エテルキフ SF小説 : 著 岩倉義人

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14章

 コリオダート高速道路は、かつてはジス国から北東に、数百キロメートル延びていたのだが、現在ではジス領土内だけに寸断されていた。アスファルトは所々剥げ落ち、蛇のように延びた道路の隠された体の一部を、外にさらけ出していた。ときおりオレンジの光の球のような電灯が、意思を持つもののように一定方向からゆっくり近づいては、急速に離れていくのが見えた。
 レン・スコットの乗る車の黒い鉄の覆いの上にその光の球は、いやおうなしに反射を繰り返す。そのアスファルトが剥げた部分を通過する衝撃に合わせて、前方を照らすライトも山形の光の線を飽きもせず作り出していた。

 レン・スコットは困惑していた。今、彼の黒塗りのセダンは、99位神官のいる、古代寺院へと向かっていた。前方のライトの照らす所だけが実在する世界だった。彼にとって。
「どういうつもりなんだ、一体。工場員のグリセル・ゴトルヒンの人相書きを手に入れるまでは、うまくいってたはずじゃないか。どうしてこの様な留保を繰り返すのか。あの神とやらのふりをした、核熱鉄器の中の神性意識は? 
 あの霧の様な奴は、犯罪を解決することにどうしてこう無関心なんだ。
99位神官にしても同じことだ。むしろ望んで解決を遅らしているのではないか。」

 捜査の最初の段階で、レンはトリノフェタの塔で得られた犯人の神性神経鍵から逆算した犯人の心理反応式を、99位神官、スファルト・ラム・フォトに渡していた。その24日後にアコイル98位意識を通して人相書きが送付されてきたのだった。住所などは不明とされていたが、一週間して、神官警察はグリセル・ゴトルヒンと名乗る男を逮捕した。
 逮捕する経緯は報道には伏せられていたが、神官警察修道所に犯人は自分から出向いてきたのだった。その修道所は神官警察官の養成施設であったから、すぐに彼は本部である神殿の外館に送られて取り調べを受けることになった。
 レン・スコットは今でも取り調べ室で見たその男の印象を覚えていた。忘れることなど不可能なほどのもので、網膜に染み着いたあの男の顔の残像を手術して直接取り除いてしまいたいと、レンは願った。
 レンが彼の向かいに座った時、グリセルは青白い無表情の顔でほとんど口を開かずにこう言ったのだった。彼の青い作業着が後ろの青い壁に溶け込んで、脂肪じみた顔のみを宙に浮かばせていた。
「俺はたしかにあの男、セミ・トリノフェタを殺したんだろうか? 
 どうやってやったか思い出せないんだ。ただ、ナイフであいつの肉を切り刻んだ時の感触だけを覚えているんだ。楽しかった。その時だけ俺は生きてる気がしたんだ。
 お前なら、分かってくれるよな。レン・スコットさん?」
 レンは彼を殴り殺したい欲求を押さえるために、常に左手で左の太ももをきつく、つかんでいなければならなかった。男はまだしゃべり続けた。
「どうだ? 俺が殺したんだろ。お前は分かっているはずだ。」
「それは君のこれからの取り調べに応じて分かることだ。この国の法律を君は知らんだろうから、教えてやると、君が十分確実な証拠を持ってれば、君の望み通り、君は終身刑だ。
今、君の仕事場にしていた倉庫を洗いざらい探ってる。」
 一日目の取り調べを終えた後、レンはトイレで繰り返し嘔吐していた。
 喉の奥の粘液が、ひび割れたくちびるを心地好く刺激していた。
「あの男の持っている感じは、実に奇妙だ。もしかすると、心理性侵害酵素を持った言語組織を使ってるんじゃないか。でも、そんな高度な技法をあの塗装工が使いこなすというのか。精神濾過機を使ってみる外はない。」
 レンは過敏すぎるほどの精神操作への反応性を生まれつき持っていた。その事は、捜査には幾度役に立ったか分からないが、彼に苦痛を味合わせるものでもあった。しかし、そんなことに彼は構うつもりなど少しもなかった。
 ただ、捜査の役に立てばいいんだ。しかし、なぜあいつが心理性侵害酵素を使う必要がある? 普通と逆じゃないか。あいつは自分を犯人へと仕立てようとしてるのか? いずれにせよ、奴の精神をズタズタに分解して、調べれば分かることだ。奴の精神が傷付き過ぎたとしたら、適当な疑似人格の一部をあてがってやればそれで済む。

