水の国の姫 SFファンタジー小説 : 著 岩倉義人

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6章 2 真夜中の巨大な蝶

 それから丸一日東に向かって行くと砂漠の切れ目にたどり着いた。もし蛇ラクダに乗っていなかったら一週間はかかっていただろう。その砂の国の終わりになる場所はとても不思議な場所だった。だんだんと進むにつれ地面の砂が固まっていき最後には固い岩盤になった。その緑色の巨大な一枚岩の上を蛇ラクダは音も立てずに歩いていった。
 最後に蛇ラクダはすっと止まった。これ以上進むことが出来なくなったからだ。いくら彼らでも地面のないところに進むことは出来ないらしい。ちょうど岩盤が終わるところは大地の裂け目になっていて、そこから海が始まっていたのだ。
 その裂け目は岩盤の奥深くに切れ込んでいて、そこから水が湧き出していて、一本の川がそこから急に生まれているように見えた。
「はあ、何なんだろう、ここは。血が湧き出してるみたいに水が沸いてきてる」そうフレイシーはつぶやいた。ごうごうと流れる水の音を通してレイダルスは言った。
「そうだ、ここから水が沸いている。この水はまるで砂の国の内部から湧き出しているように見えるけどそうではない。実は水の国の地下深くを巡ってきた水が砂の国の火の力に押し戻されて地上に湧き出してきているだけなのだ。砂の国がどんなに水の力を嫌っているのか、これで分かるだろう」レイダルスは自分自身のたった今言った言葉に感心して大地の裂け目から水を見下ろしていた。水はそれに反論するようにぴちゃぴちゃと跳ねていた。
「それでこれからどうするんです?」イルミスは冷静に聞いた。
「これからは蛇ラクダを使うことは出来ない。彼らは水が苦手だからだ。それは私も同じことだ。だからここで君たちは私と離れて進む他はない。さあ、布の船を組み立てよう」
 レイダルスは蛇ラクダの背中から大きく膨らんだ荷物を下ろし始めた。それをイルミスは受け取って地面に置こうとしたが荷物は思ったよりも軽かった。
「この中に食料が入っているんですよね。その割にはなんだか軽いなあ」
 急いでレイダルスは荷物を解きながら笑って言った。「心配には及ばない。食料はすべて乾燥されて圧縮されている。ここから先いくらでもある海の水を濾過して含ませればたちどころに元に戻るように出来ている。水を濾過をすることで同時に砂の姫の力を水に与えていることにもなるんだ。だから君たちが飲む水はこの濾過装置を通して作ることになっている」そう言って彼は小さな鉄の箱をイルミスたちに見せた。こんな小さな箱が頼みの綱だということが少し不安だったが逆にそれもなんだか少し愉快であるようにイルミスは感じた。
「へえ、これが魔法の小箱ってわけか。この箱がちゃんと働いているうちは僕等は生きているけど壊れたらとたんに死ぬしかなくなるってわけだね」
 それを聞いてレイダルスは意外にも真剣な表情をしてみせた。「そうだ。だからこの小箱は二つ用意してある。一つは予備として大切に扱うように。それからもう一つだけ言っておくと君たちに渡した指輪にはもう一つ作用があって君たちが短期間なら日の光を浴びなくても大丈夫なように出来ている。とはいえ、その作用はとても限定的なので出来る限り水の国にいても日光浴はかかさないように」
 イルミスはそれを言われるまで自分の皮膚や心臓にやっかいなウイルスが住んでいるのをすっかり忘れてしまっていた。砂の国にいたら年中日が照っていたから日光浴のことはそんなに気にしないで済んでしまっていたからだ。もしイルミスたちのような子供が一週間も日を浴びずにいたらウイルスのせいですぐに心臓病になってしまうだろう。だけど、水の国に行ったらどういう天候になるのかよく分からなかったから、病気になってしまう危険性もあった。
「なるほど、そうだね、この指輪があれば安心かも。どうもありがとう、レイダルス」手際良く船を組み立てながらレイダルスは答えた。
「お礼をいうのなら砂の姫に言うんだな。彼女は君たちの事を本当に心配していた」
 イルミスは水の剣を前にして取り乱していた砂の姫の事を思い出した。彼女は今も砂の塔にいてあそこから国中を見守っているんだろう。その力がほとんど及ばないところに自分たちは行かないといけない。だけど、色々な姫のくれた物が今になって考え抜かれたものであることにやっとイルミスは気がついた。
