エテルキフ SF小説 : 著 岩倉義人

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19章

 「キファ。生命魔工学の、それに生理的可能性から言っても、ツェリトがあんなふうに、空間歪曲膜を自分自身でまゆを作るようにして吐き出したなんて有り得ると思うか?」
 捜査室に戻ったロジアは、受話器を握り締めていた。そして、一瞬の間だけ戸口に目をやった。部屋に誰もいないのを反射的に確認する儀式として。
「グレナコーンド麻痺症か。単なる遺伝病の一種なんだろう? その病気がそれに当たる症例に変化した事がないかどうか調べてみる価値は有るだろうと思う。
 それで、そのデル・サカルナサスという薬は一般に市販されているそうじゃないか。とにかく、そっちの科学班では手に負えないかも知れないから、薬学部の教授にでも聞いてみるよ。」
「ああ、頼む。もしかすると、私がオートスカルドナーバーを使って、彼女のまゆを単純に無理やりこじ開けたりしたら、ひどく危険かもしれないからな。」
 ロジアはメモ台の針に刺された紙を眺めた。それは静かに置かれた受話器によって、わずかに揺れていた。
 本当の事を言うと、ロジアは空間膜のベールを無理やり狂暴に剥いででも、彼女の肌に触れたかったのだろう。しかし、ロジアはリズの言っていた事の内、とても奇妙な事に気が付いていた。
「彼女の家系のうち、かなりの者が麻痺症になると、リズは言っていた。そして、その治療薬であるデル・サカルナサスの副作用によって空間膜を作り、その中に閉じ籠ってしまう者も時には出てくると。
 しかし、なぜその空間膜を割る方法が、その人の口の中にデル・サカルナサスを流し込むというものなのだろう。どういう種類の毒物であるとしても、その空間膜に隙間を作るという魔工学的な複雑なアクションを持つはずはないだろう。
 だから、こういうふうには言えないだろうか。
 リズの父親が死んだ時、デル・サカルナサスの作用そのものが、彼の口を開かせたのではなく、それを一種の信号の様に受け取って、彼が自分自身の意思で空間膜に隙間を開かせたのではないだろうか。それまでに彼の体の中に溶け込んだデル・サカルナサスのかたまりが、オートスカルドナーバーみたいになっていたとしたらその事は有り得るだろう。
 だが、もう一つの可能性が生まれるじゃないか。毒の錠剤を口に押し込んだというリズのお婆さんも、サカルナサスを飲んでいただろうから、空間膜をほんの少しの間、こじ開ける事ぐらいは出来るはずだ。それは殺意の持つ力だ。
 それは父親が閉じ籠ろうとする意思に最大限答えていることなのだろう。麻痺症の副作用は完全なる死、永遠に引き伸ばされた時間への指向性が引き起こしているのだ。
 実に私自身の誇大妄想だな、これは。」
 その事は、彼の前の実験の中で得た、この時点では彼の空想の中でのみ機能する魔科学埋論であって、のちに生命と物質の間の共振性理論に付け加えようと試すのも面白いだろうと彼は考えた。

