エテルキフ SF小説 : 著 岩倉義人

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31章

 それから、三日してロジアは再びベッドから起き上がれるようになると、警察病院と並んで建てられている神官警察院に橋状の通路を使って渡った。
 そこの天井は曲線をしたガラスで格子状に覆われていて、春先だというのに無気力な青い光が染み込んでいた。
 彼が捜査室にしばらくぶりに訪れると、前よりは片付けられていて、書類はダンボールにまとめて立てられて机の上に置かれていた。部屋の中では、ジムがたった一人で窓際のソファでくつろいで、ゆったり太陽の光を楽しんでいた。
「やあ、ジムひさしぶりだな。」
 ジムはやっと気付いたのか、首だけを後ろにひねってロジアを見た。
「ああ、お元気そうで良かったです。でも本当にもう大丈夫なんですか。キファさんがツェリトの事件以来、いっつもロジアさんが夢見がちだって言ってましたよ。」
「別に心配ない。前からそうだったんだ。
それより、ツェリトの検死資料は届いているかな?」
「はい、あるはずですよ。」そう答えるとジムは、はち切れそうなズボンに包まれた尻をこちらに向けて、大量に積み上げられたダンボールを隅から一つずつ順番に開け始めた。
ロジアは尻を見て巨大なアドバルーンの風に揺れる様子を思い出した。「捜査室の中を整理したのかい?」
「ええ、そうなんですよ。だけど、誰か整理するって事と、ただ箱の中にぶち込むっていう事を区別できない馬鹿がいたらしくて。」
 少し経ってロジアも手伝って探そうとし始めたのだが、ジムの方をちょっと見上げた。
「僕はそういえば、検死官にも会っておきたかったんだ。今日か、明日に暇な時があるか彼に聞いてもらいたいんだが。」
 それを聞くと、ジムは思わず白い歯を見せて笑った。
「確かに私にとってもそっちの方がずっと良いですね。書類のダンボールは誰か整理するって事をちゃんと分かった人にやらせりゃ良いだけです。」

 昼過ぎになって、約束の時間になるとロジアはまた神官警察病院の中に戻り、6階にある検死官調査室の3の札が掛けられたドアを軽くノックした。
 薄暗く蛍光灯の反射した、すべすべした緑色の床には、あまり誰も歩いていないのかワックスの甘い香りしかしていなかった。
 その香りを嗅ぎながら、中で推考されているはずの死体の製造過程への血の匂いを脱臭された感じとそっくりだとロジアは思った。
「どうぞ、開いてますよ。入って下さい。エテルキフ捜査官ですね。」
 閉じられたドアの向こう側からくぐもった声がした。
 そのドアのずっと上の方にある監視カメラの冷たい黒い目が、中にいるラムゾン検死官のモニターにつなげられているのにやっと気付いた。
「ありがとう。」そのカメラのレンズに向こう側に向かって礼を言うと彼はドアを開けた。
 中は消毒薬の湿った匂いが微かにしていた。長細い部屋の一番奥に大きなデスクがはめ込まれていて、その向こう側に白い皮膚をした太り気味の中年の男が入り口に真っ直ぐ向かって腰掛けていた。その男は軽い調子で話し始めた。
「検死官のヒュミック・ラムゾンです。ちょっと部屋の中の匂いが変わっているでしょうがお気になさらないで下さい。私は喉を痛めやすいんで加湿機を使ってるんです。」
 ロジアはそっけなく「なるほど。」と、つぶやくと彼の机の方に近付いて行った。その後ろで自動的に鍵が掛けられる音がした。この男がツェリトの体を検死したのか。その油ぎった手でツェリトの死んだばかりのまだ温かい体を撫で回したのだろうか。いや、そうではなくゴム手袋をはめていただろう。彼らは死体に直接触れるのを極端に嫌がる。

「3月21日の未明に運び込まれた、ツェリト・クファルマイヤーの件ですよね。資料は準備できていますよ。」
 ロジアは座る時に、彼の禿げている頭皮の蛆のように透明な膜を作っている様子を眺めなければならないのを少々不快に感じた。
 その僅かに曲げられた口元を見て、彼は背中をビクリと痙攣させてから自分から説明を始めた。