「さて、船が組みあがったぞ。この布の船には水に濡れるとそれだけで固くしまっていく性質がある。君たち二人と荷物の重量には十分に耐えてくれるはずだ。ではさっそく乗り込みたまえ。君たちが乗り込んだら私が船を押そう。船は水の中に入ったらひとりでに流れに乗って沖に進むはずだ。しばらくしたら海流はなくなってしまうかもしれないが、それでも船は自動的に進む。船の底面にある火の力が水の力と反発したときに生まれる力を推進力に変えて船は進むのだ。速度をコントロールしたいときには船尾にあるレバーを操作するように」
 それから、イルミスたちが船に乗り込むとレイダルスは船尾をぐっと力をかけて押した。すると船は水の上にふわりと浮かんだ。それからものすごい勢いで船は進み始めた。二人が振り返るとすでにレイダルスは鷹の姿に変わっていた。彼は二人が声をかける暇もなく飛び立って行った。それに追いつこうと必死で蛇ラクダたちも走り始めた。
「ああ、行ってしまった。これがほんとに海なのかしら。ねえ、イルミス、私たちはもう水の国にいるっていえるのかな」フレイシーは不思議そうに脇に流れる水の塊を眺めながら言った。「うーん。そうだな。確かに水の国なのかも。だけど、レイダルスは水の国と砂の国の間には境目があるって言ってた。だから、今はその狭間とやらにいるんじゃないかな」
「ふーん。そう」フレイシーはなんだか少し不安になった。今までの生きてきた中で砂の国以外の場所にいたことはなかったし、国と国との狭間にいたこともなかったからだ。それはなんとも奇妙な宙ぶらりんな感覚だった。
 しばらく進んでいくと視界から完全に陸地は消えた。それから辺りはだんだんと闇に包まれていった。空には青い満月が浮かび始めた。その満月のまわりに楽しそうに飛んでいる物が見えた。小さな蝶みたいだった。
「ねえ、見てイルミス! きれいな蝶がいる」イルミスもびっくりして空を見た。
「ほんとだ、なんだありゃ、こっちの方に飛んでこないかな」
 意外にもそんな風に話している二人に加わる声があった。
「バカじゃないの君たちは。あの蝶は君たちの体液を吸うために今にここにやってくるよ。早く銃を用意して」なんだかひどく冷静な子供の声だった。
 イルミスが船の中の影に目を凝らすとぼんやりと男の子の姿が浮かんできた。ホログラムみたいに掻き消えそうな姿だった。「リレーパー、何時の間に出てきたんだ。君は袋の中にいて水の剣に噛みついていなければいけないんだろ?」
 緑のフードをかぶった男の子はふふっと笑った。「大丈夫だよ。イルミス。僕はちゃんと剣のそばににいる。だけど袋の中にいちゃ退屈だろ。だから意識だけ実体にして現れたってわけさ。それはそんなに難しいことじゃないんだよ」
「でも、君は薬で眠らせられていたんじゃなかったけか?」男の子はそれを聞いて不満そうだった。「姫は僕の力を見くびっていたんだよ。こんな薬、僕には必要ないって言ってたのに。僕は薬を受け入れなかったから薬は効かなかったんだ。だけど、僕はこんなちんけな剣を飲み込んでいても別に平気なんだ。だからこんな風に姿も現すこともできたんだよ」
「そう、まあ良いわ。よろしくねリレーパー。私はフレイシーって言うの」彼女はなんだかうれしそうだった。「僕もうれしいよ。フレイシーと一緒に行けて」そこで彼は空を見上げて叫んだ。「大変だ! イルミス、もう蝶が近づいてきた」
 イルミスが振り返ると銀色の鱗粉を振りまきながら一羽の蝶がこちらに飛んでくるのが見えた。蝶の羽根は透けていて向こう側に月が見え隠れしていた。そんな姿を見ていると、とてもこちらに敵意を持っているようには見えなかった。「早くレイダルスにもらった銃を出して!」リレーパーはまた叫んだ。その声を聞いて蝶は喜んだのかもっとこちらに寄ってきた。するとその蝶は人間よりもずっと大きいことが分かった。その口の先は銛の様に尖っていて透明なよだれが滴っているのが見えた。
「そうよ。イルミス、やっぱり蝶はこちらのことを狙っているんだわ。なぜか分かんないけどそんな気がする」
