エテルキフ SF小説 : 著 岩倉義人

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21章

 その「ビル・アンドレージュ」の謎をようやく理解することが出来たのはロジアが、キファ・エウリクタと共同で研究を始めてからだった。
 彼は生命魔工学のうち、神性神経の発露機構を専門に研究していたので、ロジアはもともと親友である彼に絶対に理解できないだろうと面白がってアンドレージュを見せたのだった。
 最初は、その殺人機械と呼ばれている鉄の筒を、キファはいぶかしげに眺めるだけだったが、ロジアの話を聞くうちに異常な興味を感じ始めたように見えた。
「君の話を聞いて一番興味深いのは、第一何のために犯人は、こんな複雑な機械を使って無意味で不可解な現象を引き起こしたのか、ということだよ。
 犯人だけの、魔工技術を用いた完全に孤立した宗教みたいなものかな。」

 ロジアは研究室の床に転がる小さなビスを見詰めながら答えた。それは目を伏せているようだった。
「ああ、そうだ、最も個人的で狂暴な夢さ。コルマ・グレックは、捕まると同時に犯行を自白してしまったんだから犯行隠蔽なんていう、どうでもいいことのためにこの機械を使ったわけじゃないのは間違いないだろう。」
「そうか、とにかく俺にもその犯行現場の血の霧のビデオを見せてくれないか?」
 ロジアはその後、もちろん頷いたのではあるが、キファの目の中にコルマ・グレックと同種の狂暴で唯一の夢への熱狂である、オレンジの光の鋭い反射を見付けたのだった。それは、もちろんただのライトの光だったのだが、その血の霧のビデオをもうすでに見ているのではないかと、疑いたくなるような熱狂を想像させるものだった。

 「ビル・アンドレージュ」からその後の3年をかけてロジアとキファが発見したことは、実に興味深い事だった。

 詳しく述べてみると、アンドレージュの死体のある部屋の血の霧とは、やはり、ロジアの予想した通り、血の幻影、映像であった。しかし、それのみではなく、血の持つ物質性そのものも反映しているのではないかという理論を、キファが組み立てたのだった。装置の中に神性神経を発露させていく機構の一種らしきものをキファは見付けた。それを用いて触れることの出来ない霧を作り出したのだった。
 しかし、それは触ろうとするものがゆっくりと運動している時だけだ。神官警察の検査管がピンセットにガーゼを挟み、部屋の入り口に立ち、霧の中に向かってそれを素早く動かしたときのみ、ガーゼには血液が染み着いたのだった。なぜそうなったかを知るには、針の球の様な犯人を捕まえる手掛かりになった、小さな部品の機能を知る必要があった。
 それは圧縮された気体を閉じ込めるための容器だったが、0・5ミリの通路が針の数だけ無数に開けられていた。1つ目は、血液の入ったビンに繋がっていた。ビル・アンドレージュの血液だ。
 それはまず気体化されて、銀の針のついた密閉容器に送られる。そして、出口である100以上の通路、銀の針の通路を通りその行き止まりにある連結口に達するのだった。
 そこから、血管のように廻らされている銅管を通って最後の到達点にある、その針の数だけある2ミリのレンズを用いて、血の霧は部屋中に映像として投影された。
 しかし、その針の行き先の1本のみの機能は違っていた。そこには、わざと空間歪曲力を最小限に減らされた、簡単な神性神経化装置が眠っていた。それは通常は、幻影の中の血の粒子のうちの数パーセントをアンドレージュの針の容器の中の血液と対応させることによって神性神経化していた。
 神性神経化は理論的には生きている固体の生命構造を触媒として用いるものだったが、ここでは、神経の発露力を空間歪曲に用いないことによって、それが成り立っていた。つまり、神経を仮死状態に眠らせることによって、その宿主がすでに死んでいることから目を反らされているのだった。その機能が目覚める時、それは、霧の中の幻影の中に物がある一定以上のスピードで突っ込ん出来たときのみ起こるのだが、その時一瞬だけ、無理やり神経は叩き起こされる。しかし、その神経は当たり前だがすぐに死んでしまうのだ。
そして、その最小の空間被膜が破られることによって、不可解ともいえることなのだが、針のついた気密容器の中の血液がその離れた空間地点に対応してそこにこびりつくのだった。それが空間に意図的に血を流させる唯一の方法の説明としてロジアとキファが考え出した仮説だった。

