水の国の姫 SFファンタジー小説 : 著 岩倉義人

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3章 5 タンポポの綿毛

 なんだか優しい声がしてフレイシーは目を覚ました。それはふわふわした感じがして不思議な感じだった。そっと目を開けてみると目の前には毛むくじゃらのつぶれたような顔があった。それは真っ赤な舌を出して少しだけフレイシーのほっぺたをなめ、それから「フォン」と鳴いた。
「ああ、パルス、私のことを待っていてくれたの?」彼女は手を伸ばして赤毛の犬の耳の横を掻いてやりながら思った。いつのまにか机の前で寝てしまっていたらしい。今端末のモニターを見ても何も映っていなかった。バッテリーが上がってしまったのだろうか。無意識のうちに端末を裏返し、ふたを開けエネルギーストーンを取り替えた。限界まで電気を抜かれたその石は紫色になっていた。元はきれいな黄色だったのに。紫になった石はまた地下に転送され大人たちによって黄色に戻される。彼らは火山の溶岩の中に石を投げ込むのだ。そうすると石たちは元気を取り戻す。
 それでも元気になる石とならない石があるのだった。死んだままの石は砕かれて溶岩の来た元である大溶鉱に戻されていく。そこからまた新しいエネルギーストーンが作られる。「そんな石ころにだって生まれ変わるためのところがあるのに、人間にはどうしてそういう場所がないんだろう」フレイシーは考えていた。

 あの後、こちらに戻ってきてからすぐにフレイシーはエイテルシー先生に連絡を取ってみた。もうすでに夜は明け、あたりはオレンジ色の光に満ちていた。FOP35にダイヤルしロウエンジェルを呼んだ。反応があるまでの数十秒の間、彼女は不安だった。
「もし彼女がまだ戻っていなかったら」
 そうだったら一体どうしたら良いっていうんだろう。もう一度またあの暗い洞窟に戻り、ホンセ・リーラーの尻をおもいっきり蹴飛ばしてやれば全てが済むんだろうか。もしそうだったら、物事は全て簡単に出来てるということだ。
 とか思っていると先生の声がした。
「あら、フレイシー・アングロードさん。一体何の用です? 今はまだ朝の5時ですよ。常識を考えなさい」お説教みたいだったけどどこかやさしい声色だった。
「私は今まで閉じこめられていた。それは言ってはいけないところ。その中でいつまでも縮こまっていなければならなかったら、私の神経システムは萎縮して私は自分自身を失ってしまっていたでしょう…(先生は死ぬことをそんなふうに表現していた)だけど、そうならなくて良かった。あなたが来て助けてくれたのねフレイシー、ありがとう」
 彼女は先生にありがとうなんて言われるとは思わなかったので少し面食らってドギマギした。
「先生、その、あの、勘違いしないでください。私はただあなたを閉じこめていた人が気に食わなかっただけで、彼のケツを蹴らないと気が済まなかっただけなんです」
「ケツを蹴るとはなんです! せめてお尻を蹴りとばすとかそういうふうに言ったらどうです!
 そのことはまあ良しとして、一体何の用です。私は疲れているので少し休まなければならないのです」
 フレイシーはどうしようか迷ったが、思い切って言った。「先生、ミーレのことなんです。彼が死にそうなんです、後もう少しで。もしそんなことになったら私は耐えられそうにありません」
「ミーレ。授業で育てていたサボテンのAIのことですね。確かにそのことはあなたから前に聞いていました。でもしかたがないことなのです。ピークルには寿命というものがあってそれは変えられないのですから」
「先生、そのことについて一つだけ聞きたいことがあります。もし彼の神経細胞のシステムの一部を冬眠させることが出来れば少しは寿命が延びさせることが出来るんじゃないでしょうか」
 少し間が空いてから先生は言った。
「確かにそうかもしれませんね。確かに。彼の遺伝子と結合している電子システムの中に時間を司る部分がきっとあるでしょう。そこを眠らせれば彼はある程度は生き延びるかもしれません。だけど、それにはある種の危険性をともなうこともあるかもしれません」
 先生ははっきりとは言いにくそうだった。
「何のことです先生、かまわずに教えてください。私は彼を救いたいんです」
「救いたい…ですか。確かに彼は救われるかもしれませんが、また同時に救われないともいえるでしょう。それはつまり、彼自身の時間軸が自分で正確に捉えられないようになってしまうと彼の精神の方が耐えられずに崩壊してしまう可能性があります。それはたぶん35パーセントぐらいでしょう」
 それを聞きながらAIって奴はなんて無神経なんだろう、精神が死んでいるのは自分の方じゃないの! と言いたくなった。
「35パーセントですか…彼が耐えられずに発狂する確率が。それならもういいです。彼が老化して死ぬのを待つことにします」
 出来るだけ早く通信を切ってしまいたかった。彼女はある種のモンスターなのかもしれない。
「もう少し待ちなさい、フレイシー。私はあなたに借りがあります。もしかすると時間を司る神経の半分だけ眠らせることが出来れば彼が死ぬ可能性を15パーセントまで減らせるかもしれません。それならやってみますか?」
 フレイシーは一瞬だけ考えてから言った。
「はい、先生お願いします」
「それならやってみましょう。いつが良いでしょう?」
「できれば今すぐがいいです」
「フフッ、フレイシーあなたらしいですね。
 まあ良いでしょう。それならあと5分だけ待ってください。必要な計算をすませます」
 しばらくの間FOP35からの通信が途絶えた。先生は見えない向こう側で中央コンピュータのデータベースを光速に近いスピードで駈け巡っているのだろう。
 先生だって結構やる気になってるじゃない。フレイシーはなんだか気持ちが少し軽くなってきて鼻歌を歌いながらミーレに話しかけていた。
「大丈夫よミーレ。あなたはもう助かる。私と先生が手を組めば治らない病気なんてないんだから」
 ミーレは返事をしなかった。かなり弱ってきているらしい。「ああ、先生早く戻ってきて! そうしないと承知しないから」
「あら、フレイシーなにを怒っているの? 私が逃げ出すとでも思っていたのかしら」
 フレイシーはほっとため息をついた。

