エテルキフ SF小説 : 著 岩倉義人

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18章

 ロゲス・ジッダ治療官の背中を見詰めながら、ロジアは最近ワックスが塗られたばかりであろう、緑のリノリウムの床の上を歩いていた。時々牛乳を飲み下だし損ねたときのつんとした息苦しさを、そのワックスの香りの中に見つけた。
 リズ・クファルマイヤーのいる病棟はロジアのいた中央棟からは少し離れたところにある。ロジアたちは天井に引かれている、包帯を巻かれたかのような送水管に導かれて進んでいった。もちろん送られているはずの水の音などはしない。どういうわけか、他の患者は見掛けられず、ロゲス・ジッダの白衣のひらめきに青白い日の光が落とされていた。
 三回目の角を曲がった所の、青いペンキが所々はげ落ちた鋼鉄製のドアの前で彼女は足を止め、鍵を穴に差し込んだ。
「ここでお待ち下さい。リズを連れてきますから。」さっきまで話していた声色とは少し違った。治療官としての偽物らしい優しさを持った声色。
「ああ、ありがとう。」
 中は真っ暗だった。ロジアは部屋の電気のスイッチを探した。壁ぞいに手を冷たい漆喰に這わせる。窓にはシャッターが下ろされているのか、中にはきな臭い匂いが立ち込めていた。
 その暗闇の感触の中にロジアはセミ・トリノフェタに夢の中で触れた時の感触を思い出した。トリノフェタとリズは同じ遺伝病を持っている。それにかなり高い確率で、ツェリトもそうなのではないだろうか。それが核熱鉄器がツェリトに対する犯行もゴトルヒンのものであると考えた理由なのだろうか。
 一つ分かったことは、ロゲス治療官にはあの異常な状態である、ツェリトの回りを覆う空間歪曲膜の露出を言い当てることは、絶対に不可能だったということだ。それは空間歪曲膜の特徴は表に現れ出るものではないからで、彼女の知るはずもない演算方式によってその存在を予想することしかできない物だからだ。
彼女のレポートが出来上がるまでには、99位神官、神性意識の回路を一度、巡っていったのだとは言えないだろうか? 
 ロジアは角膜の限界まで蛍光灯に焦点を合わせ続けていたことに、ドアをノックする、金属的なドラムの様な音によって初めて気付いた。
 ロゲスが窓のシャッターを開けたことによって、ロジアの目は2月の冬の清潔すぎる、日の光にさらされた。彼は少しの間、光に目がなじむのを待っていた。目の前に座る二人の女、一人は白衣でもう一人は両手に肘の辺りまで包帯を巻いていた。
「リズ・クファルマイヤーさんです。」
 ロゲスはいつまでもロジアが黙り続けて彼女を観賞しているのではないかと不安にかられたので、そう紹介をした。
「ロジア・エテルキフです。これは取り調べではないので、出来るだけリラックスして答えて下さい。すぐに済むはずですから。」
 リズは痩せこけた、首の付き方が奇妙な感じを見せながらうなずいた。
 彼女の痩せているのはもちろん貧困のためではないだろう。彼女たちのような不法移民と呼ばれている人達は、どのような理由に因るかは分からないが、普通の人達が行き来することの許されていない国境をたやすく越えて生活していたと言われていた。それによって、ジス国内では生産することの出来ない発掘品などを持ち込むことで多額の利益を得ていただろうと言われていたのだ。しかし、それも彼女の遠い祖先の話だが。

 *ジスの国境には核熱鉄器による精神絶対防壁があって、他国の人を寄せ付けることはない。しかし、彼女たちは遺伝子上の欠陥によるためか核熱鉄器内の神性意識には人と関知されずにそれを通り抜けることができる。だが、それが神性意識の意図によるものか、それとも彼女たちの一族の生物学的適応であるといえるものなのかははっきりとはしていない。現在でもその能力を持ち得ているかどうかは、全く分からなくなっている。

