が沸き、その下には森が見える。その薄暗い森の中には太古から生き続けている何万匹もの蛇が住んでいるに違いない。それにひっそりと無数の真っ黒な魔法ナメクジたちもかくれているはずだ。
 とは言え、見る人によってはちっとも美しさなど感じないかもしれない。それほどの荒地が広がっている。何せガマスル・ファグに住んでいる人間ときたら、町の外部の人は普通の意味での人間ではないと考えているとうわさされるぐらいなのだから。

 今日の物語はそんな見捨てられた荒れ野に住む、一人の不思議な老婆の話だ。
彼女の住む小屋は、何十年も前に真っ白な粘土のレンガを寄せ集めて作られた。作られた当時は塩のように真っ白だったはずだが、今は汚らしいカビやコケがびっしりと生えていて、人の住処には思えなかった。
 その彼女のご自慢の小屋はかつて、彼女の奴隷だった男たちがせっせと大変な苦労をして作り上げたのだった。しかし今では彼女の周りには身の回りの世話をする男たちは一人もいなかった。それは、彼女が奴隷をつなぎとめておく魔力をもはや持ち合わせていなかったのかもしれなかったし、ようやく何でも自分のことは自分でするのが一番だということに気づいたのかもしれなかった。おそらく、理由はそのどちらも半分半分といったところではないだろうか。

 その日の朝、ようやくじめじめした霧が、彼女の大事な野菜畑から、太陽の力によって追い払われたころ、小屋の扉が開き、ごそごそと這い出してきた奇妙な生き物がいた。年を取り過ぎた、ねずみの怪物のようでもあったが、ひび割れた爪には大きな石のついた指輪をし、ぼろとはいえ、ちゃんとした服を着ているところから考えて見ると、それは人間らしかった。こんな荒れ野の隅っこに何十年も住んでいると人間だろうが、巨大なねずみだろうがたいした違いはないかもしれなかったのだが。

 お婆さんは、重そうに道具の入っている袋を引っ張り出すと、彼女の畑に生えている、誰も見たことのないような奇妙な植物たちに顔を近づけて話しかけて回った。大層腰が曲がっていたので、草花に近づいて話しかけるのに好都合とも思えた。
 彼女は黒地に赤のまだら模様のトマトの実をきれいな綿で拭いてやりながら、つぶやきかけた。
「あんた、ちゃんと栄養は吸ってるみたいだね。分かってるだろうけど、それはこないだやった馬の糞で出来た肥やしのことじゃないよ。
 もっと、特別なやつの事だ。そいつが土の中で歌う子守唄を聞いてるから、あんたたちは、他のつまらない野菜なんかよりもずっと立派になれるのさ。だから、普通の人間たちはあんたたちのことを食べることすらできゃしない。あんたたちはそれがちょいとさびしいかもしれないがね。
 まあ、しばらく我慢しな。
 もっと、もっといいものにしてやるから。」
 そう言ってから、彼女は口をちゅーとすぼめた形にしてから、満足そうにうなずいた。今年は太陽の光が強すぎたかもしれなかったが、トマトにはこれぐらいの暑さのほうがちょうど良かった。しかし、お婆さんにとってはそうでもなかった。彼女は道具袋の中にしまっておいた水筒のところに戻ろうと、ようやく腰を伸ばして、立ち上がった。
 その時、少し離れたところの畑の草陰に何かは良く分からないが恐ろしいものを見て、もう少しで悲鳴を上げるところだった。人の姿に見えた。それは少し見れば、杉の木の影が揺らめいていて、人の形に見えているだけとも思えたが、すぐに影はお婆さんの姿に気づいてこちらにすごい速さで近づき始めた。
 彼女は小屋に逃げたかったが、足が地面から生えたようにその場から動くことが出来なかった。しばらくの間、彼女は怖くなって目を閉じていた。だが、いつまでたっても何の気配も感じられなかった。多分気のせいだったのだ。ほっと一息ついて目をしばたくと、目の前に若い男が立っていた。男は灰色のマントを着ていて、フードの中の顔は一度も太陽に当たったことがないかのように青白かった。
 彼女はその男の口がゆっくり開かれていくのを呆然と見守った。その白い歯の隙間から、声がした。
「お前がアーハ・ハーガラだな。こんな気違いじみた山奥になんか住みやがって、ずいぶん探したぞ。
 お前に頼みがあってやってきた。もっともお前にとっても特になる話だがな。
 やること自体はかなり込み入っているが、全て俺が自分でやる。
 お前は見ているだけでいい。
 簡単に言うとお前の畑の中に眠る、子守唄の主を掘り出して、ちょっとしたことをするだけのことだ。奴だってきっと喜ぶだろう。
 詳しい説明は今日の夜、お前の小屋の中でする。」
 そこまで言うと、その男はフードを下ろした。三つ編みにされている、長い髪が一本だらりと垂れ下がった。恐る恐る見ると、頭の天辺のところだけ小さく髪が剃られていて、不気味な黒い刺青がそこにされているのがちらりと見えた。あれはグセ・クサクルの刻印。そうすると、その男はガマスル・ファグの魔法使いに違いなかった。陽をまぶしそうに浴びているその男はまだ二十歳前後に見えた。
 それでも、魔法使いは魔法使いだ。彼はハーガラの大切にしている、トマトの実を一つむしりとった。とっさに怒りがこみあげてきたが、声を出す暇もなかった。その男は黒いまだら色のトマトを一口かじった。強烈な毒の入ったトマトを。普通の人間なら、三分で意識不明になるはずだった。
 彼女はその時間が過ぎるのを祈りながら待った。もし毒が効いてくれさえすれば、あの男を殺せるのに。ああ、クイル・ソーダヌスの魔力があの男に効いてくれますように。
 しかし、魔法使いは黒い種を愉快そうに飛ばすと言った。
「なかなか、うまいトマトじゃないか。猛毒の味がする。もう少し毒が強くても良いぐらいじゃないか、お婆さん?
 それにはもっと、子守唄の主、マーメイドにいい声で歌わせれば良い。
 楽しみだな。もっとうまい毒の野菜が作れるなんて。
 そしたら、お前だってもっと儲けて、こんなちんけな畑から抜け出す事だって出来るかもしれない。昔みたいにな。まあ、そんなことは望んでもいなさそうだが。
 まあ、いい。話は夜になってからだ。俺はこんな強い日差しが苦手なんだ。日影の魔法使い。そう俺のことを呼ぶ奴がいるぐらいだからな。」
 そう言う声が、ハーガラの耳の中から消えてしまう前に、魔法使いの姿は掻き消えていた。
 彼女はしばらくしてから、やっとため息をついた。
「やれやれ、とんだ災難が舞い込んだもんだ。あいつはあれだ。まるで悪魔か何かだ。残ったあんたたちもひどい目にあわなけりゃ、どんなにいいか。」
 彼女は魔法使いが千切ったトマトの木にまだ揺れている、他の実にぶつぶつと語りかけた。トマトは黒く静かに光って答えを返すだけだったのだが。

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