水の国の姫 SFファンタジー小説 : 著 岩倉義人

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6章 3 白い霧

 そんなふうにして彼らは一週間ぐらいあてどもなく海の上をさまよっていた。ごくたまに海鳥が遠くに飛ぶのが見えたのが唯一の収穫だった。とにかくこの国にも生き物がいることが分かったのだった。
 すると真っ白なウミツバメが一羽彼らのすぐ近くに向かって飛んでくるのが見えた。ツバメはぐるっと船の周りを一周すると少し離れた所でくるくる回っていた。
「何だろうあれ? 何か誘ってるみたい」フレイシーは不思議そうに言った。「そうだな。何の当てもないし付いて行ってみよう。もしかして陸地に連れて行ってくれるかもしれないぞ」
 今度はリレーパーは何の意見も言わずにツバメを見つめていた。だけど彼はなんだかツバメを信用していないように見えた。「見て! また近づいてきた。彼らが何を言っているのか分かるかもしれない」リレーパーはチュクチュク鳴いている鳥の声に耳をすませた。だが、しばらくしてため息をついた。
「だめだ、てんで話にならないよ。彼らは何か恐ろしいものを見たと言っている。それでいてそれはとても綺麗なんだってさ。それで、この先にいつも深い霧が沸いている場所があるらしい。そこの中で彼らは見たんだってさ。とりあえず行ってみても良いけど、もしかして罠かもしれないよ。あと、水の姫のいる場所は知らないって」
「そう、でも、わざわざその場所の事を知らせてくれたってことは何かあるのかもしれないわ」
「僕よりも鳥の方を信頼するんだね。やっぱり蛇は嫌われ者だよ。好きにすれば」と言ってリレーパーの姿は消えた。そして霧の中に行ってみるかどうか考えている暇もなくイルミスたちの乗っている船はだんだんと霧に囲まれていったのだった。しばらくすると霧はどんどん濃くなってほとんど視界が効かなくなってきた。すると、イルミスが霧の中で声を出した。
「なんだか不思議な匂いがしてきたぞ。花みたいな匂いだ」
 辺りは甘いユリのような香りに包まれていた。こんな海の真ん中に花が咲くはずないだろうとイルミスは思ったがそれは幻ではなかった。船の進む先に一本の細い木がぽつんと生えているのがうっすら見えてきた。白くて細長い頼りない枝の上には桃色の花が咲いていて、そこに小さな甲虫が集まってきていた。イルミスは船を木のそばに止めた。そしてその花びらに触れてみた。
「なんだろう、この匂いは嗅いだことがある。そうだ、だいぶ前に僕が鷹になってしまった幻覚をレイダルスに見られたことがあった。その時に水の国の姫に会ったときに彼女の手のひらにしていた匂いだ。間違いない。彼女はこの近くにいるぞ」フレイシーとリレーパーは顔を見合わせた。
 まだ、イルミスが花を撫でるように触っているとそこに止まっている真っ赤なカナブンのような甲虫は飛び立ってぽちゃんと海に落ちてしまった。そのまましばらく虫はもがいていたが力尽きて沈んでいった。すると奇妙なことが起こった。海の底の方から小さな泡が沸き始めたのだ。イルミスたちはキョトンとしてそれを眺めていた。しばらくすると泡はどんどん大きくなっていった。「多分何かが泡を吐き出しているのに違いない。こんなに沢山の泡を吐く奴は相当の大物だぞ。早くここから離れた方が身のためかも」
 そうイルミスは言って船の推進レバーを前に倒そうとした。だけどこんな時に限ってレバーは動かなかった。「何かが引き止めてるんだよ」冷静に言ってからリレーパーはじっと海の底を見つめていた。海の水はたとえ濃い霧の中にいても透けていてかなり深いところまで見ることが出来た。
「あ、何か来たよ」何か大きな真っ黒い影が浮かんでくるのが見えた。その表面はかすかに青い燐光を放っているみたいだったが何かはよく分からなかった。だけどそれはとてもゴツゴツした鎧のようなもので包まれていることだけは分かった。そしてそれはあっという間に海面に姿を現せた。それは巨大なサソリのような怪物だった。意外なことにその背中には真っ白な肌をした人間が乗っていた。その男は体はほとんど何も身につけていなかったのに白いくちばしのような仮面を顔に付けていたのでどんな表情をしているのかまったく分からなかった。その男の髪の毛はごわごわしていて長く伸びていた。そしてその髪の毛は真っ白だった。
 イルミスたちは逃げ出すことも出来ずにぼんやりその姿を見つめていた。すると、その男がこちらに声をかけてきた。
「お前たちは一体何者なのだ。いや、答えずとも私には分かる、お前たちは砂の国の者だな。私に数千年前に埋め込まれた記憶がそう答えている。それに報告に合った通りだ。私はここで水の姫が現れるのを待っていたのだが、君たちがやってきた。それは本当に意外だったが、かえって好都合だ。お前たちがここにやってきた理由を聞こう」
