エテルキフ SF小説 : 著 岩倉義人

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エテルキフ・青空 1章

 すでに自分が死んでいるのと同じ事ではないかという、感傷的な気分にひたりながら、ロジア・エテルキフは、白い塔の内部の階段を登っていった。
 ロジアの考えでは、絶望と呼ばれているものは、概して暗闇などで表されるものではなく、今、登っていく白い光の中に自分の崩壊を認めて、微笑んでいた。
「個人的すぎるな。」
 それは自分をけなす微笑みであって、塔内部の八面の壁に四面、一面おきに開けられている、広すぎる窓の光を進んで絶望と錯誤して、ロジアはそれを楽しんでもいたのだった。
窓には白い、レースのカーテンが風に震えていて、生きているクモの網を思い起こさせた。「この塔の内側は八面の柱になっているが、外見は十六面になっていた。つまり、そのすきまに部屋があるというわけか。」
 これから最上階の部屋に着いても、そのような余裕を保てるのか、エテルキフは不安を感じていたが、そのことは無視することに決めていた。
 そこまでの間には部屋が4つしかなく、各階に一つずつ黒いガラスの扉が埋め込まれているのだった。中心部はがらんとした吹き抜けになっていて、金属製の階段の塔が立っていた。まるで階段だけ作るのを忘れて、また、最初にこの塔を作った人には階段など不必要だったのではないかと空想してしまう様な光の塔でもあった。
 一番上の部屋の前には、神官警察のレン・スコットが待っているはずだった。一つの不安感を持ってこの事件にロジアは臨んでいた。
 これから見たこともない男に加えられているであろう、死体の、傷口や裂け目のひとつひとつが、近頃、感情を無視しているかのような、自分自身の精神の中に浸透して、傷付けてしまうのではないかという、弱さへの幻想だった。しかしそれは、感情と精神の間を観察する良い機会でもあった。
 その不安感とは、あえていうならこういうことだった。
「ひょっとして殺されているのは、私の感情で、今から見る男の事件と引き替えにして私の感情がもう一度、甦ってしまうのではないか?」
階段を登るにつれて、ロジアは自分が見詰められているのを感じた。
 20段上から男が冷ややかな目線を白い神官衣のコートのフードの中から落としてきていた。そこからでも男の瞳は青いのは、ロジアには分かった。
 神官警察のレン・スコットだった。
 その空中に浮かんでいるかのような姿は、ロジアの方に倒れかかることを、切望しているのを想像させた。
「遅かったじゃないか、ロジア。」
 彼は生まれたときに外科医に、閉じていたくちびるを剃刀で切り裂かれてむりやり作られたかのような、うすっぺらな口をわずかに開いた。
 ロジアが彼と仕事をするのは、これで二度目だった。
 最初の時は、99位神官、俗にいう神官長に秘密裏に命令されての事だった。ロジアはそれまでは中央魔工大で人間に特有の精神火炎輪と核熱鉄器内の神性感情との対応具合を調べていた。それはかなり刺激的な思索でもあったが、危険であるともいえた。ただし、神的なものへの不可侵を保とうとするぐらいの敏感さを、いまだ、神官警察が持っていればの話ではあるのだが。

 *核熱鉄器  核融合炉のこと。内部に意識体を融合しているとされる。

 しかし、彼の能力を見込んだ、直系のわりには特異な頭脳を持っているとさえいえる、当時の99位神官のスファルトはロジアを神官警察内の科学部門に非常勤で加えたのだった。
彼はそれまでの哲学問答に半ば飽き飽きしていたので、最初はいやいやでもあったのだが、今では少なからぬ楽しみを見出だしていた。それで、前の事件から三年の間をおいてまた命令を受けたロジアは、魔工大での研究を中断して、今、殺人現場とされている塔を登っているのだった。
「すまなかったな。遅れるはずはなかったんだが。この城は遺跡の改造品か。もともとはシンプルこの上ない設計なんだがな。」
 ロジアは最上階に登るための一段で空きカンを蹴飛ばすような音を響かせた。
「白い塔の中の仮設の黒ペンキの階段か。」
 同じ階にいても肩一つ分、上から見下ろしている、レン・スコットはフードを肩に下ろし、再び口を開いた。今日、口を聞いた二言目であることは間違いなさそうだった。それぐらい彼のくちびるは石がカビをはやした感じの色だった。
「確かにこの塔は不自然な仕掛けを持っているらしいな。もとは美しかったとでも君は言いたいのか? しかしこの階を見てどう感じるかね。」
 彼が差した先には、他の階と同じ様な黒ガラスの扉が一枚だけ、白く石英質の壁に埋め込まれていて、赤黒く光を吸着させていた。ただ違うことは、銀の硬貨大の装身具か、昆虫を思わせる金属片が15個ほど並べて張り付けられていた。
「封印紋か。ああ、君らにしてはこれは手が込み過ぎているな。この材質はみごとなクローム塩化銀だろうな。」
 レン・スコットは内心、馬鹿にされているのに気付いたのであろうか、片方の眉を一瞬だけ無意識に痙攣させてから答えた。
「私たちの使うのは、いつも鉄製のG型封印紋だけだ。こんなクローム塩化銀みたいな化け物じみた複雑な物なんて、使いこなせるわけないじゃないか。分かっているだろうが、これは私のしたことではない。」

