エテルキフ SF小説 : 著 岩倉義人

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34章

 寒冷なジスに比べて赤道に近付きつつあるのだろう、ウゴルクの北に向かって450キロメートル北にある、カスパと呼ばれる草原に着くと常に汗ばむくらいだった。

 ヘラムス・ストイカストルは雨よけの上着を脱ぐと、リュックにしまい込んだ。
 彼はツェリト・クファルマイヤーに空間膜を発露させてからすぐにジスを旅立つことを決め、缶詰やテントをかき集めて荷造りしたのだった。
 今はツェリトに自殺装置を仕掛けてから、すでに二ヵ月は過ぎていた。
 そして一昨日、予定通りに彼女は死んだ。
 ヘラムスは彼女がその装置によって死ななくても、たとえ母親のリズにサカルナサスを流し込まれて死んだとしても、それも良いだろうと考えていた。

 最近はむしろその方が好ましいのではないかと感じていたのだが、ロジア・エテルキフのおかげで、彼の装置の目的が達せられたのを、彼は非常に喜んでいた。
 彼はトリノフェタの事件の時、自分の生命構造式をロジアに知られてしまったのをひどく気にしていた。
 自分の顔が知られてしまった今となっては彼にとってジスに居ることは危険以外の何ものでもなかった。だから、彼はツェリトヘの工作をやり終えたあと、逃げるようにしてジスを旅立ったのだ。それというのも彼、生命構造式の最初の行の文字がグリセル・ゴトルヒンである彼は、核熱鉄器の中で自分の顔写真が作られるのを失敗されていたのを全く予期していなかったのだろう。

 しかし、その不安感はジス国からうまく脱出して、完全に人影の無い所まで来るに連れて、心地好い場所を旅していく快感に取って代られつつあった。
 カスパの草原を彼はしばらく進むと、奇妙な馬を見掛けた。
その野生のとても小柄な馬は、最初灌木の茂みに隠れていた。へラムスがその茂みのすぐ側を通り掛かったときに、ブルンと小さな鼻音を立てなければその馬のいたことにすら気付かなかっただろう。
 ヘラムスが灌木の下の方から向こう側を覗くと、その生き物の青い足と黒い目が微かに見えた。とても怯えているようにも見えたが、それならなぜこの様な近くに寄っているのにも関わらず逃げ出したりしないのか、彼は不思議に思った。
 もしかすると病気か何かで弱っているのかも知れないな。彼は一瞬、食料の足しにしようと背中の猟銃に手を伸ばしかけたが、うんざりして止めた。
「多分、奴はまだ赤ん坊で、親の帰ってくるのを待っているのに違いない。怖がらせて悪かったな。」
 そう一人でへラムスはつぶやいてから、もう一度、馬の姿を見た。すると、少し安心したのか、地面に座り込んで折り曲げていた足を急に伸ばして立ち上がった。その馬の顔と首は、濯木の茂みよりも飛び出してヘラムスの事をまっすぐに見た。顔の回りには灰色と黒の斑点模様の毛が生えていて、すごく綺麗に感じた。彼はもはや馬が少しも怯えていないのを知ったので、ゆっくりと濯木の回りを迂回して馬に近づいていった。

 しかし、その時意外な事に気が着いた。馬の首からは縄が掛けられていて、近くのいじけた針葉樹の幹に結び付けられていたのだ。
「道理で逃げないはずだ。こんな所を馬で旅する人もいるんだな。」

