エテルキフ SF小説 : 著 岩倉義人

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28章

 ロジアはそれらの部屋の調度を架空の空間の中に一つずつ、思い出すようにして生み出していった。そして、最後に作り出したものは自分自身の視覚イメージだった。それは自分の意識の中にはあるはずは無いので、生命の構造式に直接、問い掛けてそれを鏡に二度反射させて自分の姿を作った。

 ロジアはその部屋の中を歩きイスに座ろうとしたが、あることに気付いた。
 ツェリトがいなかったのだ。
「そうか、ツェリト。聞いているか? 僕は、君の姿を空間膜に捕らわれていたところしか見ていない。そんな断片的なものでは、生きている姿を作り上げることなんて出来るはずはないんだ。だから、僕が手助けするから、君は自分の命を作っているものに聞いて、自分の外側からの姿を作らなければならない。」
 ロジアは誰もいない部屋の中で、どこか天井辺りに向かって静かに話しかけた。
「そこに行くにはどうすればいいの?」
 かすかにツェリトの声が聞こえていた。
「別に簡単だよ。現に君は今、私に話しかけているじゃないか。その声だって、ここでは本当は存在していないものなんだ。それと同じ様にやれば良いだけさ。」
「分かったわ。今からやってみるから。」
 この様な普通の論理性をはるかに越えてしまっているところでは、感覚システムは全く違った形をしている。それに認識の可能性を与えるために色と形や感触を仮に与えているにすぎない。しかし、ツェリトが自分の姿を空想する時、彼女の世界そのものが極端に小さくされていたのだから、もう一度世界を作り直すのと同じだとロジアは思った。

 彼女がロジアの部屋の中に作り出した姿は、思った通り不安そうな表情を浮かベていた。
 しかし、霧の中で閉じ込められて死体のように見えていたときとは違い、もう少し幼く見えた。
「あなたがロジアさん? この部屋、とってもいい香りがする。」
 ロジアは軽くうなずいてから、答えた。
「そりゃそうさ。このお菓子だって焼きたてだからね。多分、すごく美味しいよ。」
 ツェリトは、テーブルに急いで近付くと、ロジアがたった今、産み出したばかりのお菓子と軽く湯気を立てているティーポットなどを見下ろした。
 それらは全て無地の白い磁器で出来ていた。ロジアが思い浮かベるそれらには不思議なことに模様がなかったからだ。

 ツェリトはまだ、イスに座ることを忘れてそれらに楽しそうに見入っていた。ロジアは席からゆっくりと立つと彼女のイスを引いた。そばで見ると彼女の綺麗な金髪が横顔を透かしていた。
「どうぞ、ゆっくり座ってから、食べたらどうだい?」
 ツェリトは少し驚いてロジアを見ていたが、おとなしく席に着いた。
「ええ。ありがとう。」
 ロジアは二人のカップにお茶を注いだ。香りも本物そっくりだった。俺の記憶もなかなかたいしたものだ。彼は一人で喜んでいた。
「さあ、冷めないうちに飲んでくれ。」
 ロジアがカップを差し出すと、彼女は安心したように溜め息をついて、一口だけ紅茶を含んだ。
 それから、二人は小麦粉の焼き菓子をカリカリ音を立てて食べた。中には木苺のジャムが入っていた。全部、食べ終わるとツェリトは、白い皿の上に残っている、つぶつぶしたパイのかさぶたを唾で濡らした指先でくっつけて拾って、遊んでいるように口に運んだ。

「このパイはあなたが作ったの?」
「いいや。僕のお母さんが昔、作ってくれたのを僕が今でも覚えていただけさ。だから、僕は作り方なんて全く知らないけれどね。」
「そう。私のママもたまにホットケーキを作ってくれたわ。私が小さかった頃はやさしかったのよ。」
 ロジアは彼女の目を軽く、真っ直ぐに見た。
「ここから抜け出して、リズに会いたくないのかい? いくらここのパイが美味しくたってこんなものは、ただの幻に過ぎないんだ。それに、リズは今だって君にやさしいじゃないか。」
 ツェリトはくちびるを強くかんでから言った。
「違うわ。あの人は私がしたいと思っていることと逆の事を私に常にやらせた。いいえ、本当はそうでなくて私の望んでいることが、何時の間にか彼女が望んでいる事そのものにされてしまったのよ。彼女にはもう二度と会いたくもないわ。」
「その事が君の死にたい理由なのか?」
「そうよ。彼女は私の意思を無視することで私を死んだも同然にしたのよ。だから、もうすでに死んでいる私自身を、私が殺してやったとしても、別に間違いじゃないわ。殺されている心にふさわしい、殺された体を与えてやろうとしているだけじゃない。もう、話は終わったわ。あんた、さっさと帰ってよ。」
 ツェリトは激しく怒鳴った。しかし、ロジアは何も感じていないかのように冷静に、微笑んでいた。

