エテルキフ SF小説 : 著 岩倉義人

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33章

 レン・スコットは黒い空の中に、透明な青い穴が燃えているのを見た。
 彼が見上げている先には、視界のとぎれる所まで続く、高い壁があって、そこには血管のように排水管が這わされているのが、彼の気付かないうちに感じ取られた。

 彼は今、不法移民居住区になっている第25遺跡に来ていた。がらんどうになっている、かつて中庭だった場所は壁の石の崩れ落ちたものできっちりと覆われていて、機械の皮膚と同じように何も住まわしてはいなかった。

 突然、彼の視線を遮るように酸っぱい匂いのスープを入れたカップが突き出された。
その白い紙カップを握る手の元までたどると、ジムの彼を心配でもしているような表情をした黒くて逞しい顔にたどり着いた。
「レンさん魚のスープが冷めますよ。早く受け取って下さいよ。」
「ああ、俺の分も買っといてくれたのか。すまない。」
 レンは少し気が進まない素振りを見せながら、カップをそっと握った。
「この店は、何の肉を料理してるんだ?」

 レンはジムが出て来たドアのそばの、くぐもった飾り窓を覗き込んだ。中には5、6人の浅黒い皮膚をした移民たちがカウンターに寄り掛かって、せっせと何かべとついたものを皿から口に運ぶのが見えた。飾り窓には、剥げ落ちかけたペンキでグリンクス・トーナーと書き殴られていた。
 ジムは内側から、勢い良くドアが跳ね開けられたのを驚いて避けた。
「トーナーですよ、レン。つまり川魚のね。腸魚なんて呼ぶ奴も居ますがね。
 ちょっと癖が有りますけど、なかなか美味しいですよ。」
 レンはそのパセリでうす緑に染まった、汁の中に浮かぶ白っぽい肉のかたまりが元通りつなぎ合わされて、くねりながら薄暗い川底をぶらつく様子を思わず想像していた。
 しばらくして、しかたなく一口すすった。塩っぽい魚の内臓の香りが鼻を襲って、彼は顔をわざとしかめて見せた。
「魔工大では、移民たちの言葉も教えているのかい?」
「ええ、でも勝手に図書館の本を読んだだけです。大学時代に司書の手伝いをしてましたから。盗み見る機会がいくらでもあったんですよ。コメル語の辞書は普通の人は見れませんから。」
 「なるほど。」確かに今は、移民たちの話す言葉はジス語だけにされているが、ちょっとした物の名前などにはそれが残っていることもあった。最も移民と言っても彼らは数百年前にジス国内に定住して以来、ほとんど出国する者はいないとされていたが。しかし、核熱鉄器の中の神性意識は彼らに今までほとんど関心を払うことは無かったのだった。だから、ジス国にもともと居た者と、同化しつつある今でも彼らの生命構造式やもっと基本的な名前までも総住民記録に載せられる事はなかった。なぜなのだろうか? 
 彼らを核熱鉄器は人と認めていないのだろうか。

 「ジムもういいから、お前が全部食ってくれ。」レンはぬるくなったスープの残りを、すでに食べ終わって他の物を買い足すかどうか悩んで、店の中をうかがってぼんやり立っているジムの空のカップの中に強引にぶちまけた。
 しばらくジムは黙ってレンの事を見ていたが、最後には食べ始めた。彼は手に飛び散った汁をすすってから言った。
「レンさんは早いとこ、こんな糞溜めから抜け出したいんですよね? 
 私も確かにそうです。」

 しかしながら、99位神官から渡されたグリセル・ゴトルヒンの合成顔写真にぴったり合った顔の男を見つけ出すまでは、毎日の居住区通いを止める訳にはいかなかった。レンはこれまでの2ヵ月の間に25ヵ所ある居住区の内その半分を回っていた。
 しかし、見落としがあるかもしれないし、居住区に引っ込んでいる移民たちもその全体から見ると8割ぐらいとも考えられていた。
 本質的な権力システムである神がなぜそのような、間抜けな寛容性を持っているのか、レンには不思議だった。しかし、その事が問題に成り始めたのもここ30年ぐらいの事だ。