「彼女は最初、救急病棟に運ばれたのですが、首の右の頸動脈を切断して、その上、心臓まで自分で刺し貫いてましたから輸血する間も無く死亡しました。彼女は不法移民ですから、普通は救急馬車かなんかで運ばれるんでしょうが、今回は神官警察の実験のおかげですかね、自動車で警察病院の方に運ばれてきました。とても良い状態で検死することが出来ましたよ。」
 彼は紙の封筒から何枚もの資料写真を取り出した。
「切り傷の状態はこれとこれです。良く切れるナイフだったみたいですね。切り口がこんなに綺麗だ。」
 彼が指を差す、その大きく引き伸ばされて粒子のかすんだ白黒写真には、白く柔らかそうな肉のひだが写し出されていて、その真ん中には切り裂かれた黒い切れ目が見えた。血は既に拭き取られているらしく、その一本の草の形をした部分のみが塗り潰された巨大な線に見えた。
 もう少し遠くから取られた写真には、鎖骨よりも上の辺りから頭全部が写されていて、首が向こう側に捩じられているので、顔は横顔しか見えなかった。その写真では傷は細い線になっていてあまり存在感を感じなかった。
「もう一つの心臓を貫いた方の奴も見せてくれ。」
 ラムゾンは自分が延々と続けていた、法医学上の説明をそのように遮られたので少し気を悪くしたのか、無言で写真を封筒から探し出した。
 その写真にはツェリトの左の乳房と、その下に小さく開けられた穴を写していた。その穴はもちろんツェリト自身によって開けられたものだ。
「美しいが既に死んだ乳房か。」その乳房はとなりに小さな傷口を添っているからこそ、そのように美しいのだろうか? 生命による自分自身のコントロール性を無化していくことをツェリトは望み、それをしたのだろう。
 しかし、それは彼女が望んだことではないことにロジアは気付いた。この傷の有りようを望んだのはグリセル・ゴトルヒンでしかないのだ。
「それならば、」とロジアはある仮定に行き着いた。この写真にあるような有りようをゴトルヒンが望んだのならば、彼は必ずこの写真を見ようとし、そしてもう、彼は事実見たであろうとロジアは思った。
 セミ・トリノフェタの事件の時もそうだったが、ロジアがゴトルヒンの罠を解く実験をしていると彼は必ず、興味深そうに、千里眼のような感じでロジアの事を見張っていた。
 しかしその時、同時に彼のことを逆に見ることが出来たのも確かなことだった。
 それが起こるのは、オート・スカルド・ナーバーを使っている時だけだったが、それこそが重要なのではないか? と思えた。
 急に自分の考え事に沈み込んでしまったロジアを見て、ラムゾンは彼女の直腸温の測定結果について話すか悩んだがしかたなしに、
「もう大体説明は終わったんだが。」と言ってみた。
 すると、やはりエテルキフ捜査官はその資料のコピーを急いで集めて、ラムゾンが写真を入れていた茶封筒に捩じ込むと、ありがとう。この資料はもらってもいいのか、と聞いた。そして彼が頷く間もないうちにすぐに立ち去ってしまった。
 ラムゾンには彼がなぜまた自分の所にわざわざ顔を見に来たのか理解出来なかった。あいつは魔工大の研究者か何かで、神官警察に特命で連れてこられたらしいという事は聞いていたが、さぞかし非現実的な妄想で自分の脳味噌をはち切れんばかりにしているに違いないと一人で愚痴を言っていた。
 しかし、ラムゾンはもう一度、他の封筒から他の種類の他殺体の写真のコレクションを取り出すと、仕事と称してそれに見入った。今度入る仕事はつまらない医療がらみの変死体などでなければいいが。
 と、スタンドの光が輪を作って机の写真に落ちる様子を見ながら、彼は濃い目のコーヒーを二口、音を立ててすすった。

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