「確かに君の自殺を止める気は僕には無い。でも、君がいくら死のうとしたって今まで通りそれは出来ない。デル・サカルナサスが君の自殺を食い止めるからだ。このままでは君の嫌っている、コントロールされ続けることの中に君は居続けなければならない事になるんだ。」
 ロジアは最後の言葉をやさしく言った。
「それでも良いのかい?」
 彼女はおびえたように、ささやいた。
「そしたら、私はどうしたら良いの?」
「君が自殺するかどうかは君自身が決めれば良い。私が出来るのは君がこの被膜を抜け出すにはどうすれば良いか、その方法を教えてあげることだけだ。
 それはとてつもなく簡単なことさ。つまり、君が自殺したい欲求を捨てさえすれば、デル・サカルナサスは被膜を解くだろう。君を無時間の柵の中に閉じ込めておく必要が無くなってしまうからな。」
 ロジアは自分の言っている推測が間違っていないかどうか反問せざるを得なかった。彼女自身の物質性がもうすでに生命構造式そのものに耐えられなくなっていて、意識の自閉化作用として空間膜を作っているとしたら。
 ロジアがしばらく考えに沈んでいる間、ツェリトも口を噤んで動かなかった。そして、もう一度ロジアを見た。

「確かにデル・サカルナサスが私をコントロールし続けていたことを、私は知っていたわ。
 ある人に教えてもらったのよ。その事をね。」
 ロジアは驚いて彼女の目を見詰め返した。
「その男の名前はグリセル・ゴトルヒンじゃないのか?」
「ええ、そうよ、どうして知っているの。でも、彼の声しか思い出せない。
 とぎれとぎれの夢みたいにね。」

 ゴトルヒンは彼女にその事を伝えることで、彼女が被膜を作り出す事を予想していたに違いなかった。しかし、でも何のためにそんな事をしたのだろう。ただ、そのような恐ろしい特異点を作り出すことに楽しみを覚えたのかもしれなかった。
「一番あなたをコントロールしようとしている者は、そのゴトルヒンだということに気付いているのか? それに私がもう一つだけ君に言っておけることを思い出した。とても大事なことだ。
 君の事をもし、私が膜の中から連れ出すのを失敗したら、君の母親のリズは君の事を、デル・サカルナサスを使って殺すと言っていた。」

 彼女はショックを受けたように、膝を小刻みに震わせた。それはリズに初めて会った時とそっくりに見えた。
「ママが、私の事を殺すと言っていたって?」
「そうだ、彼女は君の意思がサカルナサスによって妨げられていることに半ば気付いていた。だから、今は彼女は君の意思をその通りにしようとして、君を殺そうとしているんだ。
だから、君の事を彼女は考えていると僕がさっき言ったじゃないか。
 君はこのままここに居て、リズによってサカルナサスの限界を越えたコントロール性の中で内側に潰されて死ぬのか、それとも、私と一緒にここを出て自分で死ぬのかどちらかを選べば良いんだ。
 確かに二番目の事をかなえるには、いったん死ぬことを諦めなければならないがね。」

 ツェリトの膝はまだ震えていた。
「だが、グリセルの言っていた事が部分的にしか真実でないことに僕は気付いた。もともとはサカルナサスは君を生かすためにその作用を用いていた。
 この空間膜は一見、君の事を守っているみたいだが、本当はそうではない。
 君を自殺したいという欲求の中に完全に閉じ込めているのは、サカルナサスそのものなんだ。君を虜にしたいだけなんだよ。それは、物質が無理やり生かされている状態は物質にとって最大限の苦痛なんだ。だから、内側に閉じ込められようと世界を遮断して、自らの意識を仮死状態にするんだよ。」

 ロジアが話し終わると、かなり長い時間が経ってツェリトがつぶやいた。
「私はここから抜け出せるのかな?」
 今度はロジアは優しさを取り戻していた。
「大丈夫さ。僕がちゃんと手助けしてあげるから。そんなに難しくはないはずだ。だって、君と疑似神経の一部をこうしてつないでいるからこそ、僕が君と話が出来るんじゃないか。
だから、君は、君の心理構造の一部を僕に手渡してくれれば、死にたくないというきっかけをあげれるはずだ。
 何かにコントロールされないようにしようとするなら、それがどのように自分を操ろうとしているのかを知ろうとすることで、大体なんとかなるもんさ。君にだってそれが必ず出来るようになると、僕は思うがね。」
「そう、ここまで来てくれてありがとう。ロジアさん。」

 彼女は落ち着きを取り戻しているように見えた。ロジアは近付いていって彼女の白いシャツからでる、ほっそりした手首をそっと取った。
 ロジアは彼女の精神の一部を受け取ろうと集中を始めた。
 彼にはもうすぐ伝わってくるはずのツェリトの恐ろしい自殺欲求のかたまりに耐え切れるかどうか、全く分からなかった。しかしまた、そのことが彼を躊躇させることもなかった。

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