水の国の姫 SFファンタジー小説 : 著 岩倉義人

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3章 6 ウィルキー236

 エイテルシー先生が囚われの身から戻ってきてから、数日間は拍子抜けしたかのように平穏無事に過ぎていった。その後にイルミスのところに医療ロボットがやってきたのを除いてだが。フレイシーは彼が病気だという偽の申請をしたのを取り消すのをすっかり忘れていたのだ。
 イルミスはその時、砂漠に一人でキャンプしていたから、医療ロボットは家に来ても肩すかしを食らって帰って行った。銀色の12の目を持ったロボットは治療すべき相手がいないのを知って、戸惑って何度もその場でくるくる回った。その時、フレイシーも学校に行っていたから誰もそのロボットの相手をする人もいなかった。
 ただ、パルスが不思議に思って窓から外を覗いていたが、彼は事情を知っていたとしても話が出来なかったのでしかたがなかった。パルスはだらんと垂れた舌で何度も窓ガラスを舐めていた。
 それでロボットはあきらめて医療ステーションに戻るだろうと思われたが、そうせずにイルミスのことを執念深く追跡し始めた。地面に残っていた彼の足跡を追っていったのだ。そのロボット、ウィルキー236はとにかく治療をする事を使命としていたのであきらめるという言葉を知らなかったらしい。
 探し初めてから2日ほどして、やっとロボットはイルミスのテントを探し当てた。彼は喜んで薬の挿入口を閉じたり開いたりしてから、どの薬をたっぷり投薬してやろうか考えながらイルミスのテントの入り口を乱暴に通り抜けてきた。
 そこでロボットは罠にかかった。目に見えないほど細いワイヤーロープの網に絡め取られてしまったのだ。ウィルキー236は信じられない事態が起こったというふうにピーとかキーとか言う音を出してから電動ナイフを取り出してロープを切りにかかった。だけど機械触手はさび付いてきてしまって、がたがだいぶ来ていたし、ワイヤーロープもたくさんからまってしまっていたから、作業は全くはかどらなかった。
 しばらくしてやっとテントの主のイルミスが帰ってきた。彼はテントから少し離れたところで砂漠に住む珍しいハチドリの一種のイエローストーンバードを観察していたのだが、自分の仮の自宅に侵入者がいることを彼のペットの機械イモムシが教えてくれたので急いで帰ってきたのだ。
 イルミスはテントの入り口の幕をめくってみて驚いてしまった。「なんなんだこりゃ?」罠を仕掛けておいたのはたまにサバクギツネがやってきていたずらをしたりするのでそれを防ぐためにしておいたのだったが、テントの中にいたのは、訳の分からない巨大な金属の固まりだった。
 ウィルキー236は背中側にもちゃんと目があったからイルミスがやってきたことに気づいた。彼はもがくのをやめてから言った。
「ああ、あなたはイルミス・アングロードさんですね。これからあなたの膀胱を切除して人工の膀胱に交換する手術を行います。あなたは膀胱を取り替えないと一週間後に死亡します。そう報告を受けました」そう言ってから彼はさび付いた電動メスをまたパタパタ動かした。
 イルミスはびっくりして自分の股間のあたりを思わず見下ろした。「え、僕って病気なの?」
 ウィルキーは得意げに目から赤いレーザー光を瞬かせた。そして奇妙に抑揚のない声で言った。「そうです。あなたの膀胱には寄生虫が住んでいます。それを殺さないと最終的にあなたの脳神経は食い荒らされて植物人間になってしまうでしょう。でも私が来たから大丈夫です。私はこの国で最高の医療ロボット、ウィルキー236です。減少の一途にあるこの国の若い男性をこんな病気のために死なせたりはしません。さあ早くこのじゃまなものを取り除いてください。そうしたらすぐに手術を始めます」
 イルミスは脳味噌を食い荒らされてるのはこいつの方じゃないかと思いながら、罠を取り除いた方が良いかどうか考えた。「こいつは慎重に行くべきだぞ」と。
「で、あんたは報告を受けたと言っていたが誰からそれを聞いたんだ」彼は医療ソナーとかの光とか音とかが大嫌いだったので極力検査を受けるのを避けていた。
「報告を受けたのは8日前です。あなたの膀胱のレントゲン写真と血液サンプルデータが医療コンピュータネットワークに提出されました。あなた自身の手によってです。私たちはあなたの膀胱の中に大変危険な寄生虫ガイロープMの姿を認めました。ガイロープMは宿主を殺した後、感染者を少しずつ増やし、被害を広めます。私たちはあなたを即時に処理することに決めました」
