水の国の姫 SFファンタジー小説 : 著 岩倉義人

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3章 8 虹色の鍵

 それからフレイシーは一度家に帰り、カメラや証拠品を入れるための有り合わせの紙箱などを鞄に詰め、また温室にやってきた。
 だけど、その時には待っているはずのトリローファスの姿はなかった。
「あいつ何時の間に帰ってしまったんだろう。たぶん愛しのお父様にでも呼び出しを食らったのかも。まあ、いいやまだ誰も来てないみたいだし、さっさと証拠品を集めないと騒ぎになってしまったらどうしようもないし」
 フレイシーはブツブツ言いながら、ミーレのいた場所に近づいていった。何かが前と違っているようだ。見た目にはそんなに違いはなかったけど、とてつもない何かがちょっとした間に起こったような気がした。
「でもまあ、気のせいか。でも、このにおい、前にも嗅いだような気がするけどいったい何の臭いなんだろう」
 何かがぶつかった上にもみくしゃにされて、その上火を放たれたような。そんな時に出るガスのような香りが温室に充満していた。
 それから彼女はかがみこんでミーレの入れてあったガラスの容器の破片を小箱に詰め、辺りの写真を2、3枚撮った。ミーレ自身の体の破片は前に集めてあったから今度はもう集めなかった。
 ガラスの破片はかすかに虹色に光っていてつーんと鼻を刺すにおいがしていた。確かに一度帰る前にはこんなにおいはしなかったはず。トリローファスがやけを起こしてもしかして何かの薬品をぶちまけたのかも。だけど、彼がそんなことをするようには思えなかった。