 レン・スコットの立っている目の前の洗面台の蛇口は、開かれたまま限界以上の水を、うなり声を上げて掃き出していた。彼は知らないうちにあふれかけているのに気付いた。
水を止めようとしてコックに手を延ばした時、何かを思い付いたのか、彼以外のだれも気付くはずのないちょっとした笑みをくちびるの右はじに浮かべていた。
「俺が生きてるのを感じるときは、あんな奴らに心をレイプさせてやってる時だけか?」

 * 心理性侵害酵素 脳の言語野に直接、挿入される細胞大の人工の有機的システム。
話すだけで、他人の思考を表層的にじゃますることが出来る、簡単な催眠術誘発装置の様なもの。使用には意外にも高度な精神力が必要であるとされる。捜査のかく乱のためにグリセルが用いているのでは、とレンは推測している。

 2日目の取り調べは、まだ夜が開けきらない空の青くなっている瞬間に始められるはずだった。レンたちは徹夜で計器の準備と調節、それにその組み合わせ方法を考えていたのだった。彼は仲間の捜査官、ジム・ロテッドに、ぼやけた目の焦点を一瞬だけ合わせた。相変わらずこいつの肌は黒曜石のように光っている。せめてその石のようにもう少し清潔感があれば少しはましだろうか? 
「すまない。すぐに片付けるよ。」彼の夜食兼朝食にもなっていた、ジャンク・フードの類の袋の山を見咎められたのだろうと勘違いしてジムはあせった素振りをして見せた。
「ああ、そんなことはどっちでも良い。それより、私は30分だけ仮眠を取るから、お前も居眠りでもしていろ。今日のあのゴトルヒンの精神濾過は思った以上にきつくなるぞ。
 あいつに脳味噌を乗っ取られたくなかったら、気安めにしかならないが、少し寝ておけ。
 分かったな?」
 ジムの肌は少し青みが混じったために、少々オリーブがかって見えたが、彼もすぐ椅子の背もたれのアルミフレームの上に、たくましすぎる背筋を丸めた。この至極、面倒で危険な部署に転向願いを出した、自分の気まぐれを呪いながら。

 ジムは元は神官警察の一般の部員として、町の夜の立ち番などをしていたが、自分の魔工大での経歴を生かせる部署に移ることを望んでいたのだった。
 そして、レンがちょうど穴の開いていた殺人課科学部門の助手の役割に、彼を欲しがったのだった。しかし、彼の本当の希望は前線に立つことではなかったのだが。

「おい、ジム、歯ぎしりを止めて、目を開けたらどうだ。時間だ。」
 ようやく、夜明けに差し掛かったらしく、窓のすみに見える空は、青い染料で染められたセロファンのように、くぐもった光を通過させていた。