 それは実体であるミクロコスモスと、幻影であるマクロコスモスとの対応現象であるといえるものだった。
 それを立証するための実験を繰り返すうちに、彼らは生命体そのものの神性神経化の理論に辿り着いたのだった。それは最大の発露力を持つ、当時のジスで神とされていた、神性意識、核熱鉄器、それにその同体といえる99位神官の領分を犯すことになるのを彼らは気付いているはずだった。
 それにも関わらず、彼らの研究は続けられていた、間接的に99位神官から資金を得てだったが。

 そして、ロジアはツェリトの事を話し合うために、ひさしぶりにキファの研究室を訪れたのだった。そこに行くには大学の外側に付けられた回り階段を5階まで螺旋状に登らなければならなかった。4階までは建物の内側に普通の階段が作られているのだったが、もとは天井裏の部分である4階以上にも部屋を設けようとしたとき、中をぶち抜くことは建物が古いために危険であると判断されたからだった。

 ジス中央魔工大もジス市内の建物と同じ様に古い神殿の改築されたものだった。その表面には元は白い石灰岩が張り付けられていたが、今はぼろぼろになったそれを覆うようにして、鉄板が満遍なく甲虫の皮膚のように打ち付けられていて、水色に塗られた塗料が光っていた。

 その殻を外側から眺めながら、ロジアは階段に絶え間なく低い音を響かせていた。殻に塗られた水色の膜は強力な防電磁性を保っていた。それがなくては中にいる研究者たちは気が狂って、自殺でもしてしまうんだとも、言いたげだな。と、ロジアは思っていた。
 キファの研究室のドアを開けると、いつも通り薄暗く、沢山の壁際に並べられた演算機たちが低く、唸り声を上げていた。溜め息をつくようにして機械たちは生きていた。それらはキファの奴隷なのだから。
「おい、ロジア。部屋に入ったら、何とか言わないと驚くじゃないか。」
 声をかけられてからやっと、キファが部屋の中にすでにいたのに、やっとロジアは気付いた。
「すまない、前来たときと機械の配置が全然違ってたからさ。」
 奴の気配は機械と同じ様に押し殺されてるからな。
「レンもしばらくしたらこっちに来るはずだ。下の会議室を使おう。先に行っててくれないか。」
 キファはそう言って、防電磁ゴーグルを取った。

 下の階の会議室は天井が異常に低い。ロジアは少し、息苦しく感じたので窓を開けた。
ブラインド・カーテンの隙間からみる風景は、白い反射に繰り返し寸断されている。それは青と白い光の単純化された横縞だった。
 その後に来たレンとキファとの3人で、ツェリト・クファルマイヤーのことについて話し合った。始めに口を開いたのはキファだった。レンはこの会議中、ほとんど黙って話を聞くのみだった。その目は疲れているのか深く落ち込んで、より瞳を暗く見せていた。
「まず、言っておきたいのはデル・サカルナサスについてだ。
 俺はロジアの仮説には、反対だな。大学の菌類学者と、薬物学者の両方共に話を聞いてみたんだが、一般的に言って、サカルナサスは単なる遺伝病の薬だよ。でも、そのグレナコーンド麻痺症というのは神経系統の麻痺らしいから、薬には神経伝達を促進する特殊な作用があるはずだから、もしかすると、肉体そのものの神性神経化を助ける役割を持ってるかもしれないがね。」
「ツェリトが自分自身で被膜をコントロールして閉じられた空間を作り上げてるっていう可能性はないかな?」
 キファは苛立っているようだった。
「自分で自分を閉じ込めているだって? 自分の母親に殺されるかもしれないのに、そんな事があるはずないだろう。」
 ここで、初めてレンが口を開いた。面倒なのか、声が出る最小限しか唇に隙間を作らなかった。
「そんなことは今は、どっちでもいい。何か犯人につながる手掛かりはあったのかね。それに、私が気になったのは、ツェリトの被膜がそのままだったら、彼女の母親のリズがデル・サカルナサスをツェリトの口に多量に流し込んで彼女を殺すつもりだ。とか言ってたらしいが、そいつについてはどうなんだ? なぜ、その時だけ被膜が破けるんだ。」
 それを聞いてロジアとキファは少し顔を見合わせて、フフッと苦笑した。
「確証なんてものは、全然無いよ。まえのコルマ・グレックみたいには行きそうもない。
万が一どうにもならなかったときには、そのまま放っておいて神官警察のほうで犯人を捕まえてから、被膜の封印を解かさせれば良いじゃないか。もちろん母親を厳重に閉じ込めておいての話だが。」
 レンはキファに嘲られたのを無視して話を続けた。
「確かにそうだ。99位神官から新しい犯人のモンタージュを手に入れたんだが、それだって合っているかどうか少々疑問だ。」
 しばらく、レンは口をつぐんでいた。