 そう男は息もつかずに話しつづけた。イルミスはどう答えたら良いのか迷った。本当に来た理由を水の国の民に言ってはならないとレイダルスに言われていたことを思い出したからだ。
「僕たちは水の姫に会いにきた。ただそれだけです」
「ただ、それだけ、か。そのために命の危険を冒してやってきたのだな。お前たちは面白い奴らだ。歓迎しよう。私はクライダール、前の黒い使者を継ぐ者だ」
「僕はイルミス、それにこっちはフレイシーとリレーパーです。よろしく。とりあえず聞いておきたいのだけどあなたのたちのところに水の姫がいる訳ではないのですか。姫はどこかに出歩いているのかな」
「出歩いているもなにも、姫は私たちを裏切ったのだ。それもつい最近ではなく20年ほど前のことだ。彼女は私たちに水の力を渡すのを拒んで水の城から逃げ出したのだよ。それを黒い使者が助け続けていた。だが、もう彼はいない。自分の過ちによって死んだのだ。
 それにもうすぐ姫も私によって始末されるだろう。そうすれば全て方が付く。もう砂の国の侵略に悩まなくても済むようになるのだ。水の姫は砂の姫に対してやさしすぎた。そしてそれは自らの国の崩壊を招いたのだよ」
 イルミスは尋ねた。「崩壊だって? そちらの国の責任をこちらに押し付けてきただけじゃないのですか? あなたたちは僕等の国の住民を沢山連れ去って殺したくせに」
 その巨大なサソリに乗ったクライダールという男の白い肌は薄暗い色に変わり始めた。
「それはバランスを取るためだったんだ。仕方なしに黒い使者はそうしていたんだ。それよりも何十倍もの命がここから失われていった。だが砂の国の民を海に投げ込むことで水の国から奪われていった力が少しだけ戻されて私たちはなんとか生き延びてきたのだ。
 彼がしてきたことは私たちにとってとても重要だった。だけどもそれだけではもう足らなくなってしまったのだ。だから黒い使者は自ら砂の姫のところに出向いて行ったのに。
 だが、彼が死んだのは水の姫が彼を裏切ったからだと言えるだろう。彼女は砂の姫の方をとったのだ。全てはもう、終わってしまったことだ」
 それを聞いてフレイシーは大声で叫んだ。
「終わったとか言わないでよ。私たちが水の姫に会えば全て済むって砂の姫が言ってた。だから、私たちが水の姫に会うのを手伝ってほしいの」
 するとクライダールは大きな声で喉の奥から引きつったようながらがらと音を立てた。たぶん笑っているのだ。「私が君たちを水の姫に会わせるだと、なぜそんなことをする?
 さっきも言ったとおりに水の姫は私たちを裏切ったのだ。その姫に力が戻ることをして何の得になる。
 だから君たちを水の姫に会わせる訳には行かないのだよ。だけどもう少し早かったらどうにかなっていたのかもしれないのだが」
 そう言うと男は黙り込んでしまった。話の雲行きが怪しくなってきたのでイルミスはここから逃げようとまた強く船のレバーを動かしてみた。すると今度はクライダールの気が緩んでいたのか船はすごい勢いで動き出した。だが進む方向を誤ってしまったのだ。イルミスたちの布の船は巨大な海サソリに向かって一直線に進んで行った。そして危うくぶつかりそうになったとき、サソリは男を背中に乗せたまま海の中に姿を消した。その上を船は難なく通りすぎることが出来た。「意外となんとかなるかも」このままスピードを上げて突っ切れば引き離せるかもしれないとイルミスは思った。
 だけどしばらく進んだ所で彼らは待ち構えていたのだった。ちょうど船の真下からサソリは急浮上してきた。そしてその鋭いハサミでイルミスたちの乗っている細長い船の真ん中のところを真っ二つに引き裂いてしまったのだ。
 イルミスたちは海の中に投げ出された。彼らの体のまわりに水の力が押し寄せてきてじゅわじゅわと溶けるような音がした。だけどかろうじて砂の姫から貰ってきた指輪がそれを押しとどめているようだった。
「なんとかしないと!」イルミスは必死にもがいたが何も出来そうになかった。目の前の深いところをフレイシーの体が沈んでいくのが見えた。彼女は気を失っているみたいだった。「これじゃあ、持ってもほんの数分だぞ」そう考えている間もなくイルミスの意識は霞んでいった。最後の瞬間に巨大なサソリがこっちに向かって突進してくるのが見えた。
 そしてサソリがぶつかる衝撃が襲ってきた。体の中の血が沸騰して全部無くなってしまう感じだった。もう指輪の力も残っていないのかも。イルミスはリレーパーとフレイシーのことを助けられなかったのが悲しかった。だけどもそれももう終わるだろう。クライダールが言うとおりに全て遅すぎたのかもしれなかった。

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