エクノイド SF小説 著 岩倉義人

 しかしまあ、イリンをエクノイドの中で見つけ出すことが出来たとして一体どうすれば良いのだろう。もとの世界につれてくれば良いのだろうか。なぜかそんなことをしたら恐ろしいことになるような気がしてならなかった。ドミノ倒しのように彼女の死が連鎖して周りの全ての世界が順々にエクノイドの中に飲み込まれてしまいそうな気さえした。
 それは一見好ましいようにも思えたが、そうなったら私がエクノイドの中に旅立つという、一番の楽しみさえなくなってしまうじゃないか。
 イリンのコーヒーと髪の香りを失った今、これ以上楽しみを失いたくなかった。
 私は半ば見殺しにすることを覚悟しながらエクノイドに旅立って行った。
 とにかくイリンを見つけ出すために。
 しかしまあ、私が彼女のコーヒーを楽しみ、なおかつ彼女の髪の香りを楽しんでいたということ自体彼女を殺していたのと同じことなのかもしれないなあとかすかに思ったりもした。
 ポケットの中にはイリンがいなくなったときの原因となったハンカチがちゃんと入っていた。今日の昼間デスクからポケットに戻したのだ。その隙間にはいまだ猫の毛が挟まれているのだろう。私は怖くてその存在を直接確かめることが出来なかった。だが、かすかに臭いがしている。不思議な偽物の猫の毛の臭いが。私が頼りに出来るのはその香りだけだった。あとは彼女の髪の香りとコーヒーの香り。私が彼女について知っているのはただそれだけだったので仕方がなかったのだ。
 だが、それだけで十分じゃないか。いろんなことを知りすぎたら返って狂ってしまう。そんな気さえした。

 エクノイドに行くためのいつもどおりの準備を済ませてから一枚の手鏡を取り出した。鏡の表面にはある特殊なカビが放射線状に植えつけてあった。それこそがエクノイドに通じている門なのだ。私は門を開けエクノイドに入っていった。指を組みあせてその鏡の上にかざし、私の中の精神上の端子をカビの組成に静かに触れさせることで門が開くのだった。
 その端子は角シュガー・オペレーティングシステムで作られたものだった。それは有機的な精神の上に作られた無機質のプレパラートでもあった。それを作るのは想像以上に難しいわけではない。もともと精神は鉱物に近いものなのだ。それは一般的には誤解されていることなのだが、退屈なのでここでは深く触れることは避けようと思う。
 ただ私はいつもは業務の中でその架空のプレパラートの上に顧客の精神や感情の切れ端をのせ、その状態を感じ取り、その平均的な状態を保つだけの操作をしていたのだ。だが今しようとしていることはその全く逆なのだ。そのことは私の凍り付いてしまった無感情を静かに興奮させた。人間とは刺激になれやすく、すぐにさらなる過激なものを求めるのが常であるだろうが、その点では私は全く平凡であるといえるだろう。
 角シュガー・オペレーティングシステム上では顧客の精神を霧のように拡散させて全世界になじませるのが常套手段だった。そうやって顧客の精神が安定しているように見せかけているのだ。
 しかし、エクノイドは拡散とは対極のところにある。ちょうど、鏡の厚さの中にそれはあるのだ。鏡に映されている像はエクノイドとは全く関係ない。そんなことを考えながら私は人差し指で鏡の表面にあるカビに触れた。そのカビは三年前に角シュガー・OSに精神突入をしているときに見つけたものだった。ある顧客の精神の核の上に寄生していたのだ。私はそのときそれを取り除くことで顧客の精神をもとの健康な状態に戻せると思っていたが、残念なことにそうはならなかった。そのカビを取り除いたあとその顧客である彼女は発狂しどこかに姿を消した。しかし、いつもの事ながら会社は責任を追及されなかったし、私は首にもならなかった。誰も角シュガー・インターナショナルを攻撃することは出来ないし、私を痛めつけることもできないということなのだ。
 ただし彼らはイリンを殺したじゃないか。もしかすると彼女がエクノイドに接したのを知って会社が彼女を殺したのではないだろうか。と空想して私は楽しんでいた。
 彼らはすでにエクノイドのことを知っていて、またその危険性に気付いているのかもしれなかった。少なくともエクノイドは彼らにとっては危険なのだ。エクノイドは生まれた当初は角シュガー・OSに寄生していたのだから。
 本当にそう気付いていたから彼らはイリンを殺せたし、私だって殺すことができるだろう!それはなぜか楽しみなことに思えた。いいじゃないか。ちょうど、そうすれば彼らの中にエクノイドを返せるし、それはドミノ倒しのように彼らの有機的な連合に作用して、全てが破壊されてしまうだろう。殺したければ、殺せばいいさ!私はそう楽観的に考えて歌でも歌いたい気分だった。
 しかし今はエクノイドに行かねばならない。歌うのはそのあとだ。もしくは銃声がするかだろう。私は奇跡的な確立でうまく自宅のごみの山から拳銃を探し出していた。ほんの五分もかからなかった。多分違う瞬間に探せば見つかっていなかっただろう。現実とはそんなふうに出来ている。そのことは私をいらだたせもしたし、実際吐き気さえしたのだが、しかしそうやって正しさが選ばれていくのだ。
 そんなふうにして私は奇妙な感覚を覚えながら納得してしまうと銃のホルスターを脇にぶらさげた。それはこれからさきエクノイドの中で役に立つんだろうか? 撃つとしたら何を撃つ? しかしそれはエクノイドが決めることだろう。私が決めることはその中でイリンをもう一度殺すか、私自身を殺すか、エクノイドを殺してしまうかどれかなのかもしれない。どっちにしろそれは全部同じようなことだろう。

 そういったことをエクノイドの門である鏡を手のひらに乗せて考えていた。
 しかしいつの間にかエクノイドの中に突入していたのだろう。その瞬間は知覚することが出来ないので分からないのだ。だが私は確かにエクノイドの中にいた。
 ただ私は砂漠の薔薇が散る音を聞いた気がした。睾丸の裏側で。