水の国の姫 SFファンタジー小説 : 著 岩倉義人

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6章 1 蛇ラクダ再び

 イルミスは出発の日までまた蛇ラクダなんてものに乗らなくてはいけないということをすっかり忘れてしまっていた。だが目の前にその蛇ラクダがいるのを見るとすっかり怖気づいてしまった。見た目もなんだかグロテスクだったし、なにより匂いが酷かった。
 だけどフレイシーは別に平気なようだった。彼女は蛇ラクダの奇妙に曲がりくねった細長い首のところをカリカリと掻いてやっていた。
「お前、よく大丈夫だなあ。こんな気味の悪い生き物」
 フレイシーはさっと真っ赤な髪を揺らせて振り返った。
「あら、平気よ、匂いだって嫌いじゃないし、見た目だって誰かさんよりかはずっとまし」
 その彼女の言う誰かさんとやらが自分じゃないようにイルミスは願った。
 それから彼がまだ夜が開けたばかりのひんやりした空気の中、見上げてみるとラクリマスの木の葉がざわざわと茂っているのが見えた。レイダルスがここを待ち合わせの場所に選んだのだった。早朝のその時間にラクリマスの木のところに来てみると蛇ラクダが三匹、木の幹に結わえられていた。だけど、レイダルスの姿はまだなかった。多分何かの用事をすませてからこちらに向かってくるのだろう。とイルミスは思った。
 イルミスとフレイシーは自分たちのリュックにある程度の荷物をつめて持ってきていた。
 どのような旅になるのか余り予想がつかなかったので、それがこれから先どういう風に役立つか分からなかったがとりあえず自分たちの衣類など必要最低限のものは持ってきたのだった。それに姫からもらった魔法の品も持ってきたのだがそれだってどれぐらいの効果があるのか不安に思えてきた。そんなものもこれから行くところに比べればなんてちっぽけなんだろうと思えてならなかったのだ。
「イルミス、私たち一体どうやって水の姫を見つけたらいいんでしょうね」といつになくフレイシーは不安気に言った。
「そうだな。あの後、砂の姫と連絡を取り合ってみたけど、とにかく行ってみないことにはほとんど何も分からないらしい。唯一のヒントがあるとすれば僕が水の剣の中で見た幻の中にあった場所に行けば良いかもしれない。というぐらいのことだよ。だけどもそれは大海原のど真ん中という感じだったし、もっと具体的な事が前もって分かれば良いんだけど」
「そういえば、イルミス、まだ言ってなかったけど、私もあの錆びた剣、水の剣の中に不思議な幻を見たの。そこはなんだかとても寂しいような波打ち際で大きな綿みたいな繭が転がってた。その中に5才くらいの小さな女の子がいたの。怪我をしているみたいだった。それでその子以外もその繭の中にもう一人いたみたい。だけどその子はどこかに行ってしまったってその子は言ってた。その後その子は白い船に乗って海に旅立って行った。
 今まで水の姫とは関係ない話だと思って黙っていたけど、何か役に立つこともあるかもと思ったから話してみたけど、どう思う?」
 それを聞いてイルミスはうーんと唸り声をあげた。
「そうだなあ。関係あるかもしれないし、ないかもしれない。だけど水の剣の中に見たってことは何か重要な意味があるのかも。でもその女の子は僕の見た水の姫よりはずっと幼い感じだしなあ。もし、もう少し時間があったらその事を砂の姫に尋ねてみても良かったんだけど、今となったらしょうがない。それともまだレイダルスが来るまでの間に間に合うだろうか。そう言ってイルミスは端末をリュックから取り出すと砂の姫を呼び出そうと試みた。だけど姫は全く答えなかった。
「だめだなあ、やっぱり朝早すぎてまだ寝てるのかも」ちょっとイルミスはがっかりしたみたいだった。「ごめんね、イルミス。もっと早く言っておけば良かった」
「まあ、良いさ。気にすんなよ。それよりあれを見てみろ。さっそく奴のお出ましだ」
 イルミスが空の高いところを指差すと何か小さなものがこちらに向かってものすごい勢いで飛んできているのが見えた。それがやっと赤い鷹だと分かるぐらいになるともうすでに鷹は着陸する姿勢に入っていた。
 地面にたどり着くとその鷹はとても巨大であることが分かった。フレイシーはビックリしてため息をついた。思ったよりその鷹はとても綺麗だったのだ。レイダルスが変身している鷹ならもっと陰険でいじけた鷹だと想像していたのにそれを裏切られてしまった。
 そうこうしているうちに鷹はまた人の姿に変わった。フレイシーはずっと鷹の姿のままでいればいいのにと思ってしまった。
 急いで飛んで来たのでレイダルスは息を切らせて言った。
「驚いたろう、蛇ラクダだけが君たちを待っていたから。私は昨日の夜中からここにいて蛇ラクダの世話をしていたのだが、明け方ぐらいになってもう一度姫のところに帰らなくてはいけなくなってしまったんだ。とりあえず、用事は済んだし君たちさえ良ければ、さっそく出発しようと思うのだが」