 *個人に特有の先天的な神経・心理反応式と封印紋の構成元素を使った疑似的な神性神経とを関連させることによって引き起こされる、空間歪曲を利用した鍵の一種。遺伝子を個人の識別に用いているともいえる。つまり物質を生命のようにふるまわせると、不思議なことに周りの空間が歪む。それを利用して鍵を作っているのである。
 なぜ歪むのかは神の領域なので、一般人には謎である。

 レンは空気中に白い光の元素を感じとって、それが彼の視神経には刺激的すぎたのであろうか? 目を細めていた。その表情に、いつもは考えもつかない、やさしさに似たようなものをエテルキフは認めてしまったのだった。
 彼らが不必要に自分たちのみすぼらしさを追求していることに気付くことができるのは、いつなのだろうか。
「なるほど、この銀の鍵を私は開けなくてはならない、という訳か。」
 この扉の中には犯人の導いた美しい孤立とやらがあるというのか。
「この扉は調査途中に閉められてしまったんだね?」
 自分の感じ始めた当惑を逆に冷静さに見せ掛けているのだろうと、ロジアは、自分自身の無責任さを感じた。ひょっとしてレン・スコットは、自分の冷徹さかげんにうんざりしたことが今までになかったのではないか。
「いいや、この扉は通報を受けてからずっと閉まったままだ。
 死体があるのは、鍵穴を通して確認しただけだ。しかし、可視光を使った、生体反応機はちゃんと死を示しているし、とにかくこの扉は普通ではない。
 俺にはこの扉は開けられないんだ。いや、だれにも開けられないように出来ていると言っていい。」
 ロジアはここに来るまでに、情報が伏せられていたのをいつものことだと思っていたが、それは間違いだとやっと気付いた。
「じゃあ、その鍵穴をのぞかしてもらってから、絶対に開かないという扉の訳を聞かせてもらおうか。」
 レンはうなずいた。閉じ込められているのは彼自身か、それとも他の大事な何か、物質的な神性神経によって切り離された彼の最後の感情のかけらかとも思えた。ロジアは彼の剃刀で切り裂いて出来たようなくちびるを、見守っていた。次の言葉が押し出されるのを待っていたのだった。それがもし、ちょっとでも侮蔑の意味を含んでいたのなら、もう少しこの会話も、気楽なものになるのだったが。
 「いいとも。」
 レンはしゃがみこんで、黒いガラス質の扉にある、多数の銀の封印紋の列の下の方に一つだけある、灰色の光を放っている、鉄のG型封印紋の前にそっと手をかざした。死んでいる甲虫の背中をなでているようだった。
「これで鍵穴をふさいでおいたんだ。」
 レンは鉄の原子核のうちの3個が自分の与えた、心の光速度反応によって偽物の神性神経に達しているのを確認していた。彼はこの鍵を外す時、常に奇妙な感覚を覚えた。たとえ偽物であるとはいえ、神を、また何かを殺しているかのような感じがしたのだった。
「錯覚だろう。ただ、通常の物質の状態に戻しているだけなんだから。」
 レンの口の中のつぶやきが、終わらないうちに、死んだ一枚貝が剥がれるようにして、鍵は彼のてのひらに落ちた。塞いでいた所には、三角形の穴が表れていた。
「外宇宙への入り口か、それとも偽物かな。」
ロジアは膝をついて、鍵穴に顔を近付けたのだった。さっきまでその場所にあった鉄の封印紋の錆びた香りがまったくしないのを少々残念に思いながら。
 それとも、レン・スコットの香りか? 
 もしこのガラスの扉がもう少し柔らかくて、皮膚のようだったなら、鍵の吸い付いていた跡が、赤黒く残ったのだろうか。この鍵穴の中に隠れている男の皮膚の中を、直接のぞきこむことと同じではないだろうか、このことは。
 鍵穴の中は意外にも明るかった。光であるという認識が欠落してしまうほどの強くて白い光だった。ロジアは進んで意識を浸蝕されようと試みた。
 自分が普段どのような皮を被っているのか忘れていた。彼は血管のないレンズに近付こうとしていたのだった。ただ、白い光の向こう側から、黒い点が表れて、それが周りを徐々に浸蝕していくのを待っていた。見ているというよりも、目を開いた状態で、視覚中の強制的な光のなかで、自分が無意味であることを夢想するのを強いられてるのだった。
「これは、何かおかしいじゃないか?」
 でも、この黒い影は男の頭だ。うつぶせに寝ていて、背中にナイフが突き立てられている。床に落ちている血は黒いゴムのようだ。偽物の血じゃないか? いや、この血に比べれば俺の血なんて、どうでもいいくらいだ。これは神の血に拘束されているのと同じだ。
 男は生まれたときからそこで裸になって、ナイフを突き立てられるベき、存在でしかないことをロジアは知った。