「分かったよフレイシー、今、銃を出すよ」イルミスはあせってザックの中を引っ掻き回していた。「ああ、これだこの袋だ」彼はやっと細長くて赤い袋を探し当てた。だがその時フレイシーの悲鳴がした。イルミスがちょっと目を上げると顔のすぐ近くに蝶の巨大な頭が迫ってきていた。そして蝶は手を伸ばすといとおしげにイルミスの頭を捕まえたのだった。
 彼はもがいてなんとかして逃れようと思ったがなぜかそうする気が起きなかった。蝶の胸に抱かれているとなんだかとても気分が良くなってきたのだ。「ああ、こんな綺麗な蝶に血を抜かれて死ぬのなら、逆にうれしいかもしれない」そうトロンとした目でイルミスはつぶやいた。そして蝶の方を向くと自分の方から蝶を抱きしめにかかった。
 蝶の複眼は紫色をしていて光り輝いていた。そしてその目の中にイルミスは不思議な幻覚を見ている気がした。それから蝶は少し頷いて細長いくちばしを伸ばすとイルミスの首筋に当てた。それでも彼は自分が死ぬ瞬間をただ待っているだけだった。
 だけどもイルミスが蝶の目の中に何か見たその時だった、蝶の頭は消し飛んでしまっていた。イルミスは怒って振り向くとフレイシーが銃を構えて立っていた。銃の先からはキーンとものすごい音の銃弾がまだ出ていたので今度は彼は耐えられなくて耳を塞いで床を転げまわった。
「バカねえ、イルミス。あの蝶が気に入ったの?」彼はまだ床で小さく丸まったままだった。「もう血を吸われちゃったかな?」リレーパーは逆に楽しそうだった。
「大丈夫よ。多分ね。あ、またやってきた。撃ち落とさないと」そう言ってフレイシーは次々と蝶を撃っていった。蝶は強い音波に弱いらしく、音の銃弾に当たると羽根が引きちぎれてしまった。その羽根がふわふわと海面に落ちて行くのをイルミスはぼんやり見ていた。すこし薄笑いしているみたいだった。
「ねえ、イルミス、あなたほんとに大丈夫?」イルミスの顔は奇妙に青白くて冷や汗をかいていた。「少し休んだ方が良いわ。蝶はもう来ないみたいだし」するとイルミスはつぶやいた。「あの蝶はせっかく僕の事を向かえに来てくれたのに。蝶の目の中に見たんだ。あの人がいたのを」それを聞いてフレイシーはショックを受けた。
「何言ってるの? イルミス。あなたはあの蝶に血を抜かれかかったのよ!」それでもイルミスはうつむいて顔をマントの中に隠すだけだった。
「ちょっと待ってフレイシー、蝶の目の中に何を見たの、イルミス?」リレーパーはかがみこんでイルミスにやさしく問いかけた。そうすると彼はふるえる声で答えた。
「嵐みたいのがあって、そこに白い船が見えた。きっとあそこにあの人が乗ってるんだ。あの蝶はあの人の使いだったんだ」
 それを聞いてリレーパーはしばらく腕を組んで考えていた。「きっとこういうことだよ。あの蝶はたぶん前に水の姫の乗った船を襲おうとしたんだ。その時の蝶の記憶を目の中に見たんじゃないだろうか。あの蝶は自分の獲物を幻覚で酔わせてから血を吸うらしい。悪趣味だけど、それが蝶にとって一番安全なんだ。とりあえずフレイシーがいてくれて良かったよ」
 彼はフレイシーの方に目配せした。彼女は蝶を撃ち落として興奮したのか顔を紅潮させて言った。「あんな奴ら全部海に沈めてやったわ。だけど、その蝶の記憶ってどういう意味? もっとはっきりしたことが分かればヒントになるってことかな」
「そうだね。だけど、イルミスがこんな感じじゃどうしようもないけど」
 イルミスはいつのまにか頭を抱え込んで眠りについていた。だけど、その穏やかな寝息は彼がもう落ち着きつつあることを示していた。
「まあいいよ。眠らせておいてあげた方がいい。イルミスだってきっとびっくりしたんだわ」そう言うとフレイシーも大きくあくびをした。もうすでに真夜中を過ぎていたのか、満月が高く登っていた。「うんそうだね。僕等も寝よう」そう言うとリレーパーの姿は掻き消えてしまった。彼は自分の意志の力で幻の様に人の姿を作り出していたのだから眠るときは袋の中の蛇に戻ってしまうのだ。
「ほんとあの子は変わってる。よく水の剣を飲み込んだままなのにあんなふうに平気でしていられるもんだ。たしかに砂の姫はあの子のことを勘違いしていたのかも。あの子はもっと強いもの」
 そう言うとフレイシーも自分のマントに包まった。意外にもその布の中は柔らかくて心地よく波の音も静かだったのですぐに彼女も眠りに落ちていったのだった。

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