水の国の姫 SFファンタジー小説 : 著 岩倉義人

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3章 2 偽物のペガサス

 その次の日フレイシーはホンセ・リーラーの言ったことなんて、すっかり忘れてしまっていた。いや本当はそうではなく、そんなことなんてなかったんだというふうに自分に知らないうちに言い聞かせていただけだった。
 フレイシーはミーレのことはとても大事だったけど、ホンセ・リーラーのことは好きになれそうになかった。あの冷静な何もかもを見透かしたような口調を聞いていると頭がおかしくなってしまいそうだった。「そうだ、たぶんお兄ちゃんに借りた端末が狂っていただけ。自分の端末が修理されて戻ってきさえすればなにもかもうまくいく」
 その日の朝、修理ゲートで自分の真っ赤に塗った端末を受け取ったら、それだけでだんだん気分が持ち直してきた。だけど、授業が始まってちょうど25分たったときにそれは起き始めた。ホンセ・リーラーの予言通りに。
 エイテルシー先生は歴史の授業の中で砂の国の建国の歴史について話していた。「このようにして私たち砂の国の民12人と砂の姫はここに町を作り、共に生き始めたのです」そういうおとぎ話を聞いているとなんて偽りに満ちた話なんだろうとフレイシーはいつも思う。なぜ大人たちが地下に都市を造り子供たちだけが地上に取り残されるようになったのか納得できる説明が全くされていなかったからだ。皮膚にいる珍妙なウイルスだけでは説明できるはずなかった。それなのにみんなはそんなことは全く気にならない様子だった。歴史って奴はそんなもんなのかも。そう思ってフレイシーは落書きをするためにノートを広げた。しばらくして、周りの生徒たちが先生の指示で資料を検索するために端末スクリーンを用意し始めたのに気づいて彼女もあわてて端末を机の上に出した。別にスイッチを入れる気はなかったけれど、真っ白なスクリーンをふとのぞき込むと意外な文字が表示されているのに気がついた。「私だよ。ホンセ・リーラーだよ。あと25秒で私が言っていたことが起こる。エイテルシーの姿に注目せよ」
 いつの間にかホンセ・リーラーはフレイシーの端末を乗っ取ったらしかった。「いいじゃない。見ればいいんでしょ」一人でブツクサ言ってからエイテルシー先生の姿を見張った。いつも通り先生は綺麗な輝く金髪をしていて年齢不詳だった。それはまあ、ただのフォログラムなんだから当たり前か。
 しばらくして、先生の姿は一瞬の間だけ揺らいだ。それから先生の金髪の髪は赤毛に変わった。ほんの瞬きするぐらいの間の出来事だった。よく見ようと目を凝らしているともう普通の金髪に戻っていた。ほかのクラスのみんなは端末の操作を必死にやっていたから先生の姿を見ていなかったようだ。フレイシーは少しの間辺りを見渡してから、また先生に見入った。もう一度何かに変わるかもしれない。だけどもうなにも起こらないようだった。
 さすがに今度は先生も気づいた。
「何かおかしいことがありましたか。フレイシー・アングロードさん。お手洗いは休み時間中に済ましておくこと」生徒たちがクスクス笑う声が聞こえた。
「いいえ。先生、トイレじゃありません。大丈夫です」おかしい、やっぱり先生は今自分に起こったことに気がつかなかったようだ。自分の大切にしている髪の色が嫌っているフレイシーの赤毛と同じ色に一瞬だけなってしまっていたということに。
 それから先、いつにも増してフレイシーは授業は上の空だった。確かにホンセ・リーラーが予言していたことが起こったのかもしれない。それならば彼は本当に本物なんだろうか。だけどこれだけは事実だ。彼は守護コンピューターの直下にある教育AIの一部をちょっとした遊びのために意のままに操ったということだ。そんなことが出来る奴はただ者ではない。
「だけどどうして彼はわざわざ私なんかに接触してきたんだろう。それに彼が直接接触してきた生身の人間は私でちょうど12人目だって言ってた。