 それから遠く離れたところからミーレの手術を始めた。ミーレは自分に何をされているのかも知らずにぐっすりと眠り続けていた。
 あともう少しでフレイシーはP25の03の神経を焼ききってしまうところだったが、先生は素早くフレイシーの電子メスを止めた。
「あなたたちはやっぱり遠隔ではなくその場に行ってやったほうが良いんじゃないかしら。そのために現実の体があるんだし」
 そんなふうにずいぶん長い間作業が続いていたがしばらくして先生が言った。「ふう、これでおしまい。これで彼の意識システムを元に戻しても精神崩壊を起こさなければ私たちの勝ちね」
 エイテルシー先生はすばやくミーレの意識を起こしていった。25、26のゲートを過ぎてもなにも起こらなかった。35、全てのゲートが開かれた。
「おはようミーレ。朝だから起きてもいいのよ」
 それでもミーレから何の返事もない。
「ミーレ大丈夫? 怪我でもしてしまったの」
 自分たちがやってきた乱暴な手術のせいで彼のどこかがおかしくなってしまったのかもしれない。もしそうなら全部私のせいだ。すると静かで優しい声がした。
「どうしたのフレイシー、そんなふうに悲しそうな顔して? 何かかわいがってるペットでも死んでしまったのかい」
「よかったミーレ。大丈夫よ、なにも死んだりしてない。もうなにも心配いらないわ。あなたももう死ななくても良い」ほんのしばらくの間だけかもしれないけど。
「うん。そうだね、また今度、何かして遊ぼうフレイシー。
 その時友達のホンセ君もまた呼んでもいいかな」
「うんそうね。いいわよ。でもあなたは疲れてるんだからもうすこし眠らなくちゃ」
 ミーレは急に元気になったのか寝かしつけられそうになって少し不満そうだった。
「そうだね。僕の方はもう大丈夫だよ。いつまでだって遊べそうだし、歌だって歌えそうだよ。
 だけど、寝なくちゃならないのはフレイシーの方だよ。目の下におっきなくまが出来てる。そのままだと死んだばっかりのゴーストみたいだ」
 ゴースト…か、今日はあまり怒る気がしなかったのけどそれは不思議でもなかった。
「そうね。ミーレ、私も少し眠ることにするわ。じゃあまたね」ミーレとの通信を切った。
 それから彼女は先生にお礼を言おうとしたが先生からの通信はいつのまにかすでに途絶えていた。先生だって疲れているんだろう。はあ〜とあくびをするとフレイシーはそのまま眠ってしまった。

 そして目を覚ますと目の前に空飛ぶ犬であるパルスがいたのだった。
「パルス、遊んでほしいの? じゃあ、外に行こう」かなり寝不足だったのにもお構いなしに彼女はパルスと外に飛び出していった。外はまだ肌寒かったが、少しずつ春が近づいているようだったからマントは必要なかった。パルスの背中に生えている翼はパタパタ空気をかき回し、すごい勢いでフレイシーの方にやってきたり遠ざかったりした。
「ほんと、あんたは変な犬だわ。あのとき石の下にあなたが挟まれていたとき、私が通りかからなかったらあんたは干からびて死んでいたのよ!」
 彼はフレイシーが投げたボールを空高くでキャッチした。
 あたりにはパルスのほわほわした赤い毛が舞っていて、それはいつかデータベースの中でみた遠い国のタンポポの綿毛にそっくりだった。

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