エテルキフ SF小説 : 著 岩倉義人

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20章

 ロジアは3年前の事件の時、犯人の用いた凶器である、魔工学機械の部品の特徴から犯人が中央魔工大生である可能性が高いことを知った。
 それは非常に精密な気体の密封装置の一種だった。もっともその大きさはビー玉ぐらいしかない金属の玉で、白い触手のような針が中心部から何本も突き出し、珍しいカビの胞子の結晶体構造を思い出させるものだった。
 その時彼は、凶器がどのようにして人を殺したのかを調べるために、99位神官に命令されて神官警察院に入ったのだが、犯人を見付けるのにも重要な役割を果たしたのだった。
 その特殊な部品が魔工大の中で盗掘品として持ち込まれて売られているのを彼は知っていた。魔工大を専属に相手をする盗掘商が送り付けてきたカタログの中にそれはあった。
 いつもながら25パーセントの誇張に満ちた文章で神秘が語られていて、一体何に使ったらいいか見当も付かないような代物だった。しかし、それでも犯人を見付ける唯一の強力な手掛かりになったのは確かだった。
 今回の事件のような複雑さは無かったのだし、捜査はそれでうまく行ったのだからレンたちは喜んでいるようだった。犯人さえ見付かって核熱鉄器と99位神官が納得しさえすれば、問題は無いのだから。

 そう考えつつ、ロジアは小型の電気自動車を走らせていた。警察院から、クリーム色の硬化タイルにびっしり覆われた、巨大な幹線道路を通って行った。その道路は終わることのない橋のようなものでアウトバーンを形作っていた。ロジアは地下のボイラー室にも似たモーターの音を聞きながら、目の前のフロントガラスの向こう側から際限なく自分の方に流れ込むタイルの列の、早すぎて見ることの出来るはずのない継ぎ目を見ようとしていた。
 確かにそれほど速度を上げていなくても継ぎ目は見えない、隠されたノイズになっていた。疑似的な血管のような繊細なノイズ。
 それはコルマ・グレックの事件にロジアが召集された時に、レンから見せられた殺人事件現場を撮影されたビデオフィルムとは、似ているようで違っていた。ロジアはその時のレンの言葉を苦労せずに思い出していた。

「ロジア。今から見せるフィルムをよく見てくれ。
 私たちのした限りの調査では確かに被害者は死んでいる。凶器、それは機械なんだが、どのように被害者を殺したのか、また本当に凶器といえるものなのかさえ分からない。あまりに話が抽象的になりすぎてすまないと思うが。」

 レンのつぶやく、説明の様なものの終わらない間に、彼の補佐官たちによってビデオが流し始められていた。
 ロジアの表情が固まるのを見て、レンは話すのを止めて自分の背中越しになっているモニターの方に体をねじった。
 ビデオの画質は大変荒れていた。ビデオの識別用の白い紙に書かれた文字が画面に映し出されてはいたが、読みとられるのを拒むようにして時々身をよじった。
「329年、10月21日、アンドレージュ宅。
 事件の2日後だ。画質は撮影機が古いんでそのせいもあるだろうが、もしかすると、凶器の機械が出している磁気かなにかに影響を受けているのかもしれない。」

 その先に映されたのは、ごく一般的なアパートの部屋だった。全く荒らされてもいず、ソファーや机までの調度が全て白で統一されていた。しかし、その安らかな様子はまだ先に部屋があることを示していた。今は事件の添え物として死体に捧げられる家具たち。案の定、次の部屋に移るための手が画面の下から急に伸びてきて、銀色のドアノブを握った。

 次の部屋に何が映し出されているのか、ロジアはなかなか理解できなかった。それは赤い霧だった。しかし、霧の粒子にカメラのヒントを合わせるとそれは網目状の構造を持ち、脈打つようにして様々な方向に空気中を流れていた。部屋じゅうをそれが覆い隠していたのだった。

「この霧はドアを開けても決して部屋の外に出ようとはしないんだ。ただ永遠にぐるぐる回ってるだけさ。確かにこの霧、実は血液なんだが、意思を持ってるみたいなんだよ。ほら、カメラが部屋の中に入っていくよ。それでも、レンズに決してこびりついたりしない。
霧たちはその空間分だけよけて、招き入れてくれるんだ。だから、もちろん撮影者の服にも髪の毛にも一滴も血は付かなかった。」
 しばらく、画面には流動的に動く赤い波が全部を覆い、ロジアたちのいる、いつの間にか電気の消された部屋をも赤く染めた。それは狂暴でいて臆病な赤い、途方もないノイズの嵐だった。しかし、突然、完全に白く変化した。
 しばらく見ているとそれがビニールの様なものであるのに気付いた。
「これは死体袋のビニールだ。私たちが彼を見付けた時、霧は一時的に薄まっていたので、とにかく死体袋に入れた。しかし、しばらくして、死体を取りに戻るとこの有様だった。
この映像はそれごしに死体を見ているんだが、よく目を凝らしてみてくれ。感度を最大まで上げてるから見にくいんだが。」
 確かに、いや確実に白いオブラートの中に見慣れた形が浮かん出来た。それは始め、青い球体でしかなかったのだがそれは、目の瞳だった。その濁ったゼリー色は、ロジアが死んだ祖母にむりやり小さいときにキスされたときと同じ色をしていた。
 モニター画面そのものに巨大な目が出来たようにロジアには感じた。しかし、その次の一瞬には鼻の限界まで引き伸ばされた拡大図が映され、そして口びるが映されていった。

