エテルキフ SF小説 : 著 岩倉義人

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5章

 神をレイプするもの? 神とよばれるものをレイプする役割が欲しかっただけではないのか。外に選択肢なんて考える必要もない。全て、不必要などうでも良いことじゃないか、これは。
ロジアとレンたちは再び、セミ・トリノフェタの塔の最上階にいた。やはり、前と同じような白い光が舞っていた。しかしそのことは当たり前のことだった。神性意識の力によって、都市部の天候はコントロールされているからだった。しかし、その制御力など、ごく限定されたものであることは間違いなかった。ただその限定が意図されていたものを越えているのかどうかは、疑間だった。力の限定は99位神官が間接的に、任意に行うものだったからだ。
「神の絶対的寛容性を信じるほかはない。私は開かない扉を、開けたいだけなんだろうか。
それとも殺人事件の謎を解きたいのか。神に近付きたいのか?
 いいや。その全てが違うだろう。なぜ私はこんなことまでしてまでこの下らない扉をこじ開けなければならないのか? 
 私は全てを捨ててみたいのか? そうじゃないんだ。全てを捨てることを、夢見ているだけだ。
 きっとそうだろう。」
「おい、考え事はそのくらいにしろ。ちゃんと指揮をしてくれ。」
 ロジアを除いた神官警察の科学部門の研究員たちは、今日は全員、黒いゴムの防護服を着込んでいた。それには防電磁塗料が染み込ませてあって、ときおり、日に当たると紫に輝いていた。ロジアはやっと、マスクを額まで引き上げたレン・スコットの青白い顔が、10m向こうのガス蓄積装置のかげからしつこく叫んでいるのに気がついた。
「ああ、すまない。そのガス室の扱いには気を付けてくれ。俺は別に平気だが、神性神経化促進ガスが漏れだしでもしたら大変だからな。まともに吸い込んだら、即死らしいから。」

 *2・5m×1・5mの鋼鉄製充気室。この計画ではまず防護マスクをした、ロジアが充気室内に入り、氷流酸・水銀ガスを注入する。そのガスを強制ポンプ・タービンを用いた、重金属ガス神性神経化装置オート・スカルド・ナーバーでロジアの心理反応式を使って、神性神経化をする。それは、気体状の封印紋を作るのと同じことである。
気体状の神性神経の空間歪曲率は通常空間では無視できるほど小さいので、そのことでロジアが歪曲空間に閉じ込められることは無いとされている。ガスが神性神経化をする前に、ロジアに接することは有害でしかないので、ガスマスク内の特殊レンズを用いて、網膜の直前で接触を果たす。それは氷流酸水銀ガスが極度に神性神経化されやすいため可能な事とされている。その後そのガスを吸い込むことによって、脳内・体内に直接、神経を取り込んで、一時的な生物的神経・意識と神性神経との融合を果たそうとするものである。