 馬に手を触れられるぐらいに近づいてみると、案の定、頭の高さはヘラムスと同じぐらいだった。ラバか何かの一種かな。ヘラムスは軽く彼のたてがみを撫でた。それから、縄の付け根に指を這わせると、予想していない感触に彼は驚いた。その紐はまるで腸を引き伸ばしたかのように柔らかくて湿っていたのだ。そして、その付け根の毛を左右により分けてみると、その紐の根本は直接首につながっているのだった。これは何なんだろうか? 
 しばらくその柔らかい紐を触っていると、その馬はくすぐったそうに首を2、3度振った。確かにこの紐はこの馬にとっての器官の一つなんだろう。そして、もう一つの先はどこにつながっているのか興味を持ったヘラムスは紐をたどって、3メートル先の捩じくれた幹をした針葉樹の方に歩いて行った。
 そこでも彼は意外なものを見た。針葉樹の根本に近い一本の枝の先が途中でうす桃色に変わり、馬の首から伸びる紐にそのままつながって行ったのだ。彼は不安になってもう一度馬の方にたどっていったが、やはりそうだった。
 それから、彼が針葉樹の葉の形を調ベようとして、触っているとその馬も近づいて来て、彼の腕に頬擦りをした。ヘラムスは今触っている木の葉のひんやりした感じが、その青い毛をした馬のたてがみのかたまりを撫でているのと同じ様な錯覚がした。そして、彼は一本の葉を枝から引き抜くと、その馬はその瞬闇地面を引っ掻いて激しく身動ぎをしたのだ。ヘラムスは驚いて飛び退くと、その馬の腹をそっと撫でて落ち着かせた。

「お前はこのいじけた木と一心同体という訳か。奇妙な奇形の一種だな。ツェリト・クファルマイヤーにそっくりじゃないか。このへその緒がとどく範囲でお前は一生を終えるのか。」
 ヘラムスはマッチを取り出すと一本だけ火を付け、その針葉樹の幹にそっと押し付けた。
すると効果はすぐに現れ始めた。馬の首筋に沿って黒い斑点が一つうまれ、毛の焼ける匂いがした。しかし、馬は虚ろな目をしてヘラムスを見詰めるだけで全く抵抗する様子も見せなかった。
 心地好くてうっとりしているようにも見えなくはなかった。
「おや、お前はこのまま僕の気紛れの内に、殺されてしまっても構わないのか?」ヘラムスは少しいらだたしく思い始めた。
「お前は、そんなところまでツェリトに似ているのか、彼女の死にたい欲求を僕がかなえてあげるまで彼女は自殺することは出来なかった。お前も僕に頼るような目をするのはやめろ。」

 ヘラムスはマッチを捨て去ってブーツの底で踏み付けると、まだ、ぼんやり彼の事を見ている、馬の尻を強く蹴った。そうすると、馬は肛門の辺りから血を流しながら、濯木の影にやっと隠れた。それを見ているとヘラムスはどうしてもそのへその緒を引き千切りたくなって、腰の鞘からナイフを引き抜いた。馬は背中を向けてまるで無関心をよそおうかのように、呆然と立ち尽くしていた。それに構うことも無く、へラムスはその馬の首から腸の様に伸びた、肉の紐を手に取ると一度力任せに握った。しかし、馬はもういななく事はなかった。馬は静かに彼の近くまで歩み寄ると、ヘラムスの胸を前足で蹴り飛ばしたのだった。ヘラムスは恐ろしい力で捩じ伏せられ、肺の上を覆う骨がめきめき音を立てた。

 彼はなんとかして、無意識の内にその足を払い除けると無我夢中で走り出した。馬はへその緒の長さを越えて追ってくることはなかったので、彼は胸をなで下ろした。

 その夜、胸の骨の痛みを感じると彼は馬を今すぐにでも殺したく思った。
 しかし、焚き火の火で沸かしたお茶を飲む内に、そうしたい気持ちも萎えて行ってしまった。
「猟銃で打てば簡単に奴を殺せるじゃないか。僕はそうするベきなんだ。でも、あいつはトリノフェタともツェリトとも違った。あいつも死を望みながらそのチャンスを跳ね除けたんだ。」
 うすい毛布にくるまりながら、彼は考えを巡らし続けた。
「奴はあのまま、あそこの木に縛り付けられて生きて行けば良いんだ。どうせ、それでもあのいじけた木は枯れてしまうはずだ。その時を勝手に待てば良いじゃないか。」
 彼にはその馬が7年前に死んだ、自分の父親にも似ている気がした。彼はへラムスが生まれた時には、普通の工場員だったが、若い時には盗掘商としてジスの外に出て色々な遺跡を旅したと自慢げに話していた。誰かから聞いた話を使ってほらをでっちあげているのかとも思えたが、それよりもジスの国境破りをするなんて彼には信じられなかった。しかし、彼らの民族にはそれが出来る能力があると、へラムスの父親のテラグアは言っていた。