 彼みたいにどこへだって入り込める身分だったら、ガールフレンドだっていくらでも作り放題だったはずだわ。それなのに彼はそうしてこなかった。たぶんそれにはよくわからない理由があるはず。結局彼は私のことを利用しようとしているだけなのかも。気をつけなくちゃだめだ」
 フレイシーはホンセ・リーラーがまた得意満面でおしゃべりを始める前にコンソールのディスプレイを畳み込んだ。そんなことをしたって大して意味がないことが分かりきっていたのに。
 すぐにまたちょっとした隙に彼が連絡を取ってくるだろうと思っていたけど一週間たってもなんの音沙汰もなかった。
 だけど、彼女のことを動揺させることはそれだけでは終わらなかった。エイテルシー先生はその次の日から病欠を取った。人工知能が病気になるって何なんだろう? 彼女のメインシステムがクラッシュしたとかウイルスが入り込んだとかそんな感じかなとひそひそ噂が飛び交っていた。
 だけど、今までだってそんなことは一度もなかったのだ。
 先生が戻ってくるまでの間、8年生24人の受け持ちはバーレーク先生が持つことになった。彼は各学年を補佐する役割しか持っていなかったから、ある程度、時間に余裕があったのだ。
 バーレーク先生の髭もじゃで禿上がった頭を毎日見ていると、それもまあ悪くはないかという気がしてきた。だけど、そう思ったのはフレイシーなど少数の生徒たちだけだったようだ。思春期の男子生徒たちはエイテルシー先生の復帰を待ち望んでいるようだった。口にはそんなことを出さなかったけれど、憮然とした態度で察しがついた。
 それから十日ぐらいしてやっとエイテルシー先生は戻ってきた。男子生徒たちはほっとして、先生は前よりももっと美人になって戻ってきたとかちょっと太ったとか色々休み時間に言い合っていた。
 ただのフォログラムなんだからそんなはずないじゃん。とフレイシーはその会話に加わらなかったが、事件はそのあとの科学の授業の中で起こった。
 今度は先生の姿は輝く真っ白なペガサスの姿に変わった。そのあと、教室中を3分間ぐらい飛び回ったのだった。今度は教室にいた全ての生徒が気づいた。そして、先生は元の姿に戻った後、口からガガガとひき殺されたアヒルのような声を出してから姿がかき消えてしまった。教室は真っ暗になってそれきりしんとしていた。
 しばらくして何が起こったんだという声がどこからかし始めた。それから、いつの間にか教室はパニック状態になり、生徒は手探りで押し合いへし合いしながら外に出た。誰かが叫んでいた。「先生はきっと誰かに殺されたんだ!」みんな必死でそんなことに気を取られている人はいないようだったけど、フレイシーは違っていた。「たしかにこのままだとほんとに先生は殺されてしまう。なんとかしなくちゃ」
 ぼんやりと明るい廊下の隅に集まって放心状態で座り込んでいるクラスメイトたちを見て彼女はある決心をした。 
 先生はペガサスに姿を変える前、こう言っていた。「誰もペガサスの存在を実際に証明した人がいません。ただし、見たという証言は後を絶たないようです。確かにその証言をした人はそれを見たのかもしれません。ただ、見えているものが存在するという証明は出来ないのです。たとえ、見た人がたった一人かどうかに関わらず…」
 そのあと先生は自分自身がペガサスになってしまい、今度は本当に狂ってしまった。そう彼女は感じた。
「ホンセ・リーラーは偽物のペガサスの姿を見せることで自分の存在の証明をしようとしたんだわ。そんなことしたってなんにもならないのに」フレイシーはそう思った。
 しばらくしてバーレーク先生の姿が教室前の廊下に亡霊のように現れ、「君たち何があったんだい? さあゆっくり話を聞こう。とりあえず教室に入りなさい」そう姿に似合わない優しさを見せていた。
 それでも生徒たちは元の教室に戻るのを嫌がっていたので、しかたなしにバーレーク先生は生徒たちをほかの空き教室に誘導したのだった。

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