「この毒ガスは、スモモの香りがすると言われているが、本当だろうか? このガスをこんなにたくさん吸い込んで、生き延びる人間は私が初めてのはずだ。ガスの神性神経化が完全ならの話だが。」
 ロジアは、あたりの作業員たちが夕方の金色になりつつある光に包まれて、機材の設置作業とテストをしているのを見ていた。彼らの黒ゴムの防護服のうごめいている形が、一かたまりの有機的なアメーバの一種を思い出させた。
 魔工大の一年の時の、顕微鏡の接眼レンズの中の様子だ。もとは一体のアメーバ、ルコインファルトルを二つに切除し、片一方に電気的刺激を与えるのみで、もう片方にも同じ身悶えが起こったのだった。原始的生物における、テレパシー原理というもので、説明はいまだ、付きにくかったが両方の間にある、特殊な保護空間というものをロジアには感じとることが出来たのだった。
 神性神経化されたガスの分子の一つ一つの周りには極小のドープ空間、時空の歪みの見えない泡が無数に起こって、それが私を、私のみを守ってくれるんだ。ルコインファルトルの実験にそっくりじゃないか。私もやっと、アメーバなみの心理性を持つことが許されるというのか。
 いつの間にか、夜の暗闇に対抗して、巨大なサーチライトが付けられていた。
 「あまりに明るすぎやしないかね?」
「いいや、お前の誇大妄想的なショーにはこの上なくぴったりだと思うよ。」
 鉄の輸送ケースに腰掛けているロジアは肩の上を仰ぎ見ると、魔工大でロジアと同級だった、キファ・エウリクタがいた。この実験の事実上の指揮者だった。
「お前と友達で良かったよ。こんな気違いじみた研究にこれほど資金がでるなんて、普通じゃ有り得ないからな。」
 ロジアは、ひさしぶりに、クスリと笑っていた。
「確かに、もし俺がくたばってたら、ガス室から俺の死体を引きずり出す役目は、お前に頼んだからな。」
 少々笑いながらも、ロジアは自分が死んだときのことを憂想せざるをえなかった。
 心臓付近の動脈の破裂と出血性ショックによる、この上ない、無限の痙攣。
 その死体はスモモの香りに包まれているはずだ。しかし、それは生き残っていても同じ事だ。体内の氷硫酸水銀が強制排出されるまでの2週間は気密室に、隔離されるのだが。神性神経化された肉体がそこから抜け出せなくなったら、一体どうなるのだろうか。ガスがその排出を受け付けなかったら。
 それは、その時には破られているはずの銀の鍵と同じように、開けることが不可能な永遠の鍵と化してしまうだろう。しかし、銀の鍵を破るために、その内向きの空間歪曲に対し、外側への歪曲になっているはずだから違った状況が生まれるかもしれないが。いずれにしても私は生きてはいないだろう。
 生きているという概念を当てはめるなら、の話ではあるが。私は可能なかぎり永遠と言われているものになるだろう。その後、爆破されるかもしれない。
 ロジアはすでに、ガスポッド内部にいた。白く防電磁特殊塗料を塗られた、体にぴったりとした、防護スーツを着ていて、白イルカに似た肌をしていた。
 全く身動きが出来ずに、機械の一部となった、サイボーグの脳細胞の断片に近かった。
しかし、奇妙な安心感を彼は得ていた。死によって守られていたのだから。
「気分はどうだ。ベルトはきつすぎやしないかね?」
 彼の耳元にささやくようにして、レン・スコットのひび割れた無表情な声がインターホンを通してつぶやいた。心理性と行動の不一致なのなら、まだましなのだが。
「ああ。別に、不思議なくらい不安感はない。大丈夫だ、レン。」
 ロジアのガスポッドのとなりに銀の鍵のところから15m離れたところに、レンたちは単一指向性の小型爆薬を仕掛けていた。銀の鍵のある扉には、ロジアが直接、働きかけるので、開けることは出来ないからだった。実際にロジアが神性神経に達している時間は、ほんの数分といったところだった。
 空間が歪んだ状態のままでは、全ての、爆薬などといった外的な操作だけで封印紋を開けることは不可能だったので、ロジアの空間歪曲の制御力に頼るほかはなかった。
「では、全ての準備が終わった。」
 キファの音量過多で、引きつったようなマイクロフォンが響いた。
 音の粒子性がサーチライトの光を冷静に揺らした。
「5分後に始める事にしよう。」
 ロジアの右目のみガラスがはめられていて、機能している視界から、初めてこの塔に登ったときに見た、男の姿が見えた。セミ・トリノフェタだった。
 ロジアの腰の辺りに鍵穴が来るはずだから見えるはずはないのだが、銀の鍵の歪曲空間の唯一の接点である、その鍵穴の三角形はノズル部分から、鏡という最も原始的なからくりでその姿がロジアの網膜に流し込まれていた。
 トリノフェタはいまだ、殺されたままだ。うつぶせに寝て、顔のみをこちらに優美にくねらすその姿は、変化しているはずはない。背中のナイフも同様に。今から、私もそっちへ行くのか? この上無く醜いままで。
「氷硫酸水銀ガスのポッド内への注入を開始する。ロジアのガスマスクはちゃんと働いているな。よし、濃度に気を付けるんだ。気体濃度を指定濃度の65%まで入れたら、注入速度を5から3まで落とせ。それから・・」

 私の居る、ガス充気室の中に毒ガスが入り始めた。しかし、その透明なガスは、自己主張を全く欠いているので、私には感覚として捕らえることなど出来るはずはなかった。皮膚に一滴でも触れたなら、呼吸は完全に止まってしまうというのに。その、隔絶されている死の可能性は、私とトリノフェタの死との距離よりも、遠いと感じた。

