12章
レン・スコットはテレビ画面に映し出されていた。
今日の何回目の放映だろうか。いつもより、いや、最近だが、血色の良くなった顔は彼の外側に見せている数少ない表情と言えるのだろう。やっと常人に近くなったその色は彼の自信を表していてくれた。ビデオのリモコンをロジアは寝台用の机の書類の中から探しだした。記者会見に臨んでいるレンが黒い机の上で軽く指を交差させているショットで一時停止を試みた。しゃべっているのは広報部員で彼ではない。ロジアは録画しながら、テレビを見る癖があった。
そして、気に入った場面があると、そこで一時停止を繰り返して、同じ、引き伸ばされた瞬間の、光の凝固を楽しむのだった。
しかし、5分ほどして一時停止が解けて、広報官が甲高い声で、眉間をギラ付かせ始めたのを見て、ロジアはスイッチを消した。
グリセル・ゴトルヒン逮捕の記者会見のニュースで、次の場面にはその顔写真が、再び映し出されることは間違いなさそうだった。太ったあばたに、油を浮かした、工場員のだ。
しかし、ロジアの見た顔はどう考えてもそれではなかった。そうだとしても、そのロジアが実験中に幻視した顔の通り犯人があるとは限られるわけでもなかった。ロジアは彼の顔をはっきりと思い出そうと試みていた。だけども、その顔は強力なサーチライトを真正面から打ち付けられたように、光の中でにじんでいて明確な輪郭を捕らえることなど不可能に近いと思われたのだった。
しかし、放映されているゴトルヒンの映るブラウン管の光粒子は、彼の夢の中のものとは全く違っていた。
誰かがロジアの病室のドアを開けた。廊下の青白い蛍光灯の光が、ブラウン管の縞模様の光の渦の消えた室内に、一瞬だけ差し込んで、その男の影を形作っていた。
「キファだ。お邪魔するよ。」3度だけ靴音を鳴らしてベッドに近付く。彼はいつも必要最小限の歩数だ。
「エテルキフ、ニュースは見たんだろ。俺たちもお払い箱か。お前も退院したら、大学に戻るんだろ? その前にこの前の実験の処理を終えての話だが。」
キファは寝台の上に渡してある机の上に、切抜きや、書類の散乱しているのを見た。そして、一度しゃがみこんで、落ちている紙切れを拾った。
「ああ、すまない。そうだな。犯人も捕まった事だしな。私たちの仕事もそう緊急性があるわけでもないし。しかしなぜ、私が彼の名前と心理反応式を手に入れられたのか、そう論理的な解釈がいまだ出来ないのが、腑に落ちないがな。でも、あのゴトルヒンと銀の鍵から出た、心理反応式が合えば、これ以上の証拠はないわけだしな。」
「そう、それまでの過程のことで、また分かった事があったから、ここに来たんだ。」
キファは動物の皮で出来た、鞄の口を開けた。皮には毛穴は残されていない。
「エテルキフ、お前のあの実験での幻視の実際上の裏付けについてだ。
お前がオートスカルドナーバーで作った自分の神性神経と合一化したとき、お前は自分の感覚の意外な状態について話していたが、それはこういう風に説明が付かないだろうか。お前は自分の身体で区切られた空間そのものを神性神経化したのであって、肉体を神性神経化したのではないということではないのか。それなら、自分の全ての感覚が内向きの疑似感覚を持つわけではなく、全てを透視する感覚を身に付けられたことを、言い表せられないだろうか。」
「どういうことだ? キファ。」
「つまり、例えば鉄のG型封印紋を使ってある部屋を、空間上、隔絶したとしよう。俺たちの今までの考えでは、その封印紋の原子が脳細胞の様に神性神経化されて、その力によって、付けられている部屋の空間がねじ曲げられた、というわけだ。そしてその力はもともと鍵の鉄原子の中に内在されていたのだ。それが従来の説だ。
しかし、本当はそうではなく、封印紋は単なるきっかけにしか過ぎないということだ。
空間そのものを神経化しているのだよ。まるで生き物のようにね。だから、その境界線、他の世界を分け隔てるための皮膚に当たるものが絶対に破ることの出来ない空間膜なんだ、と思えないか。」
「言ってることがよく分からないが。ある空間そのものが、宇宙の中で孤独な特異点となって、生きているように振る舞っているということかね?」
キファのフードの影になっている、白目に出来た、スポットライトからのオレンジの暖かみを持った光の点を眺める。彼は一度、ゆっくりとまばたきしてその点を隠してから答えた。
「そうだ。一番重要なことはこれからだ。その模擬生命化された空間というのは、あくまで偽物の命を持ってるだけで、現実の空間の反転型なんだ。
普通の生物、他の物質とは違うんだよ。
普通の封印紋ではその必要とされている空間がねじ曲げられている空間と同じ所にあるんだ。つまり同じ時間と場所に双子の空間を作っているんだ。
それで、おれたちが鍵を開けようとするときはその現実の空間に働きかけて、もう片方の夢の中にいる双子と関係を持つことによって、もう一度全く同じ心理方程式を入れることによって、崩壊が起こる。」
「同じサイズの穴を持つことによって、非現実の空間が表れる。その穴に、私たちの神経を差し込むことによって、現実に引き戻されるというわけか。
夢を見て眠っている女のレイプと全く同じだな。」
「あの銀の封印紋が開かなかったのはその夢に引き裂かれた空間の双子の反転型の現実空間を、犯人が、どこかへ運び去ってしまったんだ。
あの時の君と同じように、神性神経と同一化してしまえば、それができるはずだ。理論的にはね。」
「そうか。それじゃ、どうして僕にその鍵が開けられたんだろう?」
「多分、他のずっと離れた所から、君の意識に触れてきたんだろう。宇宙の中の特異点自体は、互いに引き付け合う作用を持つということさ。」
そこに来て、キファはやっとクスリと笑った。自分の論理の現実性の無さを楽しんでいるかのように。しかし、ロジアは気付いていた。
「つまり、お前が言いたいことは、あのふとっちょゴトルヒンの押収物目録に、オートスカルドナーバーかそれに似た物があるかどうかで、あいつが真犯人かどうかが分かると?」
「ああ、そうだ。でも、このことは、その目録を確認してから、レンに言った方が良い。」
ロジアは世界の誰にも聞こえないように、溜め息でも付きたい気分だった。
レンはそこまで信用できない男なのだろうか?
キファ・エウリクタにとっては。