 ヘラムスがその危険な能力を実際に試す気になったのは、テラグアが死んでから数年後だった。
 彼には自分にはそれが出来るという論理性があるとなど、全く思えなかったが、3年前の21才の時にジスの国の回りに廻らされた絶対性を突破することが出来る事を知った。

 その時彼はたった一人で今の旅と同じ様に、リュックを背負って国境に向かった。まる一日以上かけてウゴルクの森の北の道の跡をたどっていった。
 ジスの西方に向かって行ったとしたら、正規の国境検間所があるはずだったが、少量の穀物馬車のみが交通を許されていたので、普通の住民が出入国を許可されることなど全く考えられなかった。
 ジスの北の方には、コメールオルがかつて有った時のための検問所の跡が有るとは聞いていたが、そこには人は一人も居ない様だった。
 ヘラムスは最初、警戒して銃弾の届きそうもない位置から、建物の方を双眼鏡でうかがっていたが、壁の一部が壊れてかけていて、崩れた木のドアの内側から夜になっても誰も出てくる気配がないので近づいてみた。中には柔らかい土埃がくるぶしまで積もっていて、ここ数年人が入った様子はなかった。

 黒っぽい足跡を、雪の中に残すように懐中電灯で照らしながら外に出ると検間所の脇の所から、そこと同じ材質の白くすすけた石灰石の屑で出来た、壁が長く続いているのに気付いた。見ることの出来ない国境線にそってそれはとぎれとぎれに続いていた。もっとも壁と言っても腰ぐらいしかない石ころの小さな山としか言えないようなものだったが。

 どういう訳か、ヘラムスには分からなかったが、ウゴルクの北の地域の牧草地は見捨てられていて、ここに来るまでも町を出てから人に会うことは、ほとんどなかった。
 彼はその壁は家畜が外に出て行ってしまうのを食い止めるための、石の囲いの名残なんだろうか、と思った。普通の人が国境に近づくにつれ高まっていく、心理的圧力は動物の心には一切関係の無いものだと言われていたからだ。
 しかし、人間は検間所以外の所からジスの国境を出ることも入ることも不可能だった。それが核熱鉄器に許されてはいないことは、ジスの国民に配られる簡単な規則帳の中にはっきり書かれて知らされていた。

 ヘラムスは前もって精神防護膜を作る簡単な装置を、自分の家の倉庫から持って来ていて良かったと思った。それは壊れて倉庫に転がっていたものを自分で修理したものだった。
 その効果は十分だったとみえて、核熱鉄器の出す精神妨害酵素を防いでくれていたらしかった。酵素の濃度を示す目盛りが時々ぴくりと反応しているのが分かったからだ。
「だが、とても弱い酵素だな。核熱鉄器は国境の危険性を人に示すことには、飽き飽きしたらしいな。」
 その事がうまくいったので、国境を擦り抜けることだって可能じゃないかとも思えた。
たとえ、父親の言った通りに、その強力な生命破壊被膜を抜け出すことが出来なかったとしても、もはや、今のヘラムスにはそんな事はどうでも良い事だった。