 それから、2日目の取り調ベが始められた。
 格子窓から差し込む光は、青白くてまぶしかった。その光は意外にもゴトルヒンの様子を昨日とは違っておびえたように見せた。金網から外を見る白ウサギのように。
 レンたちの実験は始められた。レンは神官警察の科学部にあった旧式の心理性侵害酵素の簡単な除去膜の錠剤を口に含んだ。
「ジム、お前も薬を舐めておけ。無いよりはましだ。」
 レンは彼が錠剤をアルミカプセルから取り出すのを見て、精神濾過機のスイッチを入れた。いまだ、こんな玩具が役に立つなんてな。使われずに倉庫の中で埃にまみれていたのだが。濾過機の赤い色のラインコードをゴトルヒンの静脈に差し込んで、ジムはそれをテープで固定した。そしてまたもう一本の青のコードをレンの腕に挿入した。それを通じて男の神経に働きかけるのだった。もし、その時コードの色を間違えたら大変だった。精神濾過の方向がまったく逆になってしまうからだ。
 コードの色をよく確認してから、レンはゴトルヒンの神経組織の三角形の、頂点部分から強引に侵入を始めた。しかし、以外にも抵抗感は少ない。こいつの神経は極端に虚弱だ。よくこれで発狂せずに済むもんだ。
「ジム、記録は取ってるだろうな?」
 だが、ジムの返事は100m彼方の霧の中でつぶやくように、不明瞭だった。そうか、やはり聴覚から疑似神経を入れられて、幻を見させられているんだな。グリセルはくちびるをきつくかんで黙っていた。血がうっすら滲んでいる。その鈍い痛みは、不正確にレンの神経中でもほとんど同時に引き起こされたはずだった。ただ、レンはそれを無視してグリセルの神経組織を分割して挿入されているはずの疑似組織の位置を調べていた。手触りが雪を触る感触に似てきた。この辺りだ。意識寸断の手掛かりはいつだって美しさという場違いな感覚を引き起こす。

 この辺りだ。しかし、その疑似組織の光点はレンの噛み付こうとした文字通りの幻の歯に達する直前に消えてしまっていた。
「そうか、逃げられたな。だけどこれだけで奴が犯人でない証拠は十分だ。誰かにコントロールされていたことは間違いない。そういう奴には神性神経なんて代物は扱えるはずはないからだよ。ジム、奴の神経の疑似組織の在ったところに、穴が開いているはずだ。このまま彼をもとの社会に戻したら、それこそ奴は狂人だ。適当な疑似人格の一部を切り取って、分からないように埋め込んでおいてくれ。
 あの疑似神経の毒の血の味を舐められなくて残念だったな。」

 少し遅れて、レンとの協調潜入から普通の状態に戻ったジムは、腕の静脈から、赤いコードを垂らしたままの、ぐったりとうつぶしたグリセル・ゴトルヒンの肉の弛んだうなじを、哀れそうに見下ろしていた。
「あんたには俺が、前より良い人生を与えてやるよ。安心しな。」
 ジムは大きくて黒い手のひらを、グリセルの額に被せた。
 その手は幾分、緊張して汗ばんでいた。

「奴は自分のしている、優しさが偽物であったとしても、それを気に止めようともしない。
多分、あいつの方が私よりずいぶんましな気がするが。」
 コリオダート高速を走るレンは窮屈そうに黒い皮を着込んだ筋肉であるジム・ロテッドを思い出す。99位神官のいる古代寺院に近付くにつれて、雨が降り始め、車の正面のガラスに透明ないぼを点々と作った。それにもまた、オレンジの街灯が映し込まれる。
「そんなのは、気のせいだ。奴も私と同じように、同じ事をするしかないのだから。
 しかし、99位神官のスファルトは私を騙そうとしたのだろう。
でもなぜ、あのゴトルヒンと犯人が同じでないことが、心理方程式の反応を
付き合わせれば直ぐ分かるはずなのに、どうして知らせるのを遅らせたのか。」
 あの、偽のゴトルヒンを逮捕してからすでに2週間は経つ。
「大体、現場の心理反応式と人相書きが一致しないのはどういうことなんだ」それこそ、レンにとって疑念を抱かざるを得ない事だった。
 レンはコリオダート高速を降りるために、ハンドルを左に切った。
 タイヤは濡れ始めた路面と擦れて、動物の声にも似た音を2度出した。1度目は短く、2度目は長く続いた。

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