エテルキフ SF小説 : 著 岩倉義人

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32章

 その後の数日間をかけて、ロジアは自分の魔工大の小さな研究室に籠り、ツェリト・クファルマイヤーの事件について理論的考察をしなければならなかった。
 彼はまず、スタンドを点けるとラムゾンの所から持ってきた資料を机の上にぶちまけた。十数枚の写真を少し横目で見ていたが、すぐ興味を失ったように封筒の中に戻してしまった。
 しかし、その印象は網膜に焼き付けられていて、彼を空想染みた思考の中に導いていくには十分すぎるぐらいだった。
 それは交通事故現場の写真にも似ていた。恐ろしく狂暴な暴力が、その無意味な場所を記録され、永遠に残され得るものに変えたのだ。その永遠性は現在有るうちで、唯一聖性に近いと言わざるを得なかった。

 セミ・トリノフェタの事件もツェリト・クファルマイヤーの事件も共通して、そういう場所に対する聖化儀式を最も意図的に行ったのであろうとロジアは空想した。
 ツェリトの写真の中で見た、乳房の下の黒くて小さい穴は、トリノフェタの事件の時に作られた部屋の壁に開けられた爆烈坑と対応しているように思われた。その考えに沿って言うなら、彼女の体は傷付けられる事によって永遠性を持ち得る、聖性を伴った場所に無理やり変化させられていったのだ。しかも、犯人の策略に満ちた誘導によってそれが行われた。

 つまり、犯人の望む通りにツェリトは自殺したのだった。
 彼女の自殺した瞬間の感覚をロジアははっきり記憶していた。まだ、その時にはデル・サカルナサスによる、二人の親和性は断ち切られてはいなかったから、ロジアにも当然それに同調した疑似感覚が沸き起こっていた。

 その疑似感覚は、ロジアが彼女と空間膜の中から出ようとしていた時の、静かな死へと向かおうとする感覚とは全く違うように感じた。
 彼女が死んだ瞬間の少し前には、完全に思考を剥ぎとってしまう程の恐怖が彼女を襲い、そして、それは生まれ出たすぐ後に自分から崩壊さえしてしまったのだ。その恐怖の感覚の塊が、消え去ってしまった後には、彼女の中には激しい死ぬことに対する、妄想のような欲望のみが彼女を制御したのだった。それは彼女自身の意思だとは、ロジアにはどうしても思えなかったのだ。

 ロジアはもう一度検死資料に目を通して、彼女の死は心臓を突き刺したことにより持たらされた、というラムゾンの報告の最後の文章まで全部を読み返した。
 死体からは、デル・サカルナサス以外の薬物・化学物質は認められなかった。その上数ヵ月の間、彼女は空間膜に閉じ込められ、際限の無い魔化学的操作にさらされていたのに、その影響は検死の中では一切認められなかったのだった。彼女は本当に自然な状態における自殺をしたといえるのだろうか? ラムゾンが言うように。

 ロジアは少し溜め息を付くと、検死資料を重ねて机の脇に置いた。それから、地図のように折り畳まれた大きな紙を引き出しの中から取り出して広げた。それはキファの分析したツェリトの二回目の実験の時のものだった。それにはロジアとツェリトの空間膜の強度の変化していく具合を時間的なグラフに表わされていた。

 最初、彼が接触を始める前のツェリトの空間膜の強度の指数は257エレグを指していた。そして、実験開始から3時間経過してその強さはほんの僅かずつ減り始めた。それは15時間続く緩やかな下り坂だった。
 ロジアの被膜強度は全体を通して30から40エレグに固定されていた。

「この時、私はデル・サカルナサスの変化した赤い虫に麻痺する薬を浴びせかけながら、徐々に空間膜の中の神性細胞組織を壊していた最中なんだな。
 やはり、この強力な変性意識の中では正常な時間の感覚をつかむのなんて無理な話か。」

 それから、その坂はある時点から減るのを止めて平らになり、それから20分の間、変化の無い時が続く。ツェリトの精神に彼が直に接触し始めたのだ。その時の指針は126を指していた。
 しかし、その後4時間の間は不安定に30ぐらい急に増加したり、また、50ぐらい落ち込んだりするときが続いた。
「これが私が必死になって彼女を説得していた時か。グラフにしてみると無意味な味気無い事なんだな。」