「僕等はもう大丈夫さ。準備万端で早くしてほしいって感じだよ。そうだよな、フレイシー」イルミスがフレイシーの方を振り返ると彼女は黙って頷いた。
「そうか、分かった。では水の国に向けて出発するとしよう。姫は気をつけて行ってきてと言っていた。私も最初は少し不安だったのだが姫の言葉を聞いて君たちなら大丈夫だと思うようになった。きっとどういう恐ろしいことが起きたとしてもなんとかなるだろうと思う。それじゃあ、おしゃべりはこれくらいにしてさっさと蛇ラクダに乗りたまえ」
 イルミスは嫌悪感に体を震わせながら蛇ラクダにまたがった。フレイシーは跳び箱を飛ぶようにさっと飛び乗った。それを見届けてからレイダルスも自分のラクダに腰を落ち着けたのだった。
「そう言えばイルミス、まさかとは思うが水の剣を家に忘れてきたりしてないだろうな」レイダルスが聞くとイルミスはまだ震えながら答えた。
「大丈夫だって。ちゃんとリレーパーが噛みついたままになってる剣を持ってきたから」そんな様子のイルミスを見てレイダルスは笑った。
「そうか、それなら良い」そう言って彼は蛇ラクダの腹を足でやさしく蹴った。するとそれを合図にしてラクダはのっそりと歩き始めた。
 始めラクダはとてもゆっくり歩いていたのだが、だんだんとスピードを上げ始めた。だけどふわふわ浮いているようで、激しい振動は全く感じなかった。
「うわーやっぱりこの感じだよ。幽霊に乗ってるみたいで気持ち悪いたらありゃしない」イルミスは馬鹿みたいに大きな声を張り上げたがまわりには彼ら三人以外には誰もいなかった。ただ砂漠だけが広がっていたので街の影すらも見えなかった。
 フレイシーはもう一度だけ振り返って街の姿を見たいと思ったが砂の滲んだ灰色の空だけが見えていた。だけどその空に意外な姿を見つけた。小さくてパタパタと飛んでいる犬の姿を。その犬は一生懸命間の抜けた声でフォン! と鳴いた。
「ねえ、イルミス、パルスがやってきた! ねえ見てよ!」フレイシーは興奮して指差した。「ほんとだ。パルスだ。どうやってここに僕たちがいることが分かったんだろう」
 パルスはがんばって羽ばたいていたがだんだんと蛇ラクダから引き離されていった。
「パルス! もう良いわよ! 帰りなさい、トリローファスのところに」そうフレイシーが叫ぶと通じたのだろうか、彼は背中を向けて引き返し始めた。そして彼が帰って行く先に小さな人影が見えた。トリローファスの姿だった。
 フレイシーが彼にパルスを預けに行ったとき彼は意外にも快く引き受けてくれたのだった。もっと信じられなかったのはパルスがすぐに彼になついてしまったことだった。
「世の中にはよく分かんないこともたまに起きるのね」なんだか少し悔しくなってそうフレイシーはその時つぶやいたのだが、それでも安心して出かけることが出来そうだった。それにトリローファスもたまには良い所があるのかもと思えてきた。
 そんな彼とも今度は何時会えるのだろう。そう思って遠くに霞んできた人影に手を振ると彼も手を大きく振って答えてきた。何か言っている様だが風の音に遮られて何もほとんど聞こえなかった。だけど彼が応援してくれてることは伝わってきたのでうれしかった。
 そのトリローファスの姿もすぐに砂の風の中に埋もれてしまったので、フレイシーはまた前を向いた。このままこの勢いで進んでいけばすぐに国境にたどり着くだろう。そうしたらその先は一体どういう世界が待っているのだろうと彼女は思った。
 前もって水の国のイメージ画像を図書館のホログラムで見ていたのだがそれは数百年前に撮られた物だったから掠れてしまっていてほとんどよく分からなかった。それ以来水の国に行った人はいなかったのでそれ以外の画像は全くなかったのだ。それでもそこは恐ろしいほどの沢山の水で溢れかえっているということだけは分かった。フレイシーにはそれだけで十分な気がした。ただ、その国は水の中に閉じ込められていて、それは砂の国が砂塵に閉じ込められているのとちょうど反対だ。ということだけが事実だと思えたのだから。そして自分はこれからそこに行って水の姫を見つけるのだろう。「だって、そうしないといけないから」フレイシーはつぶやいていた。そうしないとホンセ・リーラーは消えてしまうだろうし、パルスだっていなくなってしまうだろう。そうなるのが彼女はたまらなく嫌だった。だけど、ホンセ・リーラーが言ったとおりに本当に出来るのだろうかと思うと不安で胸が苦しくなった。空を見上げるとだんだん太陽の双子星が登ってきて空は桃色に染まり初めていた。これからこの国は暑くなっていくだろう。その暑さを皮膚に染み付かせておければ良いのにとフレイシーは思ったのだった。

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