 最後にビニールが余裕を持てるアングルがようやく見付けられたのか、顔全体が映し出された。虚ろな目をした、清潔そうな肌をした青年だった。
「ビル・アンドレージュだよ。彼の友人に見せたんだ。その友人はジス教大の神学部の生徒で今は清掃員をしている。これでビデオはお終いだ。君にも実際に見てもらいたかったんだが、彼の死体をこの部屋から運び出したとたん急に霧が液体になってしまって、部屋中完全な赤い壁紙、赤いカーテン、赤いソファ、赤いイスになってしまった。それも全く音もなく一瞬にしてだよ。」

 電気の付けられた部屋で、モニターに向けてレンは捩じったままだった首を元に戻しながら言った。うす笑いをして、喉をその言葉が通り過ぎていく感じを楽しんでいるようだった。
「確かに彼は体中の全血液を絞りとられていたにもかかわらず、彼のミイラには傷一つ無かったんだ。もっとも防腐処理用のプラスチック樹脂を血の代わりに入れられていたから、何の変化もないように見えた。さっきみたいにただ、虚ろな目をした青年が、起きもせずに、瞑想でもしているふうな感じにね。
 それで、君にはこの装置を調べてもらいたいんだ。どういうものかね。
しかし、これが、この事件の唯一の凶器となっているのは間違いないと思っているんだが、君に実際に証明してもらいたいんだ。」
 そう言って、その時のレンは円筒型の腰までの高さしかない、直径30センチの汚れた黒い鉄の筒を指差したのだった。

 確かに事件の解決した後にも依然として彼に預けられたままのその機械、「ビル・アンドレージュ」と彼が勝手に呼ぶ機械の研究が、その後の大学での生活のほとんど全てになるとはロジアは全く予想していなかったはずだ。

 今、ツェリトの事件を担当する、ロジアの運転する車の窓に巨大な縦に伸びる幾つものおうとつを持つ建物が映し出された。
その不自然に塗られた水色の塗料のなまめかしさは、その大学、ジス国中央魔工大の性質をよく表していた。
 ロジアにはビデオで見たビル・アンドレージュの死体とツェリト・クファルマイヤーとは同じ様にも見えた。ある面、血の霧の中のビルは永遠に生き続けていたのだから。
 彼がビル・アンドレージュ事件の後、その装置について、何を思考し、分析していったかということについて、思い出してみるのも悪くはないだろう。

 なぜ、レンたちが、ビルの死体をベッドから取り除けた一瞬の後に、音もなく霧になっていた彼の血液が、床に落ち、こびりついたのかということについてだ。
 正確には、レンたちが赤い血の霧の粒子の中を手探りで入って行って死体袋のビニールごと、部屋の入り口まで引き摺っていき、居間に出て、ドアを閉めた瞬間にその落下が始まったのであろうと思われる。

 「どうして、血液は、それが慕う宿主のビルが部屋から連れ去られるというのに、黙ってそれを見過ごしたのかな? 
 実際にはあの霧はビルの死体のことが頭の中にあったのではなく、あの部屋の空間そのものに取り付けられた、殺人現場という特殊な空間に捧げられた現象を引き起こすための単なる装置に過ぎないんだ。
 世界そのものに向けられた一つの宗教的装置だ。世界の在りようそのものだけを信仰する個人的宗教に対する夢がこの事件の動因になっているんじゃないかな。」エテルキフは考えを進めた。

 世界そのものに対する唯一の特異点を、犯人であるコルマ・グロックは夢想していた。
しかしその悪夢を現実化へと導いた装置とはどのようなものだったのだろう。
 その装置「ビル・アンドレージュ」は、半径30センチ、高さ1メートルで、鉄の筒の中身は数段に分かれていた。一番下の段には一種の液体凝結装置が内蔵されていた。それと同じ様なものを大学の実験で使っていたので、その機能はロジアにはすぐに察しが着いた。
 しかし、上三分の二を占める部分は、すぐには見当も着きそうもなかった。
 確かにもう一度動かしてみさえすれば分かるはずだったが、犯人の意図によったのかははっきりとしなかったが、中の配線が完全にアンドレージュの血液でショートしてしまっていて、機械は死んでいるのも同然だった。
 だが、それを記録しつつ分解、解剖をしていくうちに、針の玉のような犯人の証拠の一つとなりうる部品を見付けたのだった。
 ただ、その大きめの鉄の筒の側面には、0・5ミリのレンズが無数に植え付けられているのだけはすぐに気付いた。
 そして、事件の後の長い時間を使って、彼は一つの推測を組み立てた。

「犯人は一体、液体凝結装置を何に用いたんだろうか? それにこの装置の中には霧を発生させて噴霧するようなものが入ってないのだけは確かだ。すると、あの霧は何なのか。
 多分、仕組みは単純で、一種の幻影としてあの霧は浮いているように見せ掛けられていたのにすぎない。あの無数に増やされたレンズの目を用いて、犯人は前もって抜きとった血を部屋中に塗り付けて、凝結装置のスイッチを入れた。だから、だれがあとから部屋の中に入ってきても、血が靴底にこびりつくことがなかったんだ。そしてビルの死体がベッドから動かされてしばらく経ったら、霧の幻影・ホログラムのスイッチが切れるようになっていたんだろう。それで凝結の解けたばかりの血液は新鮮であるように見えたのだ。」
 しかし、そのような説明では宙に浮く霧の中から実際に直接接種されたビルの血の謎については考えが及ばなくなってしまうのは明らかだった。どのようにして、ビルに傷一つ付けないで血液全部を取り出し、プラスチックの人形、偽物のダッチワイフに仕立てあげたかという過程は犯人の逮捕後も謎のままだった。それは犯人であるコルマ・グレックが刑の確定後にさらに取り調べの尋間を受けるうちにお決まりの自殺を遂げてしまったからである。

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