「ガイロープM…いつのまにそんなのにかかったんだろう。でも、もしかすると、待てよ、フレイシーの奴」イルミスは何度も彼女にひどい目にあってきたからすぐに察しがついた。彼女はいつの間に兄を始末することにしたんだろうか。イルミスはまるで白痴にでも話しかけるみたいにゆっくり大きな声で話し始めた。
「おい、ウィールキー、だったっけ? 良く聞けよ、僕は病気なんかじゃない、それぐらいは僕にもわかるさ。もしそんな寄生虫が膀胱の中を食い荒らしていたら、いくらとんまでもわかるだろう。だから、今すぐおまえはここから帰って報告は間違いだったと上司のコンピュータに報告するんだ」
 しばらくの間、ロボットはもがくのをやめて考えていたがこう言い放った。「それは出来ません。今すぐ私があなたの膀胱を切除します。そして新しい人工の膀胱を取り付けるのです。そうしなければもし、寄生虫がいたら間に合わなくなってしまいます。マスターコンピューターの判断を確認する必要などありません。私はその権限を持っています」
 こいつはとんだわからずやだ。あまりに型が古いからAIが完全にショートしてしまってるのかもしれない。だけど、これだけはいえる、こいつは本気だ。
 テントとか色々な装備をなくしてしまうのはすごくつらかったが背に腹は代えられなかった。
「そうか、分かった、ワイヤーを取り除いてやろう。それにはレーザーニッパーが必要なんだ。でもそれは外にある道具箱の中に入っている。それを取ってこなくちゃならないからちょっと待っていてくれ」
 そう言うとイルミスはテントから後ずさりして外にでた。外では砂嵐が舞い始めていた。ゆっくりと出来るだけロボットを刺激しないように足音を立てずに離れると、そこから猛烈な勢いで走り出した。
「くそー! フレイシーの奴、何でこんな目にあわせやがるんだ。そこまで僕が悪いことしたっていうのかよ」
 あとで考えたら金槌かなにかでロボットを殴って壊しておけば良かったとか思ったが今はとにかく家に帰ってフレイシーに偽の申請を取り消させるのが先決だと思った。
 やっと日が暮れる頃になってイルミスは家に帰りついた。でも、別のロボットが来ているかも知れないと考えて、家の窓から中をそっとうかがった。「ふう、やつらはまだ来てないようだ」
 それから、家の中に駆け込むと居間で宿題をしながら机の前でまどろんでいたフレイシーの肩につかみかかった。
「おまえ、一体どういうつもりなんだよ! 僕がそんなにじゃまだっていうのかよ!」
 フレイシーはあまりにびっくりして口をパクパクしていた。「え、え、お兄ちゃん、何のこと?」
「なに言ってんだよ! 全部知ってるくせに。今日僕のテントに変なロボットがやってきて僕にこう言うんだ。「あなたの膀胱に極めて危険な寄生虫が住んでいます。今すぐあなたの膀胱を切除しなければなりません」ってね」
 しばらくフレイシーの目はうつろだったが、やっと意識がはっきりしたようだった。
「あ、そうか、お兄ちゃんごめん! ただ膀胱に違和感があるって医療コンピュータに言っただけなのに、もしかして申請書に添えてデータベースで適当に見つけだしたレントゲン写真とかが悪かったのかな」
「今すぐ、今すぐ、それを取り消せ! そうしないとウィルーキーとかいう頭の固いオンボロロボットがやってきて僕の貴重な膀胱を持っていっちまう!」
「分かった、分かったからそんな大きな声を出さないでよ」フレイシーは急いで端末を机の中から取りだした。
 そして、医療ネットワークにつなぐと申請書の取り消しボタンをふるえる手で押した。
 それから3分間して返事が来た。「イルミス・アングロードの膀胱は切除してしかるべし」と。
「そんなあ。いったいどうなってんの!」
フレイシーは一人でパニックになっていた。
「どうしよう、どうしよう、そうだ、ホンセ・リーラーだ。でも今からまた正面からアクセスしてたらきっと間に合わない」
 その時、パルスは不安そうにフォンと鳴いた。振り返ると、投網に絡まったようになっている不気味な固まりがじっと窓から部屋の中をうかがっていた。
 静かで甲高い声がした。「イルミス・アングロードさん。今からあなたの膀胱を切除し、人工膀胱に取り替えます。あなたの膀胱は危険な寄生虫であるガイロープMに侵されています。今すぐに切除手術を行えばあなたの命ばかりでなく、ほかに感染者を出さずにすむのです。わたしは最良の医療ロボットウィルキー236です。もう大丈夫です。安心してください…」
 イルミスとフレイシーはだまって動きを止めて、互いの顔を見ていた。イルミスはささやき声で話した。
「ほらあいつだ、テントにやってきて僕を殺そうとしたやつ。しかたない、ちょっと電気ショックでも与えて頭を冷やしてやるかな」だけど、彼の余裕もこれまでだった。害獣駆除用のライトボルトは外の納屋の中にあるのをてっきり忘れていたのだ。それを取りに行くためにはウィルキーの前をつっきって行かなければならない。