 次の日、早朝からロジア・エテルキフとジムはガダニヒト街に向かった。
 これらのロジアの考えと全く正反対であるかのような事実のために。
「君はあのツェリトの美しさは犯人の仕掛けた精神侵害矢にだまされた、単なる妄想みたいなものだとは思わないか?」
 ロジアはツェリトのいるベッドの下に顔を突っ込んで、豚のような息をしているジムの大きめのお尻に親しげに話しかけた。彼らは犯人により仕掛けられたと思われる、精神侵害矢の発生装置を探していたのだった。
 ロジアは彼の後の方の部屋の隅に腰掛けて、少しだけ木馬に乗るようにその椅子を左右に揺らし、それに合わせて不格好なちいさな鉄の箱を膝に乗せて撫でていた。それは神官警察には4つほどしかない精神防護膜発生装置の一つだった。それは300年前にどこかの都市で発掘された紛い物じみたもので、神経伝達による電源のON/OFF機構が不安定なために常に防護膜を張るためには、実に大変な集中力を必要とされた。
「大丈夫ですか? ロジアさん。探すのと交替しましょうか。」
ロジアはふと、目の前に屈み込むジムの黒くて大きい顔を覗き込んだ。しかし、ロジアは軽く微笑むようにして頷いて、大丈夫だということを示しただけだった。
「俺はこいつを抱いているほうが良い。」銀の禿げ掛けた立方体の箱の側面をカツンと指で弾いて見せた。
 ロジアの見詰めている先には半透明のオブラートに何重にもやさしく、包まれているツェリトの横顔と絡まったままになっている金色の髪の毛とがあった。彼女は永遠にだらだらと引き伸ばされた時間をまとうことを望んでいるのか。
 しかし、彼女とリズ以外にもこの部屋に入った者がいたのは確かだろう。このような安易な精神侵害矢を置くとはレンに対するある種のサービスなのだろうか。
「見付かりました。」
 ジムはベッドの横の壁に掛けられている安物の山小屋の風景画の額をひっくり返してみせた。確かにそこには女物の銀細工のブローチのようなものが張り付いていて、16個開けられた蜘蛛の目を表す穴にはめられた赤い石が順番に、渦巻きを描くように優雅に光っていた。
 ジムはそれを額の裏から引き離すと被膜発生機の横のちいさな戸をあけて放り込んで、急いでまたカチリとしめたのだった。その動作は虫を捕まえて籠にいれる子供に似ていた。
「はは、やりましたね。」
 ジムの歯は土の上に置かれたタイルの様に白かった。
「そうだな。」
 彼を見ているとこれから先の憂欝を少しだけ、ロジアは忘れていた。
「それが無くなって一番喜ぶのは、レンに間違いないな。」
「あの人はこういう奴に一番弱いみたいです。だから、昨日だって膜を張ってるのに、すぐに逃げ出したんですよ。」
「君はまだ警察官をしていただろうから、くわしくは知らないだろうけど、3年くらい前にも僕はここに来て、事件を手伝ってたんだ。その時にもこういうことがあったな。レンが急に産気づいたみたいにゲロゲロいいだしてね。
 ちょうど犯人の家にやっと辿り着いた時のことなんだが。そこに強力な侵害矢が放たれていたのさ。玄関のところに。それでどうしようもないレンを車に残して他の警官と踏み込もうとしたら、僕達は玄関で何時の間にか失神してたよ。だって、その時はまだレンの吐き気の意味なんて全然知らないじゃないか。
 おかげで犯人を逃がしてしまって、捕まえるまでにもう三人殺しやがったんだ。」
 そこまで話すとロジアはその時の嫌悪感を思い出していた。たしかにロジアはその事件の捜査に加わった事で、彼の生命魔工学には考えのきっかけを得たのだったが。
 急に、口数を減らしてしまったロジアを見て、ジムは「一度、警察院に戻りましよう。ヤギの乳でも入れた濃いお茶でも飲みましょうか。」
 と、先に鉄の箱を肩に軽く担ぎ、狭苦しく汚れた階段を気にも止めないで、カツンカツンと降りて行ってしまった。
 その、開け放たれたままになっているドアは緑がかった影を壁の下半分に投げ掛けていて、ロジアはそれを見詰めていた。
 彼の担当していた3年前の事件の犯罪動機と見られるものが今回の事、それはセミ・トリノフェタとツェリト・クファルマイヤーの事件の中で推測されうるものと似ているように思えた。その動機とは物性愛ともいえる、世界そのものへの著名である。そして、両方の事件に共通するものとして死体に対する気違いじみた高度な魔化学的加工が行われているのだった。
 ただ、違うことは3年前の事件の犯人は魔工大の生徒だったということだ。
 その男、コルマ・グレックはその時、生命魔工学科の2年生に在籍していた。
 ロジアは既に研究員になっていて、魔工大の最上階に自分の研究室を持ち、紛い物じみた盗品や発掘品の魔化学のための器材で部屋をいっぱいにしていた。そこにいくら彼が閉じ龍りがちであったとしても、廊下でコルマと擦れ違ったことだってあっただろう。ましてや同じ学科の後輩だったのだから。

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