水の国の姫 SFファンタジー小説 : 著 岩倉義人

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6章 8 深き白い玉

 イルミスは自分の体が溶けていく衝撃を感じながら、細長い穴の中を落ちて行った。今考えたらなぜあの時死ななかったのだろうと思ったのだが、その時はそれどころではなかった。彼はなんとか早く潜って水の姫に追いつこうとしていた。だけどそんな彼のことを逆に追いかけて来た物があった。イルミスが振り返ると自分のすぐ近くに水の剣が迫ってきていたのだ。まるで生きているように剣は動いていた。「そんなバカな事があるか! さっきまで天井に刺さっていたのに」百年経っても剣は抜けそうに無いほど深々と刺さっていたのに今まさに彼の背中の数センチのところまで近づいて来ていたのだった。
 するとイルミスは頭にきて少しだけ浮き上がると剣の刃の部分だろうがお構いなしに掴みかかっていった。剣はびっくりして身をふるわせたがしだいにおとなしくなってしまった。そうやって水の剣を握り締めているとなぜかイルミスは息が楽になっていくのを感じた。剣の柄から酸素が送り込まれてきたのだった。「こんな変な作用があるなんて発見したのは僕が初めてかもしれないぞ」そう少し得意になってイルミスは水の姫が沈んで行った辺りに急いだ。
 姫は穴の曲がりくねったところに木の枝のように引っかかっていた。イルミスは姫の体をすくい取るともう一度、浮上出来るだろうかと考えていた。さっきから恐ろしい水流が彼の体を押し流そうとしていたのだ。彼は手を伸ばしてガラスのような穴の壁に触れた。そうしたらびっくりしてすぐに手を引っ込めざるを得なかった。壁は冷たい氷で出来ていたからだった。
 そういうふうにしてもがいているうちにどんどん押し流されて行くと最後には水の無いところにたどりついた。そこは今回の旅の終着地とも呼べる所だった。
 その光り輝く水のチューブは突然終わってしまったのでイルミスたちは宙に投げ出されてしまった。そこはとてつもなく広い部屋のようだった。イルミスは地面に向かって落ちながら辺りを見渡した。なぜかゆっくり落ちていくのでそんなことが出来る余裕があったのだ。下の方を見てみると壊れた木の椅子がたくさん山のように積まれているのが見えてきた。ここは一体何なんだろうとイルミスは考えていた。そして彼らは埃だらけの床の上にふわっと下りることが出来た。何の怪我もせずにあんな高い所から落ちてきたなんてと彼は天井を見上げていた。あんなにたくさんあった水はここに落ちてくるまでに消えてしまっていた。まるで空気中に投げ出された時に光そのものに変化してしまったかのようだった。
「そうか、ここはたぶん特別な部屋なんだろう。だからさっきみたいな水は入ってくることが出来ない」イルミスは一人で静かにつぶやくと椅子を足で押して隙間を開けてそこに意識を失ったままの姫を横たえた。「とりあえず、どうするか、だよな。無事に水の姫が目を覚ましてくれると良いんだけど」それから水の剣を砕けてしまった白い机の上に置いた。ここにちらばっている家具は全部壊れてしまっていたけれど、砂漠の上で長年風にさらされてきた真っ白な木の色にそっくりだった。
「そういえば砂の国のみんなはどうしているのかな。僕はいつになったら帰れるのだろう」イルミスはまたぼんやりと天井の方を眺めていた。もう輝く水は落ちてこないので全く天井の辺りは見えなくなってしまっていた。ふと見ると水の剣がまたほんのりと光りだしていた。
「そうだよな、この剣を水の姫に返しさえすれば全て終わるはずだった。それなのに僕はまだここにいて何かをしなくちゃならないんだ」
 そうしているうちにまた水の剣はしばらく休んで力を取り戻したのかひょこりと起き上がった。そして空中を飛びながら水の姫の方に近寄って行った。だけどさっきみたいな猛スピードではなくふらふらした飛び方だった。
「おい、まだ諦めてないのかよ。仕方ない奴だな」イルミスは少し苦笑いしてから水の剣の柄を握った。そうするとまたおかしな気分がしてきた。それはなんだか凶暴な感じだった。「まだ砂の姫のかけた呪いが残っているのだろうか。どうしてもこの剣を握っていると、水の姫を刺したくなってくる」イルミスはいらいらして今度は傾いた椅子の上に剣を突き立てた。その瞬間椅子はぱきんと砕けてしまった。