 「ガス注入を止めろ。予定濃度だ。これより、ロジアの右目角膜を通じてガスの神性神経化を試みる。ロジアのマスクのレンズを生体モードに切り替えろ。」
 外では、キファ・エウリクタのマイクロフォンの音のみがしていた。それは耳に当たる風の音のように不快でもあった。また、赤い、悪夢の中の人間のひび割れ声でもあった。
そうエテルキフには聞こえた。
 「ロジア、大丈夫か?」
 「ああ。いつでも始められるよ。」
 ロジアとガスとの接点、マスクの仮想網膜上において、ロジアは毒ガスに触れた。思ったほど複雑ではないな。奇妙な感触だ。
 「予定通り、神性神経化が始まっている。回転する極小ドープ空間が表れ始めている。この速度で行くと、30時間後に全部の氷硫酸ガスの神経化が終わるな。落ち着いていけば間題ないから。」
「そうか。ありがとう。」
 ありがとう、か。30時間後には俺は廃人になってるに違いないのに。
 ロジアは徐々に心理方程式をガスの元子の間に浸透させていった。通常の、鉄などの封印紋だと、一箇所に触れるだけで、連鎖反応が起こり容易に神経化出来るのだが。自分で考えたにせよ、途方もないイカれた計画だな。
 神経化をしている時の、精神感情の変化は水の底に潜っていく感じと0・3秒置きに脈打つk型・光速神経変則の際限のない繰り返しだった。新しい元子がタービンによって疑似網膜に接触が起こった瞬間には、絶対光度の振動が視神経に苦痛を与え続けた。しかしその事が、最低限の神経麻酔現象を引き起こしていたので、ロジアは死ななくて済んでいたのだった。
 しかし彼は意識感覚の寸断を予感し始めていた。
 目の前に、映ったままでいる、トリノフェタの死体を彼はずっと視線もそらすこともなく、見続けなければならなかった。物質と化した、トリノフェタの死体と、彼の網膜上に永遠に送られ続けるであろう、物質そのものの氷硫酸とに、交互にレイプされ続けなければならなかったのだった。

 最後にロジアに許された、人間的感覚は、恐怖と高揚感だけだったので、そう言うのが適切だった。途方もないオーバードープ感覚だったが、悪夢を見ることを拒否されていたので、幻覚を見ずに済んでいた。その超絶的幻覚は、本当はすでに表れていたのだが、ロジアは意識寸断によってのみ、もはや、守られていたのだった。

 声帯の限界まで、絶叫している疑似感覚が、意識寸断の網を潜り抜けて、ロジアの中枢神経の中に、破滅的な打撃を与え始めていた。しかし、彼はその苦痛に親しみを覚え始めてもいた。それは、苦痛のみが彼の精神存在を示す指標になっていたからだった。

 しかし、その苦痛は突如として止んだ。ロジアは突然、無感覚の無限のスピードに支配されていた。宇宙服なしで、真空空間に飛び出したのも同じだった。しかし、その無感覚によって世界に確実に触れられる可能性を得られるというのもまた事実だった。
「ほら、俺だって世界に触れられるさ。何かにだって。何にも触れられないなんて、そんなはずはないじゃないか。だから、向こうからやって来てくれたんだ。甘い、甘ったれた感覚は思い出すこともできない。だから、今、あそこから近付いて来つつある、あれは、感覚を引き起こさせる、現実的物質性への接点でもなく、空想みたいな無意味な光の連鎖でもないはずだ。
 僕はもう死んでるのかな?」
 オート・スカルド・ナーバーはその役目を終えていた。33・2時間が過ぎていた。それから、もう一度タービン・ポンプが回り始め、ロジアの体内に彼の生み出した、神性神経・氷硫酸・水銀ガスが半ば強制的に、吸引させられ始めた。
 キファは意識を、もうろうとさせつつ、指揮を続けていた。
 中止させる可能性を探っていたのだった。ロジアの精神状態を計器で調べた結果の結論だった。
「ロジアは本当に大丈夫なんだろうか? 制御できないオーバードープにいまだ、陥り続けているのではないだろうか。さっきは問題ないと、何度も答えていたが。」
「ここまで来たら、止めるほうが危険だな、続けるしかないと思うが。」
 そのレンの青ざめた瞳の表情の中に、キファはさっきと違う、違和感を感じていた。巨額の予算を投じる事をあっさり認めた、99位神官のスファルトは何か尋常でない興味をそそったのではないのだろうか。奴はどこかから、核熱鉄器内の神性意識を通じて、ここの様子を、肉眼で見るようにして感じとっているに違いない。しかし、レンの言うことも確かだった。
 神性神経ガスを吸い始めた今となっては、ロジアの意識が完全に同一化するまでは、止めることは出来ない。そうでないと、絶対に移動させられない空間唯一の特異点になって永遠の鍵になってしまうだけだ。
 それだけは、避けなくては。

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