 その絶望しきった心理性が逆に功を奏したのだろうか、彼は次の日の朝、軽い朝食を終えると、核熱鉄器の膜を越えることに成功したのだ。

 その時の感情は今までに彼が味わった種類のものとは全く違うものだった。
 彼が国境線を越えて行こうと近付いて行ったとき、そのとぎれとぎれになっている石を並べられて作られた稚拙な線は、原始的な民族の作った幻でしかない聖域を区切るものに見えた。
 しかし、5メートルぐらい距離までやっとたどり着いたとき、自分でも確認することの出来ないぐらいの精神変化をヘラムスは経験した。彼の粗末な防護膜発生装置の目盛りを見ると、とっくに振り切られていて、役に立たなくなっていることを呪った。

 彼は仕方無しに、そのスイッチを切った。そうすると、核熱鉄器の生命破壊酵素が精神構造から浸透していく力を持っているのを純粋に感じとることが出来るようになった。それは極表面的には自殺を誘発されていく感じとも言えたし、確実に死に近付く恐怖を植え付けようとする、見えない作為だった。しかし、その様な警告では彼は引き返すことはなかった。彼はむしろ進んで自分の死の瞬間を受け入れたいと願ったのだった。
 そして、あと一歩進めば、核熱鉄器によって確実に自分の生命構造が破壊されるろうということをヘラムスは知った。だが、ヘラムスは自分が死ぬことを受け入れてくれる唯一の物を見付けた気分になって、生まれて初めて安心した心地を味わいながら、もう一歩足を踏み出した。

 しかし、その後も彼は生きていたのだった。そして、死に向かっていた感覚がもはや消え失せてしまったのをヘラムスは感じて、核熱鉄器に期待を裏切られたことを知った。
 彼の目の前に死を餌としてぶら下げておきながら、それを受け入れようと心を開いた瞬間にはまた無意味な世界の中に彼を放り込んだのだった。彼はその事についてこう思った。
「核熱鉄器は僕の事を人間として考えてはいないらしい。他の不法移民でさえ、国境を越えようとしたら身分相応の死が与えられるというのに、奴は僕のみを無視するつもりなんだ。」
 そして、へラムスは、その感覚を誰かに味合わせてやりたいという強い欲望を持つようになった。

 その時の彼はまたジスの国に引き返すこともなく、北へ向かって歩いた。
 自分自身の民族がかつて捨て去られたとされている、コメールオルの毒沼を自分の目で確かめる必要を感じたからだった。そして、今の自分にはそこに行くことだけが相応しいと彼には思えて仕方がなかった。

 そこまでの旅は今回のものとは違って食料もほとんど無かったので、彼は飢えに苦しんだ。使い慣れない猟銃を使って何匹かの豚やトカゲを仕留めると彼はそれの皮を剥いで、血を飲んで喉を癒すしかなかった。

 そして、2ヵ月ほど過ぎて、せき止められて空堀になった大きな川の窪みをたどって行くと異様な薄暗い霧に包まれている、コメールオル湿原にたどり着いたのだった。
 確かにそこは彼に懐かしさを感じさせるところだった。その盆地を囲む山肌には奇妙なことに、草や木は一本も生えてはいなかった。そんなことには全く構わずにへラムスは、灰色の土煙を吸い込みながら、底まで走って行くと、背丈よりも高い沼地の草が生い茂っていたので、先の方を見渡すことは出来そうもなかった。
 彼は少しためらって、その草の生える土地の周りの、固い土を踏み締めながら巡っていたが、草の高さが自分の腰の高さぐらいの所を見付けると、そこに入っていった。
 すると、さすがに毒沼と言われるぐらいはあって、ブーツを通して染み込ん出来た黒い水は彼の足の皮膚を火傷をしたように痛めつけた。しかし、それさえも心地好く感じていた。

 ヘラムスは以前から感じていた、自分が人間ではないという無意味な思い込みを、毒の汁が自分の皮膚に浸透していく痛みが打ち消してくれるのではないかと思ったのだ。
 そして、彼はかつて住居だったのだろうと思える、少しだけ盛り上がって湿り気の少ない土地を見付けた。そこの土はとても、ねとねとしていてブーツの底のひだの間にいったん入ってしまうと、なかなか取れそうもなかった。
 そのつんと鼻を突く感じの匂いはその土が、かつては鉄などの金属だったことを確信させた。思った通りに、一番盛り上がって腰ぐらいの高さにまでなっている所には、土になりきっていない金属の塊が顔を覗かしていて、表面が獣の糞と同じ様に薄い被膜で覆われていた。