「それで、2つ目の質間に答えてくれ。リズが薬を彼女に流し込もうとした時、何が起こりうるかということだ。」
 ロジアは思い出たように鞄の中を探り、半透明のピルケースを取り出した。手のひらに十分収まりきる大きさだった。そして蓋を開けると、何の変哲もないカプセルがピルケースの蜂の巣のような小さな小部屋に、1つずつ収まっているのを見せた。
 カプセルはちょうど真ん中の合わせ目のところから、赤と白に分かれていた。レンはその1つを手に摘んで、鼻先へ持っていき匂いを嗅いだ。ほんの少し、苛立たせるようなプラスチック製品の香りがしていた。
 ロジアは話し始めた。
「これがデル・サカルナサスさ。私たちもその事に疑間を持ったからツェリトの所に行って実験をしてみたんだ。この薬をピンセットに挟んでね。
 まず、彼女の腕の上の肩口のところに被膜の上から押し付けてみた。すると、他の物と同じようにジュッといって焦げただけだった。カプセルのみの話だが。空間膜の強度をその間中ずっと計っていたんだが、やっぱり全然、変化は無かったんだ。最後に彼女の唇の辺りにそっと押し付けてみたんだが、結果は同じだった。
 でも、彼女の空間膜の強度は全部の場所で一定という訳ではないことだけは、分かったんだ。彼女の口の回りのところだけほんの少し被膜は薄かった。
 一昨日の時点ではね。」
「なるほど、それでどうするんだ。」

キファは汚らしい染みのようなひげをさすった。
「私とロジアが考えた方法は1つきりだ。
 いくら、ツェリトの空間被膜が普通では破けないとはいえ、前のセミ・トリノフェタの部屋に張られていたものに比べるとかなり弱いものなんだよ。
 しかし、一番問題になっているのは、彼女の空間膜を作り出している装置、つまり、封印紋での鍵に当たるものなんだが、それが被膜の内側に入り込んでしまっているということなんだ。そうなると、鍵に直接働き掛けて神性神経の元になっている誰かの生命の構造式を盗み出すことなんて出来ないじゃないか。内側からかんぬきの掛かっている部屋に入るには部屋のドアを打ち壊すほかはない。しかし、トリノフェタの時とは違って、その入れない部屋に当たるものはツェリト自身の体なんだよ。この場合は。
 しかし、神性神経を使った鍵というのは一つ欠点があって、その膜が発露している最中には鍵そのものと膜を同時に移動させる事が出来ないんだ。
 だから、その事を利用しない手は無いだろう。
 それには、トリノフェタの事件の時に使ったオート・スカルド・ナーバーを小さく、改良したものを使おうと思うんだが。空間被膜のコントロール力では大きい奴にずっと劣るんだが、ツェリト自身の被膜もそれほど強くないのでこれで十分だと予想しているんだ。
 今までに私が開発してきた技術の単なる応用ともいえるんだが、そのもの自体は小さな金属性のカプセルで出来ている。ちょうど飲み込めるぐらいの普通の薬のサイズと同じぐらいの物だ。それをこのカテーテルを使って、のどの奥の胃の中まで押し込む。」
 レンはそのシステム自体には何の興味も感じないふうに、キファが少し前から手の中で遊ばせている銀の金属の棒を目の隅に止めた。
 そのカテーテルはトカゲの尾の様に繊細な関節を持つ50センチの棒で、一番先には針のような鉤爪が6本、ガラス質の光を放っていた。そこに致死量に十分なぐらいの毒薬を含んだカプセルが挟まれて、自分の喉の粘膜を通り、挿入されていく感覚をロジアは憂想して、楽しんでいた。しかし、レンが話し始めたことで、それは妨げられたのだった。

 「俺の知りたいのは、その実現性だけだ。それが今、分かったんだからツェリトの膜を破って引き摺り出さない訳にはいかないだろう。そうやって、何かの証拠を見付け出せなかったら、グリセル・ゴトルヒンの野郎だって捕まりようがないんだからな。
 だから、いつその準備が出来るんだ?」
 キファはカテーテルを持ち遊ぶ手を止めて、哀れむような無表情さを作って見せた。
「早くて2週間後だ。金は十分用意してくれ。」

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