エテルキフ SF小説 : 著 岩倉義人

>前の章 >次の章 >エテルキフの目次へ >homeへ

17章

 ロジア・エテルキフはその次の日、第3慈善傷病局に向かった。
 この国の傷病局では、いまだに前時代的な馬車が使われている。しかし、意外に思うかもしれないが、それは最近使われ出したのだ。15年前に核熱鉄器の電力生産能力が何らかの事故によって四ヶ月の間、20分の1に激減してしまった事があった。その時から予備的動力源として農村部の家畜が持ち込まれたのだった。
 その非常にシンプルに品種改良をされた馬たちは、極少量のタンパク錠剤を胃内に挿入されるだけで2週間は走り続けた。しかし、人工馬の生殖能力の低下に伴ってその数はここ5年で減り続け、その要度の無くなった十数頭の最後の馬たちは貧民や不法住民たちのための施設である慈善傷病院に送られたのであった。
 ロジアはこの建物に入るときに見かけた銀の毛をした馬たちを思い出した。
 案内された部屋にあるモスグリーンのビニールソファーの座ったとき、その感触にあの馬に触れたときの身震いに似たものがないか、少しの間考えていた。
 灰色のペンキの塗られた部屋のドアが開かれるのを待った。彼はツェリト・クファルマイヤーを診断した治療官を待っていた。彼女が縛り付けられた空間と化しているあの、鉄粉色の灰にまみれたガダニヒト街の部屋に出向き、所見を書いたとされるロゲス・ジッダ治療官を。
 その部屋の狭い窓のアルミフレームの外側には、それだけがこの敷地の優れている点とでも言えるような、巨大な北方杉の林がまとまりを持った影を作っていた。この葉から作る蒸留性植物タンパクがあの人工馬たち、輝く銀の生きる筋肉である、ダゲット馬たちの唯一の食べ物となる。それは、ツェリト・クファルマイヤーの今ある姿に似ていると言えないだろうか。
 しばらくして、その部屋に訪れた治療官は予想に反して女性だった。
 彼女はダゲット馬と同じ色をした銀色の髪を背中の辺りまで垂らして結んでいる。生まれつきその色なのだろう。
「神官警察のロジア・エテルキフさんですね? 治療官のロゲス・ジッダです。
 昨日も他の方に色々質問を受けたのですが、大体あの報告書に書いた通りしかお伝えできないと思いますけど。」
 彼女の声にはもともとはそうではないだろうが、神経質さが加えられていた。かなりあからさまにだった。それともあの馬を扱ううちに自分もあの馬と同じだというような同情心を作り出し、無意識に反感を覚えて居るのだろうか? 
「確かに、あなたを待っている患者が大勢いるというのに、申し訳ないとは思います。ただ、2、3どうしても気になることがありまして。」
 ロジアは部屋の簡素な事務机に、向かい合わせに彼女が座るのを待った。この部屋は最近使われていなかったのであろう、彼女が座った瞬間にかすかに埃が舞っているのが見えた。
 彼は自分自身がしている事の意味の無さに気付きはじめたからか、胸の辺りに嫌な違和感を感じた。
「あなたがツェリトの部屋に着いたのは、同僚の局員が彼女に触れようとして火傷を負ったのを、連絡された後ですか?」
 ロジアは彼女の生真面目な感じの髪の毛と同様の鈍く光る瞳をしばらく見つめた。
「いいえ、細かく言いますと、彼女たちがツェリトの収容に向かった後、すぐに通報を受けた情報担当官に話を聞きまして、その通報をしてきた母親の話がどうもおかしかったので、私は傷病局に備え付けてあります簡易解析機を持って空いているダゲット馬の背に乗って、後を追ってガダニヒト街に向かったんです。」
「ツェリトを初めて見たときはどうでしたか。」
「私の所の局員はみんな取り乱していて、なにしろ一人が手の皮膚がめくれるぐらいの重度の火傷を負っていたものですから。私は到着して馬をつないでから、局員の手を治療しながらなぜ、ツェリトに触れようとしたのか、聞きました。それは彼女の母親から通報があった時、母親のリダさんもすでに、ツェリトに触れようとして両手の皮膚がただれてしまったと聞いていたからなのです。」
「どう答えましたか?」
「それがよく分からないんですが、彼女を助けたくて、それでいて彼女が美しくぼうっと光っていて魅力的だったから触れた。と局員は言ってましたが。
 それで、私も精神魔工学に少し知識が有りましたから、私の持って行った解析機に付けられている防護膜発生機を用いてみたんです。」
 その言葉を聞いて、ロジアは少しだけうなずいて見せた。それだけの事で精神侵害矢に気付く推理力はたいしたものだと思えた。
「なるほど、それで解析の結果はどうでしたか? レポートには空間歪曲膜の発生を確認したと書かれていましたが。もしよろしかったらもう一度、解析表を見せていただきたいのですが。」
 彼女は無言で解析表を手渡してきた。何度見ても同じだというふうに。確かにそれは彼女が神官警察へのレポートに付けて送付してきたものとまったく同じだった。しかし、それでもロジアは興味深そうにそれに長い間見入っていた。しばらくしてから、それをそっと折り畳むとロゲスの目の前の机に置いた。
「非常に参考になりました。手間を取らせて申し訳なく思っています。
 そういえばツェリトの母親のリズさんもここに入院なさっていると聞いたのですが、具合の方はどうでしょうか?」
「ええ。火傷の方もそう酷くもなく落ち着いています。でも、捜査中は官費でうちの傷病院に入院させておくように言われていますが。」
「そうですか。それならいいんです。」
 ロジアは自分のした質問に半分上の空のように窓の外を少し見ていた。また、ロゲス治療官の髪と同じ色に染められたたてがみを持つ馬の影が、視覚の見えない所を横切った気がした。杉の森のアメーバの様な影の中を。
「ところで、リズ・クファルマイヤーさんが飲まれている薬にデル・サカルナサスというものがあるとレポートの隅に書かれていましたが、何の治療薬ですか? 糖尿病の一種とかそういった類いですか。」
 また、ロゲス治療官の灰色の目を見た。この場所にしか似つかわしくないような簡素なシステムの現れである、その目を。
「いいえ。私はよく知らないんですが、本人の話によると、遺伝病の一種らしく、確かに珍しい薬なのですが、薬局で手にいれることは意外に容易です。」
 その事を聞いたロジアはリズ・クファルマイヤーにほんの少しでも会いたいと思うようになった。セミ・トリノフェタも同じ遺伝病を持ち、同じ薬を飲んでいたのだ。デル・サカルナサスを。
 ロジアはその時までトリノフェタの死体解析表に書かれていた常飲薬の欄にある、デル・サカルナサスは彼の持病の一種である、糖尿病の治療薬だとばかり思っていたのだった。それは彼の飲む、24種類の毎日服用されていた薬の一つだった。

>前の章 >次の章 >エテルキフの目次へ >homeへ
レザラクスhomeへ
Copyright (C)2004-2018 Yoshito Iwakura
http://lezarakus.nobody.jp/
このサイトはリンクフリーです
相互リンクサイト募集中
et_img