 ロジアは彼女が子供っぽい仕種で、パイの皮のかすを皿から拾っていたときの様子を思い出した。
 しかし、このグラフの中で一番問題になっているのはこの後だった。彼がツェリトと一緒に彼女の空間膜を完全に消し去っていく最中に、予期していない大きな変化があったのだ。およそ3時間の間に膜は急速に減り始め、残りが20エレグに達したときにそれは起きた。どういうわけか、膜の強度がその後の5分の間に385エレグに急に上昇し、最後の3分間で指針は0に急に落ち込んでいったのだ。そしてその後、膜が解けたのにも関わらず彼女は自殺したのだった。

「この事が意味しているのは一体、何なんだろうか? 
 空間膜がそれまでにないぐらいの最高強度に達したとき、彼女の中の自殺欲求は、ほとんど彼女自身によって中和されていたから、空間膜を強める要素には成り得ないはずだったんだ。しかし、膜が強くなって行く瞬間には私の意識も耐えられなかったのかほとんど覚えていない。
 だが、これこそがグリセル・ゴトルヒンのした外的操作なのではないだろうか? 
 この事がなければ彼女はすぐに自殺することはなかっただろう。空間膜の基本的な作用は、デル・サカルナサスによるものだ。だから、彼女を自殺から守るためだけにその作用が盲目的に働いていたのだ。しかし、その一方で彼女が自殺から目を離す事を拒むシステムでもあるともいえるだろう。
 それは、逆に彼女を実際の自殺の行動に走らすのは完璧に止めていたのだが、彼女の自殺欲求そのものは、奇形的に増やされていったのだ。」

 ロジアはなんとかして霧の中にいたような、その時の感覚を論理的に説明出来るものにしようと思い出していた。それは輪郭ははっきり分かるのだが何者か判別できない、曇ったガラス越しに見るものだった。
「そして、彼女の中の自殺欲求が最高度に達したときに、その行動を押さえていた空間膜が一瞬に幻であるかの様に消え去ってしまったんだ。それは、ダムの水量を最大限まで目一杯溜めておいて、流水口を爆破するのと同じ事だ。
 だから、彼女は死ななくてはならなかったんだ。」

 ロジアは静かに首をうなだれていた。だが、その事によってまた一つの推測を得た。
 その瞬間ゴトルヒンはロジアたちのことを観賞するようにして見ていた。
 しかし、トリノフェタの時もそれは同じだ。だが、今回とは違う点もあった。ツェリトの時は、恐ろしく遠い所からテレパシーを使うようにして操作を仕掛けてきたのだ。その事はひょっとするとデル・サカルナサスと彼とが深い親和性を持つからこそ出来たのではないだろうか。
 だから、ゴトルヒンもロジアの使っていたのと同じ様なスカルド・ナーバーを用いていたのだろうか? 
 レンがトリノフェタの事件の操作の最初の時に言っていたことをロジアは思い出した。
トリノフェタは元はコメールオル貴族だったと。そしてその貴族たちは、湿地の毒沼と化した自分の国を捨て、貧民も捨ててジスに亡命した。
 しかし、彼らは暗殺者に狙われ続けたのだった。その暗殺者たちは毒の湿原に長く止まらざるを得なかったのだから、より毒に体を犯されているはずだ。
 そして、生きるために、彼らこそよりたくさんのサカルナサスを必要とするのだ。
「だから、どのようにしてスカルド・ナーバーを作ったのかは分からないが、デル・サカルナサスと親和性を持つのは当然のことだ。

 そうだとすると、サカルナサスはツェリトの中で、全く魔工機械の助けを得ること無しにその被膜を作る神性神経に達していた。
 ツェリトの場合はゴトルヒンによる外的な操作が中心となって、空間膜が発露していた。だから、彼女自身にはコントロールすることなんて出来なかったんだ。
 しかし、毒沼の湿原という特異な環境中では自らのサカルナサスを自由にコントロールして被膜を作らせることの出来る種族が生まれたのではないだろうか? 
 そして、サカルナサスの親和性を逆に利用することによって、薄汚ない亡命貴族たちを探し出しているのだ。
 確かにそうであるなら、彼らが限り無く遠くからツェリトをコントロールしたのと同じ様な方法を用いて、ゴトルヒンの事を手を触れずに捕まえることが出来るに違いない。」
 ロジアはまた、あまり論理性を持っているとは言えないそれらの考えを、どのようにキファを説得できるようなものにしていくかを思うと、思わず、溜め息を着いた。
 ツェリトは本当に亡命貴族の血を継いでるといえるのだろうか? 
 ロジアは自分がツェリトに会えなくなったことを悲しんでいるのかどうか知りたいとは思えなかった。

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