 そしてその後、エイテルシー先生に会ってミーレが誰かに壊されてしまったことを伝えた。先生はかすかに驚いたように眉をひそめたが、「分かりました、調べておきます。しばらくの間、温室のドアは閉鎖するように保安コンピューターに命令しておきます」そう言っただけだった。先生にとっては乱暴な生徒がドアを蹴破ったとかトイレの中で火をつけたとかいった方が大事件なのかもしれない。先生も自分と同じくらいミーレのことを大事に思ってくれているとフレイシーは感じていたので、そうでなかったのでショックだった。
「幻滅しててもしようがないわ。AIはしょせん機械だもの。必要以上に物事に感情を感じるようにできてないんだ。だけど、ミーレはそうじゃなかった」
 その日の後の授業はいつも以上に長たらしく感じた。いつになったら終わりがくるんだろう。フレイシーはポケットの中のミーレの死骸がだんだんと冷たくなってくるのを感じた。
 やっと授業が終わって家に帰りつくと、彼女はホンセ・リーラーに話しかけた。前と同じ手順で侵入しなければならなかったけど、今度は慣れていたからか30分ぐらいで彼のところにたどり着いた。
 今度は医療コンピューターのところで偽の申請書を出すのはやめておいた。医療コンピューターが別の患者の処理に手間取っている間にそこの後ろをすり抜けてミーレからもらった鍵を無理矢理差し込んでしまったのだった。
 その時受付の係と患者はおや?と、とぼけた表情をして辺りを見回したがその時にはフレイシーの姿はなかった。
 ホンセ・リーラーの部屋に入ると中の様子は前と変わっていた。中は巨大な書斎のようになっていて、周りには黒光りする木のパネルが一面に巡らせてあった。パネルの一枚一枚には真鍮の取っ手が付けられていてその下に鍵穴が開いていた。その中にはパネルの数だけ彼の秘密が隠されているのだろう。天井を見上げても、そこには照明がなく真っ暗だった。それを見ているとなんだか吸い込まれそうな気分になって頭がクラクラした。
 その部屋の真ん中の椅子に彼は座っていた。彼は前みたいなふわふわした姿ではなく、若い男の姿になっていた。だが彼の髪の毛も着ているスーツもそれに瞳まで暗い紫色に光っていた。だだ、皮膚だけは石鹸みたいに真っ白だった。そんな男がじっとこちらを見つめているのに気がついた。彼は笑みを浮かべているようでいて無表情だった。
 しばらくしてフレイシーは口を開いた。暖炉には火がついているのに息は真っ白だった。
「あんたってほんとに変わってるわね。いちいち存在しない世界なのに、こんな部屋を作ってみたり、自分自身に紫の髪の毛を生やしてみたりして」
 彼はいすの上で足を組んだままフフッと笑ってみせた。
「今日は準備する暇があったからね。君が来るってことが前もって分かっていた。その確率は99パーセントってところだ。1パーセントの確率に入るためには君が突然心臓発作に襲われるか事故に遭うかしなければならなかった。だけどそうならなくて良かったよ。
 来てくれてどうもありがとう。まあ座ったらどうだい。そうしたらどうしてこの部屋が存在するのかも分かるかもしれないよ。君ならね」
 フレイシーはいつの間にか自分の背後に現れていた質素な木の椅子に腰掛けた。
「それで、私が何のためにここに来たって言うの?」
 今度はホンセ・リーラーが落ち着かなそうに素早く立ち上がった。それから部屋の中をゆっくり一周し始めた。どんよりと重たい木のパネルを眺めながら、自分の想像が作ったこの部屋の中に外の風景が見える窓でも作っておけば良かったとでも思っているふうに見えた。ある場所まで行くと、彼は立ち止まって木のパネルを押した、するとパネルは開いて一冊の古びたノートが飛び出してきた。彼はそれを満足そうにぱらぱらめくりながら、また元の椅子の方に向かって歩いてきた。
「そうだよ。たしかにそうだ。君がここに一度来てからというもの、おかしなことばかり起こった。その一つずつが具体的になんだったのかは君には言うわけにはいかないけどね」
 彼はフレイシーのした質問に答えるつもりはないようだった。それだったら単刀直入にいくのが一番。とフレイシーの心の中のもう一人の自分が言ったのでそれに従うことにした。
「あなたは今、確率が99パーセントとか言ってたけど、私にはそんなのはどっちだって良いの。あなたが何を企んでいて、何を望んでいるかも。
 私が知りたいのは誰が何のためにミーレを殺したのかっていうことだけ。あなたにはそれが分かるんでしょ。知ろうとすればこの国のどういう事だってあなたには分かるはず。だってこの国の全てがあなたの目そのものなんだから」
 ホンセ・リーラーはさも不思議そうな表情をして見せた。
「確かにね。論理的には私はこの国の全てを知る権利があるはずだと思う。だけど本当はそうでもないんだ。むしろほとんどのことが知ることが出来ないと言っても良いぐらいだよ。この国の中には私のことをはねつける強い「意志」がある。
 それは私のことを憎んでいるからそうなっているともいえるし、私を守るためにそうなっているともいえるだろう。
 だから君の望むことに答えられるかどうかは分からないんだ。それは私にとって妨げられていることに属することなのだろうから」
「あなたはやっぱり協力する気がないみたいね。来ても無駄だったわ」
 フレイシーは怒って席を立ち、もう帰ろうかと思った。ここに来たって不愉快な姿を見せられる以外には何もないらしいから。彼女が背中を向けたのを見てホンセ・リーラーは慌てて言った。
「君たちは本当にせっかちだね。自分が望むものが得られないと分かるとそうやってすぐ逃げだそうとするばっかりで」
 フレイシーはイライラした様子で彼のことをにらみ付けるとまた椅子に戻った。
「そう、じゃあ何をしてくれるの」
「とりあえず、君が持っているものを見せてくれ。ミーレの死に関するものを」
 彼のその詩人のような口ぶりはさらにフレイシーのカンに障ったが今は我慢することにした。
「私が持っているものなんて、ミーレの殺された現場で拾ってきたガラスの破片とそこで撮った写真ぐらいよ」フレイシーはなぜかその時はミーレ自体の体の破片を拾ってきたことは言わなかった。言ってしまうとそのことを非難されることを恐れたのかもしれない。
「そうか、ではそのガラスの破片をCLLスキャンしてこちらに送ってくれないか。あと写真も頼む」
「分かったわ。CLLスキャナーならお兄ちゃんが昔作ったのが倉庫にあるはず。それでスキャンすれば良いよね?」
「うーん。それだと必要な精度が得られるかどうかよく分からないけど、たぶん大丈夫だろう。とにかく送ってみてくれ」
「じゃあ一度家に帰るわね」
 フレイシーが腰を上げようとすると彼はゆっくりと右手を挙げた。たぶん待ってくれと言う意味なんだろう。
「君には新しいキーコードをあげよう。前にミーレにあげた鍵じゃ、いちいち君が侵入してくるたびにそれをもみ消さなくてはならないんで、すごく面倒なんだよ。
 今度の鍵なら何の問題もいらない。コンソールに差し込んで開ければすぐに私の所につながるはずだ。君の精神のフィードバックを暗号の鍵にしておくから他の人に利用される心配もないし」
 彼は虹色に光る煙のような物体がぶら下がったネックレスを大事そうにポケットから出した。一瞬彼がフレイシーの後ろに回って彼女の首にそれを着けるために触れてくるのではないかと思ってゾクッとしたけど、彼はむしろ投げやりにそれを渡してきた。
 フレイシーはその不思議な色の光の鍵をしばらくじっと眺めていたが、立ち上がると何も言わずに木の扉を開けて出て行った。
「お礼も言わずにか。こんなとき人間ならありがとうとかいうんじゃなかったけ」
 彼女の姿が消えてしばらくたってからホンセ・リーラーは少し不満そうに呟いたが、その姿はすこし愉快そうだった。彼は奥の扉を開けその中に入った。するとその部屋は主を失ったことを嘆くように内側にひしゃげてつぶれてしまった。だが音一つしなかった。それは幻の中に彼が自分勝手に作った部屋なのだから当然といえば当然なのだが。

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