「よしいい子だ。水の姫が目を覚ますまでそうやってじっとしていろ」水の剣はカランと音を立てて床に転がった。すると剣の水色の光が消え、辺りは真っ暗になってしまった。「そういえば、あれはまだ使えるだろうか」イルミスはポケットを探ってみた。すると小さな金属の芋虫が顔を出したのだった。背中の第三関節の裏側を少し回してみるとスイッチが入るはずだった。だけど何も起きなかった。「やっぱり水の中に浸かってしまったから壊れたのかな」まだしつこくスイッチの関節をくるくる回していると、突然芋虫の目が鈍く緑に光った。「良し、いいぞ! しばらくで良いから辺りを照らしていてくれ」イルミスの端末はどこかに行ってしまったから複雑な命令はもう出来なかったがそれぐらいは芋虫自体の言語認識機能でなんとか命令することが出来たみたいだった。
 そのほんの小さな緑色の光で姫のいるところを照らしてみて驚いてしまった。姫の姿がいつのまにか消えてしまっていたのだ。
「どこに行ったんだ。あの姫は。もしかしてクライダールにさらわれてしまったのかも。あいつも結構神出鬼没だしなあ」
「いいえ、そうではありません。私はここにいます」イルミスのすぐ後ろに姫は立っていた。姫の姿は最初、芋虫の緑の光の中でうすぼんやりと見えていたが姫が元気を取り戻すにつれ部屋の中自体も明るくなっていった。最後にはガラスで出来たような壁自体から真っ白な光があふれるように差し込んできたのだった。
「あの光は一体何です? 姫が目を覚ますとそれにつられて明るくなってきたみたいだけど」水の姫はそれを聞いて少し笑った。「違うのです。私ではありません。光をもたらす者がもうすぐこの部屋に来るのです。それが来ればすべて終わりになるでしょう」
「終わりですか、あなたの望んでいるものは。僕はそんなもののためにここに来たんだろうか。でもそんなのは嫌だなあ」
「そう、分かっています、イルミス、それは終わりであって終わりでないもの。そのために水の剣もここにいっしょに来たのです。私は最初、剣の力はほとんど失われたと思っていました。だけど、そうではなかったのです。ここに帰ってきて剣の力はますます増してしまった。
 私には剣の力を抑えることが出来なくなってしまった。だから水の剣を元来た場所に返すことにしました。それを手伝って欲しいのです」
「元々剣のいた場所、もしかしてそこにあなたもいたのですか?」
「ふふ、イルミス、なぜ分かったのでしょうね。確かに元に私もそこにいました。だけど、今は私は帰ることは出来ないでしょう。それは私にとって責任を放棄することなのです。でも、少しの間だけならきっと許される。そしてそれはもうすぐここにやってくるのです」
 水の姫が壁の方を向くとガラスのように透けている壁の向こう側から巨大な光の玉がこちらに向かってくるのが見えた。ゆっくりとその玉は回転しながらこちらのことを伺っているようだった。
「あれはさっき水の中で見た、もう一つの太陽?」
 水の姫はくるりとイルミスの方に向き直った。
「そうです。太陽の影です。あの太陽はずっと海の中にいて決して地上には上がりません。だから水の国はあの光によって照らされてきました。決して熱くなることのない光に。その光の中ではあらゆるものは焼き尽くされたりすることはありません。あの光の玉はいわば太陽と敵対するものなのです。双子星の地上の太陽と」
 そう言いながら水の姫は両手を高くあげてその小さな太陽が部屋の中に入ってくるのを迎え入れようとしていた。あそこから彼女は来たのであって今は帰ることは出来ないと言っていた。そういう風に太陽の影はさまざまな力を生み出し続けて来たのだ。そんなことを今までイルミスは知らなかった。だけどあまりすごいとは思えなかった。なんだかそんなふうに力の源でありつづけるためにどんな犠牲が払われてきたのだろうかと思うと気分が悪くなるぐらいだった。そんなものはなくなってしまえば良いのにとも思えてきた。たとえ世界が滅びてしまうとしても。
 だけど太陽の影とやらは確かに存在し、海の底にあるガラスの壁を突き抜けて入ってきた。その白い光は強烈な風を巻き起こして無人の劇場に散らばる壊れた観客席の椅子をあちこちに吹き飛ばしてしまった。そうやって自分の舞台を作ったのだ。
 そんなふうにして空いた空間にゆっくりと白い玉は満足げに降りて来たのだった。それを見ているとイルミスは水の剣をその表面に突き立ててみたくなった。そうすればきっと太陽の影は死に、もうすこし辺りは静かになるのではと思えてならなかった。
「そうです。イルミス、剣を太陽に突き立てるのです」そう水の姫は言った。
 イルミスは頷いて、水の剣の柄を握った。今度は水の剣は逃げ出そうとしなかった。自分も逃げたりしないだろうとイルミスは心の中で誓ったのだった。

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