水の国の姫 SFファンタジー小説 : 著 岩倉義人

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3章 7 ミーレの死

 それから4日ほどたった後だった。
 フレイシー・アングロードは学校の温室の中でたった一人で呆然として見下ろしていた。
 視線の先には砕け散ったガラスのケースがあり、その中身がむき出しになっていた。そこには透明なプラスチック片がピカピカ光る蜘蛛の糸を思わせる複雑で優雅な配置の配線で止められていて、その中心部にある小さな人工の脳味噌に電流を流し込んでいるはずだった。フレイシーは今日の朝、突然ミーレと交信できなくなってしまったので心配になって様子を見に来たのだ。
「小さな、小さなミーレ」
 フレイシーは自分で意識することもなしにいつのまにかつぶやいていた。まるで母親のように。そうやってあやしていれば自分の子供がそっと目を覚ますことを信じている親鳥のようにささやいた。彼女は自分の雛が死んでいるのがまだ信じられないのだ。
「どうしてこんなふうになってしまったんだろう」
 すぐ目の前にある、ミーレが死んでしまったという紛れもない事実がどうしても信じられない様子でフレイシーは自分の赤く光る髪をかきむしった。そんなふうにしたって全く痛さは感じられなかった。
 ミーレはピンク色のサボテンだったから目の前にある砕かれた肉片もきれいなうす桃色をしていた。彼女は少し鼻歌を歌ってから右手の人差し指を舌でぬらし、その肉片をすくい取った。それはまた温室の光をたっぷり浴びていたから少し暖かかった。まだ本当は生きているのかもしれない。だけど、それは殺されたのだ。
「そうだ、殺されたんだ!」ミーレは誰かにつぶされた。でも何の必要があるというんだろう。ただそれは小さな小さなミーレだったというのに。最初はだれか温室に出入りしている学生のいたずらか何かかとも思った。それとも誰かが植木鉢をたまたまミーレの入っているケースの上で手を滑らせて落としてしまったのかもとか思った。
 だけど、ミーレの上を覆っていたガラスのケースはそんなちょっとした事故のことを考えて特別丈夫な物を使っていた。それにミーレの近くには植木鉢の破片や土が全く落ちていなかったから、事故ではない事がすぐに分かった。
「でも何の意味があるっていうの?」フレイシーは指先についていたミーレの破片を元に戻そうとしたが思いとどまった。ポケットから水色のハンカチを出すとそれにそっと肉片をくるんだ。あとでミーレがサボテンだったときにいた場所に返してあげよう。そうしたら、ミーレの元の仲間たちが彼の事を受け入れてくれるかもしれない。
 彼女が前にミーレとした内緒話の中にこんな話もあった。
「明け方にだけ咲く花と夜中にだけ咲く花、どっちの方が楽しく生きられるんだろう?」朝に咲く花は朝日のオレンジの光を知ることが出来るし、夜中に咲く花は月とおしゃべりできるだろう。「だから僕にはどっちがたのしそうかなんて決められないや」そうミーレは言っていた。
 もう彼は月とおしゃべりしたり朝日を楽しんだりすることもできなくなってしまった。「そう、私ともおしゃべりすることももう、ない」フレイシーはその場で一人でしゃがみ込んで静かに泣き始めた。自分の冷えた頬に暖かい涙が伝わってくるのを感じて、彼女はいつのまにか自分が泣いていたのを知った。
「だけど、突き止めなくちゃ。誰がミーレを殺したかを」彼女は勢い良く立ち上がるとスカートの上にちらばっていたガラスの小さな破片をパッと払いのけてから、まっすぐに温室のドアに向かおうとした。
 だが、2、3歩進んだところからまたミーレのいた場所を振り返った。「さよなら、ミーレ。ごめんね。あなたをあんまり幸せにできなくて」
 彼のいたところに差し込んでくる太陽の光はあんまりにも暖かくて柔らかでそこで恐ろしいことが行われたとは到底信じられそうもなかった。
「だけど、もっと考えなくちゃ。そうしないとどうしようもならない」頭の中でもう一人の自分が「今さら考えたって何にも変わらない」と意地悪くささやく声がしたがそんなことは無視した。
 とにかく今は行動しなくちゃ。犯人を見つけなくては。フレイシーは家に帰り、カメラやガラスの破片を入れておく容器を持ってこようと思った。それをホンセ・リーラーに見せれば何か気がつくかもしれない。犯人に結びつく何かを。もしミーレのことを見送れる気分になれるとしたらそうしたことがみんな済んだ後だということだけは今の彼女のでもぼんやりと分かった。怒りや苦しみに飲まれている時ではない。そう自分に言い聞かせようとしてもそれは無理そうだった。
