エテルキフ SF小説 : 著 岩倉義人

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27章

 なぜ99位神官のスファルト・ラム・フォトは、赤い羽の虫がデル・サカルナサスだという確証を得る前に実験の再開を許したのか。ロジアの言う通りにでもなると信じていたのだろうか? 
 レンには理解しかねたが、事実そうなって行った。それで、その日から2週間経って、ロジアたちの実験の用意が整えられていったのだった。そして、レンは今回のツェリトの空間膜を破る第二実験には必ず立ち会う様に神官長に厳命されたのだった。

 少しは彼にも不安があったが、ロジアたちならうまくやるだろうと思った。確かに理論的には既に彼の理解の限度をはるかに越えていたのだったが。

 ツェリトの部屋で、デル・サカルナサス・スカルド・ナーバーと親和し始めたロジアは、意外なことに通常のタイプのカプセルと融合していく感覚とたいした差を感じなかった。
 部屋は最初の実験の時にゴムで塞がれたままにされていた。当たり前だったがツェリトも同じ姿勢で3週間待ち続けていたのだ。しかし、彼女がそれを本当に望んでいるのか分かるはずはなかった。だが、ロジアはこの永遠の気違い染みた輪から、彼女を連れ出さなければならないと自分に信じ込ませる他はなかった。

 彼は最初、この前よりも非常にゆっくりと彼女の被膜に触れていった。それは、彼女に自分もサカルナサスを飲んでいることを、すぐには知られたくはなかったからだ。普通の状態の時に、グレナコーンド麻痺症にかかっていない者が薬を飲むと、耐えられないぐらいの幻覚作用があるとされていたが、今、胃の中のカプセルより送り込まれつつあるそれは、十分に時間をかけてロジア自身の神性神経に変えられていたので、その心配は予想通り、今のところ無いようだった。

 彼は慎重に疑似視覚神経を彼女の被膜に触れた。確かに前と同じ風景をしていて、地平線を越えていくところまで、半透明の青い鱗状の神性神経細胞が続いていた。今は壊れた神経が一つも無いからであろう、赤い羽虫に似た修復機構の姿は全く見られなかった。

「よし、なんとか行けそうだな。」
 ロジアは前と同じ様に触手をキリのように細長く延ばし、神性神経の深くに差し込んでいった。前と違うところはその先端にデル・サカルナサスの毒が塗られていたということだ。それは、ロジアの神性神経だったので、彼自身の一部でもあった。その上、ツェリト自身の疑似神経とも容易に溶け込んでいくことが出来るものであるはずだった。

 ロジアが疑似神経の触手の先からツェリトの生命構造式を流し込むと、その不完全な生命は内側を見ることから解放されて死に、元のサカルナサスに戻っていった。
 それは、そのまま放っておくとまた、赤い羽虫として羽化して、内向きの永遠の偽りの死を引き起こそうとした。そして、その虫を潰して物質に戻そうとしても、この歪められた空間の中では何度でも、その目的を果たそうと物質性を蛹として蘇るのだった。一種の完壁な永遠修復機械だった。

 しかし、ロジアはその羽虫が羽化した瞬間に、自分の神性神経として作り上げたサカルナサスの分子をほんの少し霧状にして、触手の先から吹き出したのだった。
 そして、羽虫は霧がかけられると、少しの間ためらって、動きを止めて考えているようだった。ロジアはその親和し合うはずの同じ構成を持つ、神経組織の一部を注意深く融和させていった。

 それから、羽虫が記憶している、ツェリトの生命構造式の隣のすぐ近いところに、ロジアの生命構造式を並んで書き入れていった。その2対の生命構造式が一つの物であるかのように偽装するのもロジアは忘れなかった。
 これで、ロジアの意思でも羽虫のことをコントロールすることが出来るようになったのだ。
 ロジアは彼女の神性神経の核そのものが、デル・サカルナサスであることに初めて気付いたのだが、この羽虫の捕獲装置は極めてうまく行った。

 赤い光の羽虫はその色を少し鈍く変えて、黄色っぽく光った。それは、ロジアの言うことをよく聞いて、ツェリトの神性神経細胞を治していくこともせずにじっとして瞑想を続けた。ロジアの神性神経がツェリトの神経の死んだ断片をすっぽりくるんでいるのだった。
 ロジアは気を良くして次々と細胞を壊し、羽虫に捕獲コートをチョコレートのようにかけていった。羽虫たちは夢を見るようにして眠りに落ちていった。
 それは、確かに途方もなく根気のいる作業だったが、羽虫たちのじっとしている様子はなかなか美しくて、時間を忘れて彼は霧をかけ続けた。

 そして気が付くともう半分以上のツェリトの神性神経細胞が姿を消し、被膜の表面も薄くなって所々穴が開いているのではないかとロジアは思った。
「ここで、外で見ているはずのキファに一度連絡をしてみようか。彼女の上半身が飛び出るぐらい膜が破れれば、そこから彼女をつかみ出すことだって出来るだろう。しかし、今の僕の意識の集中単位は途方もなく小さい。外の世界は何光年も隔てているのも同じ様なものだな。」