 ヘラムスはその溶けかけて黒くなった金属に、くちづけでもするようにして身を屈めると、そこに落とされた自分の影の中に、すごく小さくて赤い螺旋階段に似た物を見付けた。ルゴラ茸と呼ばれるキノコだった。その1・5センチの中にへラムスに生きることを唯一、命令する物質であるデル・サカルナサスが含まれているのを彼は感じて、少しだけ眩暈に似た吐き気をもよおしたのだった。

 その眩暈の中に、彼は聞き覚えのある甲高い金属音を聞いた。彼は6年前にウゴルクの森の中でその声を聞いたのを思い出していた。彼は振り返るとすぐ近くの枯れた濯木の枝に、小さな針のようなくちばしをした鳥が止まって不思議そうに目をしばたくのを見た。
 純粋な黄色い胸の羽根の色をしていて、そのイソギ鳥の鮮やかさは彼に、今居る湿地があまり色の無い、灰色染みた所であることを気付かせるには十分だった。
 彼はしばらくして、その鳥が自分を見詰め続ける理由が彼自身にはなく、足元にあるルゴラ茸を欲しがっていることを知った。だから、ヘラムスはゆっくりルゴラ茸のある、屑鉄の山から遠ざかると様子を見た。
 鳥はそれを見て一度羽ばたくと、勢い良くキノコを一口で摘み、飲み干したのだった。そして、その鳥は少しの間、首を縮めてじっと目を閉じていた。それはへラムスには彼が毒であるサカルナサスと一体化しようとしているように見えた。

 それから、イソギ鳥は空中で大きく輪を描いてみせるとどこかに飛び去ろうとしたのだった。しかし、彼にはそれが出来ることはなかった。彼よりも恐ろしく大きい影が素早く彼の後ろを通り過ぎると、その瞬間彼の背中の骨は干からびた鉤爪によって、砕かれていたのだ。ヘラムスは驚いて、その灰色の影を双眼鏡で見ると、尾羽根に赤くて太い線になった印を見た。それは見た事のないような美しいタカの一種だった。

 その尾羽根に赤い線を持つタカはゆったりと飛んで、へラムスの居る島のもっと向こうの方にある、高く枝のみになった黒い木の天辺に止まった。
 それから、よほど腹が空いていたのか、イソギ鳥の体の毛を乱暴にむしり取ると内臓を食い始めた。胸の黄色い羽根は、心臓のかつてあった形に赤く汚されていって、小さくて細長い首は裂け目から垂れる腸と同じ様に、ぐったりとしていた。
「なぜ、あいつはあの鳥を食い殺すのだろうか。多分、イゾギ鳥が自分のために苦痛に耐えて、デル・サカルナサスを飲み込んだのを、無害な彼の血の中にオブラートのようにくるまれたものを横取りしようとしたのかもしれない。」
 しかし、そのタカはもう肉は食い飽きたのか、イソギ鳥の首筋をナイフに似たくちばしでつかむと、近くの枝に串刺しにしたのだった。良く見ると、その木にまばらにある木の葉が、毛むくじゃらの塊である、彼に捧げられた物であることに気が着いた。

 ヘラムスはタカのいる木のある島に、素早い足取りで渡ると、背中の猟銃を引き抜いて、ためらいもなくそのタカに向けて、散弾を打ち込んだ。
 一発目は逸れてしまったが、次の弾はタカを死体に変えて、彼は黒い球となって地面に落ちた。
 ヘラムスは近付いて行ってそれを見ても、表情をぴくりとも変えずに無視して、そのイソギ鳥が下げられている木の枝に足を掛け、登って行った。