 レンは十数年前の神官警察に入ったばかりの時、地下室に乱雑にぶち込まれたダンボールの書類の山の整理をたった一人でやらされた時の事を思い出した。

 その時に今の100年前の295年の犯罪統計書を見つけたのだった。
 それをなにげなくめくって殺人事件の項に目を止めると、驚いたことにたったの一件も人は殺されていなかった。人口は今の1・5倍の127万人だったにも関わらずだ。それから、レンは紙屑の山を必死になってあさって、飛び飛びだったが、およそ10年おきの資料を見つけることに成功した。
 その中には重大な犯罪は前後2年の発生件数も付録として着いていたので、それを利用して穴を埋めていった。その黄ばんで乾いた土のようにもろくなった紙の記録を、薄暗い仮設ランプで照らしながら読んでいくと、明らかに過去、80年は殺人は全くというほど起きていない可能性が高かった。
 しかし、20年前の375年には5件の殺人が発生し、次の年は少し減って3人が殺されていた。そして10年前には15件で、去年は72人もの人間が殺されていった。この事が現すのは何なんだろうか? 
 明らかに神である神性意識の統治力が落ちているか、それとも神の能力を越えるほど人心が荒廃したとでも言い訳するのだろうか。
 でも、こう言うと面白いだろう。神が自分の中で起きていく殺人を楽しめるほどの戯心を持ち得たのだ、と。

「ジム、いつまで食うつもりだ。もう行くぞ。」
 レンは店にまた入った彼の事を無視するように、背中を見せて歩き出した。

 レンは自分の脇の下に上着の下に隠されて吊されている、重い拳銃が大きく揺れて体にぶつかり、鈍い痛みを感じると、自分の肋骨に同化しそうになっていくような感覚を覚えて、嬉しくて興奮していた。
 ジムは食べ掛けていたマッシュポテトの山を諦めて店を飛び出すしかなかった。彼も体の半分を置いていくような気分だった。

 しばらくして、数軒のアパートを回ってからレンは定時連絡の時間を20分過ぎてしまっている事に気が付いた。急いで町の中心部に戻って電話ボックスに入ると、硬貨を流し込んで神官警察院の自分の捜査室のダイヤルを回した。しかし、レンは呼び出し音がしないのを聞いてから、やっと自分の握りしめた受話器のコードが引き千切られて床の方に垂れ下がっているのを知った。それから、しかたなく隣のボックスに移ると、誰かの昨晩したようなアルコールの混じった尿の匂いがしていた。

「はい、第3捜査室です。レンさんですか?」
「ああ、そうだ。何かあったか? こっちはいつも通りだ。」
 レンは相手の捜査官の答えるまでの間に少し暇があったので、早くボックスから出たかったのだろう、電話を切ろうとした。
「レンさん、待って下さい。さっき神官長から連絡が有ったようです。出来るだけ早く執務室に電話するようにと言ってました。」
「それは何時だ?」
「4時5分前だったようです。なにしろ、私もさっき連絡係りを引き継いだばかりなので、」
「分かった。ありがとう。」そう言って長引きそうな話を、無理に中断した。
 一体何があったというのだろうか? 普段は99位神官がそのように自分で直接電話をしてくる事など、ほとんど有り得なかった。
 すぐに、執務室の番号を回そうと、レンは自分の手帳をめくった。名前の欄には、もちろんスファルト・ラム・フォトなどとは書かずに他の名前が書き込まれていた。それは自分の初めて殺人事件を担当した時の被害者の名前だった。スケミオ・ヴァスという女だ。
彼女は絞殺魔の3人目の被害者だった。その首に残された黒い指の跡を彼は一瞬だけ、思い浮かべた。

 ジムは電話ボックスの外で、レンが誰かに向かって掛け直しているのを見た。その上着に隠されている背中の筋肉が、明らかに緊張しているのに気付いて、少し不審に感じた。
 そして、電話は5分ほどで切られ、出て来た彼の顔色はこれ以上、何も感じられないだろうと思えるほど、冷静で蒼白だった。
「ジム、ここでこんな事をしていたって、全く無駄だった事が分かったよ。捜査室に一度帰ろう。」彼は背中を向けるとゆっくり歩き出した、
「一体どうしたんです? 誰と話していたんですか。」
 ジムは背中越しに聞いた。しかし、レンは歩くことは止めずにつぶやき始めた。その声から感情を見つけ出すことは、ジムにも出来そうもなかった。
「99位神官だよ、電話の相手はさ。グリセル・ゴトルヒンは飛んでもない奴だな。神をここまで馬鹿に出来るなんて。
 俺たちが頼りにしていた、奴の写真はまた偽物だったらしい。」
「どういうことですか? 始めの写真は、核熱鉄器が作るのを失敗したと聞いてましたが、またそうだったんですか?」
「まあ良い、捜査員を全員集めて後で説明するから、その時まで待ってくれ。」