「どうしたんだい、フレイシー。何かあったのかい?」
 振り返ると温室の入り口にトリローファスが立っているのが見えた。彼は何かが起こったことに気がつくと彼女のすぐ近くに走り寄ってきた。彼の付けているコロンの嫌味なにおいがうっすらと辺りにただよった。彼はさも心配げな顔をしてフレイシーの頭上から見下ろしてきた。彼女は無言でミーレのいた方に顔を向けた。トリローファスは少しうなずいてからミーレの近くに歩いていった。
「どうしたんだ、一体これ? ひどいことになってる」
 彼はフレイシーに説明を求めたが彼女はしばらく無言のままだった。「そう、ひどいことになったのよ。ミーレは殺されたの」
「なんだって、誰が僕たちのAIをぶっつぶしたんだ?」
 僕たちの…か、笑わせてくれるじゃないの。いつのまに「僕たちの」になったんだろう、今までは見向きもしなかったくせに。
「誰がやったのかはまだ分からないわ。だけどきっと突き止めてみせる」
 そのまま、彼のことを放っておいて彼女は部屋から出ようとした。「おい待てよ! これは保安コンピュータとエイテルシー先生に知らせた方が良いんじゃないか」
「知らせたかったらご自由にどうぞ。だけど、あなた、もし私に少しでも気を使えるんだったら、ここでそのまま待っていてくれない?私がカメラとかを持ってくるまで」
 トリローファスはハンサムな顔を少し不思議そうにゆがめたが、さもあなたの心配ごとは分かりますといったような興ざめしてしまう表情をしてから言った。
「大丈夫だよ、フレイシー。僕のことを信用して。君が良いって言うまで、いつまでだってこのことは秘密にしておくから。それにここで人を近づかせないように見張ってるよ」
「ありがとう、トリローファス。じゃあちょっと行ってくるわね」
彼女は表情を変えずにそう言うと急いで温室を出ていった。
 トリローファスはあとに一人で残されて、ニヤニヤしていた。フレイシーに売った恩のお礼をどんなふうにしてもらおうかと考えていたのだ。彼にはちっぽけなAIが誰につぶされようと別に痛くもかゆくもなかった。
 自分とフレイシーは結構うまくいってると、自分自身に言い聞かせた。「そうだ、あのチンケなAIが死んでくれたから代わりに僕に運が巡ってきたのかも」
 そう思うと歌でも歌いたくなった。そうだ、あの歌を歌おうピーリークーの歌を。月に恋をして羽根を痛めたハチドリが自分の血でけがを治療してまた飛べるようになって月まで飛んで行ったって歌を。その歌を歌えば彼女の悲しみも安らぐだろうし、自分の魅力をもっと分からせることができるだろう。なんて言ったってこの砂漠でこのトリローファスぐらい歌のうまい奴なんていやしないんだから。
 彼はそれから少しの間キョロキョロして温室に人が入ってこないか見てから、大きな口を開けて「アー、ピーリークー、月に恋したハチドリー」と馬鹿げた大声で歌い始めた。ああ、なんて良い声なんだ。と自分の声に聞きほれていると、背後に不思議な感じがした。なんだかほんのりと暖まってくるような。はて、いつのまにかフレイシーがもどってきて僕の声に聞きほれて抱きついてきたのかもしれない。いつもはフンしてるけど、今日はなんだかさびしそうだったし。そう思って振り返ると見慣れない巨大な影があった。それは真っ赤でゆらゆら揺れていた。
 いつの間にか火事でも起こったのだろうか?そう思っているとその炎はだんだんと人の形の固まりになってきた。炎は口を開いた。
「お前はここで見たことを忘れるんだ」
「忘れるって一体なにを?」そうトリローファスは言いかけたが言えなかった。彼の体を真っ赤な炎が取り囲んで息が吸えなくなってしまったからだ。もう死んでしまうのかもしれない。クソッそれなら、早くフレイシーにキスでもしておけばよかった。そう思いながら自分が息絶えるのを待っていたが不思議とそうならなかった。炎はなんだか魔法みたいでとても気持ちが良く、ぜんぜん熱くならなかった。
「あれっなんだかおかしな気分になってきた!」
 彼はそう叫ぶと何もかもどうでも良くなるような快感に身をもだえながらそこで見た記憶を失っていったのだった。

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