 だから、彼女から受けたロジアの印象は忘れがたいものだった。彼女の緑がかった入院服の裾から出る2つの白い膝小僧は、極限まで骨格を見せていて、2本のトロンボーンのとぎれた管、痩せるためだけのオートダイエットマシーンなのだろうと空想していた。
 彼女の体の中の油分は、彼女の瞳の中心だけに凝結している。だから、あのように私のことを切り刻むほど鋭く見詰めることしか出来ないんだろう。
「あの、私はこんなに手に火傷を負ってしまって、物もつかめません。でもそれも仕方のないことだと考えています。」
 彼女は一度くちびるを閉じてから、今度は歯が見えるほど、はっきりと開いた。
「あなたはあの子を助けるつもりがあるのですか?」
「確かにそうしなければならないとは感じていますが、私には出来る限りのことしか出来ません。でも、あなたはちょっとしたヒントをくれると、私は信じているのです。」
「私には差し上げるものなど、まったく無いと思っています。」
 そうリズのくちびるが動いた瞬間に、ロジアはロゲス治療官の方を少しだけ見た。彼女は無感情か、真剣ともいえる視線をロジアに見せていた。灰色の目の虹彩の線がはっきりと見える。
「私はあなたの持っている、遺伝病について少し質問をしたいだけなんです。デル・サカルナサスを飲むことを必要としている病気についてです。
 あなたは、この病気の名前を知っていますか?」
 リズもまた、ちょっとの間だけでも安心感を得たかったのか、ロジアの方から斜めに顔を背けた。窓の外の青白い光の方に。
「グレナコーンド麻痺症と私どもの間では呼ばれています。グレナコーンドとはコメールオル湿地にかつてあったとされる町の名前です。私の父もこの病気にかかっていました。」
「お父さんは現在どうされていますか?」
 リズはその質問に対し、初めてロジアを正確に正面から見据えた。
「すでに死んでいます。28年前です。私が10才の時でした。そのとき、今のツェリトと同じ様に鈍く光っていました。」
「鈍く光っていた?」
「そうです。」彼女は軽く息を吐き出して、ロジアの重苦しい興味の視線の苦痛を感じまいと努力を始めた。それはロジアから見るとじらしているふうにも見えた。
「お父さんが亡くなられた時、ツェリトのような膜にくるまれていたのですね。それを初めて見つけたのはどなたですか?」
「私です。その日の朝、なかなか目を覚まさない父のことを起こしに彼の部屋に行ったのです。でも、私の他の家族、祖母が居たんですが、そう驚いた様子も見せませんでした。私たちの家系では、たまにその様なことが起こるらしく、祖母によるとデル・サカルナサスの副作用によって、そんなふうに光のまゆに囚われてしまうのだそうです。いったんそうなってしまったら死んでいるのも同然なのです。だから、私たちはそのように時間を止めて出来た光のまゆの口にデル・サカルナサスをたくさん一度に流し込んで、その人を殺さねばならないとされています。」
 そこまで言うとリズは口を閉ざした。その後に彼女の祖母が、彼女の父親を殺したということを、言葉として表れさせないために。
 しかし、彼女は光のまゆと化したツェリトを見つけても、その口に毒薬を流し込むことはなかった。ロジアは彼女が感じているはずの嫌悪感を、紫がかった唇のすみに感じとろうと意識を集中させた。ツェリトのまゆはグリセル・ゴトルヒンの作り出したものだと、なぜレン・スコットは断言出来たのであろうか。
 どちらにせよ、ある事への確信を感じた。リズの見た目より頑丈そうな頬骨の辺りを眺めているうちに思い付いたことだ。私がツェリト・クファルマイヤーのあのまゆを引き剥がせなかったら、彼女を助けられなかったら、確実に今度はあの母親はツェリトの口に毒薬をためらいもせず流し込むだろうということだ。
 偽物の永遠よりはその方がましだと彼女たちは感じるのだろう。それは、ツェリトを含めての話でもあるのだが。

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