 案の定さっき見た沢山の毛玉は、全てイソギ鳥のミイラだった。
「ずいぶん前から奴は殺し続けていたんだな。そして、旨くもない不必要な毛皮は奴の戦利品として、永遠にさらされるというわけか。」
 もう少しで、殺されたばかりのイソギ鳥の所までたどり着けそうだったが、かなり上だったので枝が細くなって、ぎしぎし音を立てた。
 やっとのことで、その一番新鮮なイソギ鳥の死体を手に取って、枝から引き抜くと、ぐにゃりとして彼の手にしなだれかかった。

 そして彼は指に着いた血を舐めると、胸に開いた穴の中にまだ残る血のゼリーのように固りかかったやつを乳を飲むようにすすった。それはすごく不思議な味だった。しかし、しばらくすると彼は気分が悪くなって、木の幹にしがみつかなければならなかった。彼は恐ろしい幻覚が去るまで辛抱強く待った。イソギ鳥の中の高濃度のデル・サカルナサスが彼を幻覚の中に連れ去ったのだった。

 その一時間も続いた幻覚の中で、彼は自分が自らの民族の中にまだ残されている、存在することの出来ないほど弱り切った生命性を排除する者である、「狩猟者」であるべきだということを知ったのだった。

 彼は自分が父親のしていたおとぎ話の中の狩猟者であると現実に思うのはあまりに馬鹿げているとも感じたが、その時の幻視に従うことのみが自分を生き延びさせていくだろうということを、ヘラムスは確信した。
 その時に得た、彼の名前はグリセル・ゴトルヒンといった。それは隠された彼の生命構造式の数千億行の中の最初の一文をコメールオル古代言語の音声として現わしたものだった。

 彼はジスに帰ると、彼にその人がたとえどこにいたとしても、幻の様な不安感を与え続けてくる人がいるのを知った。それが狩られるべき人たちなのだろう。
 そしてその見ず知らずの人を実際に捜し当てると、その男に最も相応しい殺し方をいつも想像するようにヘラムスはなった。彼の体の中で特異なものに変化したイソギ鳥の血の中にかつてあったデル・サカルナサスが彼にセミ・トリノフェタを殺すように耳打ちしたように感じた。

 彼はそれから、自分で考え出した装置と彼の肉の中に刻印されたサカルナサスのもたらした、奇妙な力によってトリノフェタを殺したのだった。彼はそれにより自分が神である核熱鉄器を出し抜いて、世界のありようそのものを操作する力を身に付けた感覚を味わって、それにこれまでに無い充実感を感じた。
 しかし、それは長く続くことはなく、ロジア・エテルキフによって無意味なものとされたのだ。彼はロジアに自分が侮辱されたことを感じた。自分が殺人者でいることに陶酔することによってのみ、生き長らえていることをロジアは彼に教え、彼の無意味さを笑われたような気分になったのだ。

 だから、次の狩られるべき者である、ツェリト・クファルマイヤーを殺すとき、彼の苦心して作った自殺装置の中にロジアを組み込むように仕組んだのだった。彼のプライドはそれによって補われたはずだったが、ある疑問が彼の中で首をかしげ始めた。自分が求めようとしているものを、決してデル・サカルナサスが与えようとはしていない事を彼は確信したのだった。
 だから、今度のコメールオルヘの旅はただ逃亡するだけのためのものではなかった。
 彼が幻視の中で見た、ツェリトが実際に自殺していく時の様子が何度も思い浮かばれて、彼の事を苦しめ続けた。確かに良く考えようとすればするほど自分が彼女を殺して自分が得たものなど何も無いことに気付いたのだった。
 彼は、デル・サカルナサスが自分自身と同じものだと思っていたが、それは逆にへラムスを操作する装置の一部なのではないかと疑問を持ったのだった。
 彼は自分自身が、生きているシステムそのものに裏切られたのだという事を知った。それをもう一度問い掛けるためにヘラムスは、コメールオルの毒沼に足を向けなければならなかった。

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