 二人は天井をぶち抜かれた塔にも似た、移民居住区の外に出ると、茂みに隠しておいた車に無言で乗り込んだ。
 また、捜査をかく乱するつもりなのだろうか? 神官長は。
 しかし、今度は違うということも有り得るだろう。奴はゴドルヒンの生命構造式の大部分が自立的に変化をしたと言っていた。だから、写真を作り直さなければならない、と。
 そう言ってから、顔や体の形が変わるのは余りにおかしいから、生命構造式のみが独立に自立性を持ったのではないかと説明していた。
 だが、レンに出来ることは彼に従うことしかないのだと自分に、言い聞かせようとして、彼はやっきになっていた。
 その数分前に切られた電話の向こう側で、99位神官のスファルト・ラム・フォトはくちびるを強くかんで、彼の古代寺院の執務室の中で一人で腰掛けていた。ひょっとすると、いや確実にレンの信用を失ってしまっただろうという事を残念に思っていた。今となってはゴトルヒンの最初の容疑者として、偽者を与えた事をどんなに後悔していても仕方がなかった。
 彼はもう一度、アコイル97位意識に命令して、ゴトルヒンの顔を演算させることを試みた。疑似視覚の中に、今度はさっきとはまた違って若い女の顔が映し出された。その女は赤い血のような安っぼい色の髪の毛をしていて、これ以上見詰めるのもうんざりしてしまったので、彼は神性意識との接触を打ち切った。どうせ、また数分経つと違う顔に変わってしまうのだから。
 それはありとあらゆる人間の顔のあり方の可能性の全てを現しつくそうとしているように思えた。
 他の核熱鉄器の内の神性意識に、例えばゴルーファ96位神性意識にいくら間い掛けても、その体映像の変化の理由の予想は一定しなかった。そこで、スファルトは自分自身で思考を組み立てていく他はなかった。
「結局のところ、彼の生命構造式の中には、彼自身の外的な視像を決定していくためのパターンを欠いているのではないだろうか。だから、彼は何者でもないのだろう。」
 自分自身の他の生命を写している鏡のような構造を奇形的に持った構造式かと思えて、その奇妙さは彼の興味をより一層引いた。

 普通の生命体では、ある物質の中に生命化を許す要素が有る時、物質の中に生命構造式が単独に有るだけではすぐにそれは神性神経と化して極小の空間膜を作り、そしてそのすぐ後に自ら崩壊をしてしまうはずだ。
 だから、断続的な生命現象として残っている生命とは、その中に生命構造式の空間膜を打ち消し続けるシステムを抱いているはずだとスファルトは予想していた。一瞬ごとに入れ代わり続ける、生と死のストロボが、均衡状態を作り出しているのだ。その死のシステムは生命構造式を鏡のように写し出して自らの像を作り出していた。その像の一つが外から見る、視覚的な形式として発露をしていくのだ。そのかけらが生命構造式の中にも止められていく。それを用いて核熱鉄器は顔の映像の演算をするのだった。

 しかし、グリセルの生命構造式はそうではなく、自らがすでに構成する物質から取り去られた記録にしか過ぎないのに、もといた所を幻の中に思い出そうとしているようだ。だから、固定化された心象が歪められ続けて、様々な像を結んでしまうのかもしれない。
 多分その疑問を埋めていくのは、ロジアのスカルド・ナーバーの理論が必要となっていくのだろう。今の自分に必要なのはレンではなくロジアなのだと、スファルトは執務室の壁の剥がれかけた壁紙を見ながら考えていた。
 彼が成していくことを考えることによって、なぜジスの状態を悪化させるほど核熱鉄器がうろたえているのかを知ることが出来るのではないかと、期待を覚えずにはいられなかった。スファルトはロジアとキファの研究がより早く進むように、資金の増額を核熱鉄器の中のゴルーファ96位意識に申し出ることを決意した。スファルトは神と呼ばれる、自分自身のシステムが出し抜かれた事に、逆に快楽に似た興奮を感じていたのだった。

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