「この鍵穴はあまりに異常じゃないか。ただ、男が死んでいるだけだというのに、自分が死んでいるのを見付けたときのような気分だ。それとも、夢の中で飼っている小鳥は最初から死んでいるのと同じだと思ったことはないかね。」
 鍵穴から目を離したロジアを見て、レン・スコットは説明を始めようとした。ごく冷静にだ。この男は死体を見て何を感じたというのか? 
「この扉が、別宇宙にでもつながっているとでも、君は言いたいのかね。
 俺が君を呼んだのは、君の優れた感応能力をポエジーなんていう浪費に使ってもらいたいからではなく、ただ、この扉を開けてもらいたいんだ。」
「なぜ、開けられないんだい?」
 レンはロジアの瞳を見つめて、瞳孔に映る白い光点の数を無意識に数えた。一つ、二つ、三つ。この男の目は、魚眼レンズのようにねじれている。
「このクローム塩化銀の封印は、見た目は君の言うように優雅かもしれないが、構造はそれ程難しくもないはずだ。鍵の貼られた扉の内部の空間が、ちょっとだけ操作されることによって、だれも立ち入れなくなっているということぐらいは、俺たちにも分かっているんだ。
 だから鍵として差し込まれている、誰かの先天的・心理反応を雌型ともいえる、疑似・神性神経から型取りしてやって、もう一度、封印紋の中に流し込んでやれば、鍵は開くはずだ。言わば、二重のレイプだ。一度目は夢の中で、二度目は現実としてのだ。
 この扉の銀の鍵の15個のうち、3つは心理反応式を合成することが出来た。後の12個は部分的な、または、不鮮明な像しか得られなかった。しかし、核熱鉄器内のゴルーファ96位意識の演算によれば、97%の確度で、15個全てに、同一人物の心理反応式が用いられているらしいんだ。
 だが、その合成像を流入させようとすると、必ず、受け入れられないんだ。」
「偽物の恋人であることがばれたのかな。しかし、なぜこんなに不必要にたくさんの同じ鍵を並べて付けたのだろうか。より解読される可能性が高まるだけなのにな。」
「確かにわからない。でも、それより、重要なことがあるんだ。ロジア。」レンは神官衣のコートのポケットを不自然にふくらましていたものを、取り出した。その鉄の箱の形をしばらく確かめるようにしていたが、ためらいがちな、ロジアの手のひらにそれは押し込まれた。
 レンは無言だったが、ロジアはその蓋を開けた。新しい機械の体臭なのか、消毒薬の匂いがした。その中にあるものをもちろんロジアは知っていた。双眼顕微鏡の接眼レンズに似たものが表れ、そのなかにホログラムが映し出されるはずだった。そのスイッチの入っていない接眼部は黒ずんでいて、ロジアは逆にその中から自分が覗かれているのではないか、と不安に感じていた。
「どうしたんだね?」
 使い方がわからないはずはないし、まさか一息入れてからのぞきたいとでも言うのではないか。それとも、夢の中の存在しない怪物におびえているのだろうか。たしかにその中に映っているのは怪物ではないだろうか。だが、怪物というのは純真すぎるな。そんな言葉は今や、許されてはいない。
 しかしロジアは、レンの二言目までは待たずに、かがむようにして、中をのぞき込んだ。
 「その中に映っているホログラムは銀の封印紋から盗み出した、心理反応式をアコイル97位意識に演算させて作成してみたんだ。」
「なぜ、そんなことをしたんだ。」
 ロジアの声は水の中から発せられたかのように、くぐもっていた。いや、そうではなく水中に沈められたようになっていたのは、その時のレンの意識だったのだろう。
レンはその声をわざと聞き逃していた。その声は窓からもれている、白い光に似て反響するものだった。その声をもう一度ロジア自身に聞かせることができるなら、ということだが。
「98位意識の中で照合してみたんだ。その顔が誰のものかということをだ。
 そしたらその男は、この館の持ち主のセミ・トリノフェタであることが、間違いない事が分かった。」
 ロジアの視覚に浮かぶ顔は、ある顔に一致していた。数分前の悪夢のような幻覚の中で偽物の血にまみれていた男だった。あるいはその死体の幻覚のみが、ロジアがこの世の中で唯一見た、視覚現象であるような気がしてならなかった。ロジアはその事に特別な関心を感じるようになっていた。
 その時のみに、現実的な感覚について思ったのだった。白い光について思った。その光の中で感覚を切り離そうと試みるのだった。

 *  98位意識には生存しているジス・ミル教国の全世代の全人口の年齢別の人相が演算されたものが蓄積されている。
 それはアコイル97位意識が先天的心理・反応式を元に人格イメージを付け加えたものである。その確度は98・2%とされている。
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