 ウィルキーはしばらく中の様子を静かに覗いていたが、中の人間が従順な様子を見せないことに業を煮やしたのか、突然乱暴にガラス窓を金属触手で叩き始めた。ガラスはバリンバリンと大きな音を立てて割れた。
 それでもイルミスとフレイシーは逃げ出すのを忘れてその場で馬鹿みたいに立ちすくんでいた。
「そうだ、ミーレだ。彼だったら、すぐにホンセ・リーラーに連絡が取れるはず。お願い起きていてミーレ」
 フレイシーが急いでミーレに通信コードを送ると彼は案の定ぐっすり夢の中だった。
「お願い、今すぐに起きてミーレ、大変なの!」
 フレイシーは彼の事を起こすためにやかましいサイレンのような信号を送った。ようやく目を覚ましたミーレはぼんやり寝ぼけまなこだった。
「どうしたの、フレイシー。僕、まだ眠いよ…」
「たいへんなの、ミーレ早くしないと」
 フレイシーが振り返ると、なんといつの間にか薄汚い固まりが家の中にいて、イルミスの上にのしかかっていたのだった。機械の触手の先には麻酔用の針が取り付けられていて、そこから薬剤が滴っていた。イルミスは頭を打ったのか気を失ってじっとしていた。
「早くミーレ、ホンセ・リーラーと連絡を取って!」
 もう一度振り返ると、イルミスの腕に麻酔薬の注射針を突き立てているところだった。
 それから彼のシャツを乱暴にはだけると、錆の目立つ電動メスが彼のおなかに突き立てられたのだった。それを見ているとあまりのことにフレイシーは失神しそうになった。
 それからメスは彼の腹を引き裂いて…いや、いつまでたってもメスは動かない、ロボットは眠ったようにじっとしていた。「なんだ、このロボット、壊れたのかしら」
 その時端末からゆかいそうな声がした。
「アハハ。壊れたんじゃないよフレイシー。ただ少し眠ってもらっているだけさ。彼自身の記憶を消すためにね」
 フレイシーは自分の耳を疑った。
「ホンセ・リーラーね。いつのまにここにきていたの?」
 彼はまだ笑い足りないようだった。
「ウフフ。面白いねほんと。このまま放っておいても良かったけど、そうもいかないしね。医療コンピュータに申請された書類は私が削除した。君の愛しいお兄ちゃんは大丈夫さ。お腹にちっちゃい穴が開くかもしれないけど消毒しておけばだいじょうぶさ」
 また振り返ると今度は医療ロボットはそろそろと起き上がり、窓の裂けたところから不格好に転がり出るところだった。
「あんたって、ほんとにたちが悪いわね。気づいていたならさっさとあんなやつおっぱらってくれればよかったのに」
「そう、私はたちが悪い。だが、放っておいたのには訳があるんだ。まず一つ目の理由は君があのとき医療コンピュータに申請した書類は君以外の何者かによって改竄されたものだった。二つ目の理由は今、君たちを見張っていたものがいたということだ。私はそれを調べるために君たちをしばらく放っておいたんだ」
 フレイシーはあたりをきょろきょろ見回した。
「さっきのであなたがこっちを見ていることがあるってことがわかったけど、ほかにも変なのがいるってことなの?」
「変なの…か。確かに狂っているのかもしれない。それとも向こうの方が正常なのだろうか。もう少し調べなくては。すまないが今日はこれで」
 そう言うとホンセ・リーラーからの通信は一方的に切られた。
「フン! あいつはいつもそう、自分が言いたいこと言ってすぐ逃げやがる」
 フレイシーは床に転がって麻酔で眠ったままになっているイルミスを引きずって彼の寝室に運んだ。ベッドに上げるのは重くて無理なので、とりあえず毛布を掛けておいた。
「でもまあ、いいか。なんだかよく分からないけど、無事に済んだみたいだし」
 フレイシーもやりかけの宿題を終えずにもう寝ることにした。だけど、電気を消してもその夜は目が冴えてなかなか眠れそうになかった。しばらくして彼女はガバッと跳ね起きた。
「とにかくホンセ・リーラーよ。あいつにはほんと頭に来た。とりあえず助けてくれたのはありがたいけど、あの態度はいったいなんなのよ。自分をどこかの王様かなにかだと思ってるみたい。とにかくどっちにしろ、ギャフンと言わせてみたいわ。一度だけでも」
 そう思いを口にするとやっと眠ることが出来そうだった。だが、彼女はホンセ・リーラーが痛手を負うかもしれないことが起こるとそれが自分にとっても苦痛を伴うことになるかもしれないということに気がついていなかった。

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