 ロジアは意識の一部を電話線に仕立てて、ゴムの様に引き伸し自分の普通の体の神経の内につなげていった。気を付けなければせっかく麻酔にかけた無限に近い、星の数ぐらいある羽虫たちを全て起こすことになってしまう。

 しばらくして、意識の一部が通常の感覚の中に戻った。それは眩暈にも似た光速以上の錯覚を彼に引き起こした。ただし目はぼんやりとして全てが厚いオブラートにくるまれているように見えた。
 ただ、彼の口元には高感度のマイクが付けられていたから、それを通して隣の部屋に居るキファと話が出来るはずだった。

「キファ、キファ、聞こえるか?」
 ロジア自身には夢の中で誰かに話しかけられている声に似ているように聞こえた。
「そうか、夢の中の声は自分の声だったんだ。しかし、なかなか返事が無いな。」もう一度キファを呼ぶか、考え始めた時だった。声がした。
「ロジア、すごくうまく行っているぞ。後もう少しで被膜が完全に解ける。ただ、薄くなり方が全部の表面で均等に進んでいるから、途中で彼女をつかみ出す事は出来ない。」
 それを聞くロジアの目には、二重に景色が見えていた。現実のおぼろげなツェリトのいるはずの白い影に、無限のオレンジ色をした斑点が重ねられていた。どちらも本物であるはずなのに、存在しない幻にしか見えなかった。

 しばらくして、キファの声が止んだ。話したいことは終わったのかな? 
 しかし、そうロジアが現実世界で声を出すことは出来そうにもなかった。
 猛烈な勢いで、もう一つの現実である疑似神経の世界に引き戻されたからだった。それは、彼の意思などとは関係ない事だった。
 彼を完全に閉じられた世界に呼び戻したのはツェリト・タファルマイヤーだった。
 彼女の精神は彼女自身の分身でもある神性神経、デル・サカルナサスの特殊被膜によって麻痺させられていたのだったが、その力が弱まるに連れて目を覚ますのは当然ともいえることだった。

 そして、今はその彼女の体内にある、普通の物質に半分のみ戻ったサカルナサスは、その内側に作ったロジアの神性神経と直接つながりを持ち引き寄せたのだった。今やその事によってごく部分的にはロジア自身もツェリトであるといえた。

「あなたはだれ?」
 ロジアはおびえたような声の震えに少し快感を覚えた。
「ロジア・エテルキフだ。あなたを永遠に続く、夢の鍵の中から連れ出すために来た。」
 自分もツェリトも仮想の声のみが響いた。ここでは、やはり姿を見ることは出来ないらしい。
「いいえ、違うわ。あなたはデル・サカルナサスと同じ匂いがする。あなたは私たちと同じ民族ではないし、グレナコーンド麻痺症でもないみたいね。
 あなたは彼らと同じよ。私をまた永遠に閉じ込めに来たんだわ。」

 ロジアは少し首を振ってから、ゆっくりと優しく、しかもきっぱりと言い放った。
「デル・サカルナサスは君を守るためにあるんだ。彼らがいなかったらあなたはとっくに自殺して死んでいたじゃないか。」
 しかし、ツェリトはそれを鼻でせせら笑っているようだった。
「守るですって? それは、私が今すぐ死にたいと思っている私自身の意思を妨げているだけじゃないの。私は守られる必要はないわ。」
 ロジアはどうしたら良いか分からなくなって、溜め息を付いた。なるほど、私の中にある、神性神経のサカルナサスの匂いをやはり彼女は嗅ぎ取ってしまったらしいな。
 確かに彼女はまだ、死にたいとはっきり自覚しているようだ。その反作用によって、彼女の残された神性神経は空間膜を強め始めたみたいだ。なんとかして彼女を自殺したいという欲求からそらさないと。

「確かに君が自殺を止めることを強制する気なんて、僕にはさらさらないがね。ただ僕が君にしてあげられることを一つだけ思い付いたよ。
 君は長い間、そうやって閉じ込められてきたみたいだけど、最後に一度、この空想の空間の中でテーブルにでも座って、お茶でも一杯飲まないか? 
 僕もいい加減、疲れたし、それが終わったら帰るよ。」
 ツェリトは怪訝そうに言った。
「何言ってるの? あなた。そんな事、出来っこないじゃない。」
 軽く、ロジアは笑った。
「大丈夫さ。出来るはずだ。僕はこの中の空間ならある程度操ることが出来るんだ。」

 ロジアは少し考え込んだ。どのような部屋が良いんだろうか。白くて円いテーブルに、ゆったりした木のイスが二つ欲しいな。あと、お茶だけじゃなくてなんとかいう小麦粉を焼いて膨らましたお菓子もほしいな、名前なんてどうでもいいんだ。味はしっかり覚えているから。あとは、カーテンとそれが揺らめくための窓があったらなおいい。
 ロジアは自分の考えていたものに、ここ数年出会っていないことに気付いた。

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