水の国の姫 SFファンタジー小説 : 著 岩倉義人

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1章 3 イルミスとフレイシー

 イルミスはなぜか暖かいベッドで目を覚ました。もう二度と自分の家に帰れない気がしていたのでちょっと意外だった。彼が目を覚ましたのに気づいてペットのパルスが頭の上に飛び乗ってきた。「イテッ! 何すんだよ、このクソ犬!」傷が痛くてすぐにパルスを追っ払った。パルスは残念そうに部屋の天井の辺りを一周飛び回ってから今度は妹の肩の上に降りた。パルスは珍しい羽根の生えた赤い犬だった。三年ぐらい前に砂漠で大きな赤い石の下にしっぽを挟まれて動けなくなっていたのを妹のフレイシーが助けてきたのだ。彼女はいつもやっかいな生き物を家に連れて帰ってくる。
 「イルミス、パルスがあなたのことを心配しているのが分からないの?」フレイシー自身は全く心配していないようだ。イルミスは頭の上の埃をまだしつこく払っていた。奴はいつも埃っぽい足で頭や肩の上に乗っかってくるのだ。
「フレイシー、分かってるんなら答えてくれ。どうやって僕は家に帰ってきたんだ」
 彼女は馬鹿にしたような目つきをして言った。
「知らないわよそんなの。あんたはぼろ切れみたいに家の前に捨てられていた。だからまた私はあなたを拾って家の中に連れてきてやったんじゃない。弱っていたときはパルスの方がずっとりっぱだった。彼は石の下でしっぽが切れても泣き言一つ言わなかった」
 イルミスはこいつに聞いても無駄だったと思った。きっとあの赤い巨人に肩をつかまれた後、誰かに運ばれたんだろう。家の前まで。思い出そうとすると肩の傷がまた激しく痛んだ。触ってみると包帯がしてあった。フレイシーはどうでも良いみたいに言っていたがちゃんと手当はしてくれたようだ。
「ありがとう。フレイシー助かったよ」
 彼女は満足そうにフンと言うと、パルスを肩に乗せたまま部屋を出て行った。

 イルミスは一人で考えていた。自分があの塔で見たものは一体何だったのだろうか。見てはいけないものを見てしまったからあの巨大な赤い男によって罰を与えられたのかもしれない。だけど黒い使者の剣の中に見えた女の子のことをまた思い出していた。あれは幻だったんだろうか。できればまたどこかでもう一度会えたらいいのに。とイルミスはため息をついた。
 はっとして彼は自分の右手を見た。でもやっぱり剣は握られていなかった。家に連れて帰られる間にどこかに落としてしまったんだろうか。あれがなければあの女の子の姿をもう一度見ることはできないだろう。「そういえばあの子はものすごい水の渦に飲み込まれそうな船の上にいた。そういうことはもしかしてあれは水の国の様子が見えていたのかも」しかし剣の中に何が見えたと言っても信じてくれる人がいるのだろうか。
 気がつくとまたいつのまにか妹がイルミスの部屋にいた。彼女の髪の毛はパルスと同じように赤く光っていた。イルミスの髪の毛は真っ黒だったのいうのに。フレイシーはしばらく黙ってイルミスのことを見ていたようだ。だけど彼がそのことに気づくと「イルミスは怪我してるんだから、しばらくおとなしくしていなきゃ」と言ってすこし気まずそうにしていた。
 その時、家の外にいるパルスが大声で吠えているのが聞こえた。フレイシーは「ここにいて、動かないで!」そう、きつく言うとドアから飛び出していった。
 「別にあんなにきつく言わなくてもいいのに。どうせ怪我をして動けないんだから。また多分ボーイフレンドか何かがやってきたんだろう。どうでもいいけど。あいつがつきあっている奴って今はだれだったけ?」イルミスは一人で呟いていた。だけど思い出そうとしてやめた。そんなことに今までほどんど興味を持っていなかったらから分からなかったのだ。
 15分ぐらいしてから、やっと彼女は戻ってきた。手に細長いぼろ切れで巻かれた何かを握っていた。彼女は疲れたようなため息をついた。
「一体あいつは何を考えてんだか。こんな役にも立たなそうなものを持って来やがって」
 彼女は包みを床に投げた。それはガシャンと音を立てた。
「同じクラスのトリローファスがやって来たのよ。彼はどうしても受け取って欲しいものがあるからと言ってこれを渡してきた」彼女はまるで汚らわしいもののようにつま先で包みをつついた。「どこで拾ってきたんだか。汚らしい剣よ。何かの血がべっとりついてとれそうもない。お兄ちゃん欲しかったらあげるわ」
 そう言うと彼女はまた出て行った。イルミスは痛む肩を押さえながらおそるおそる包みを開いた。「よかった。あの剣じゃない」イルミスは誰かの手はずであの水晶で出来た剣がまたイルミスのところに戻されたのかと不安になっていたのだ。さっきまであの剣が気になって仕方がなかったのに不思議なものだ。剣の刃には何かの野獣の血がこびりついていた。「どうしてトリローファスはこれを持ってきたんだろう。いくらなんでもプレゼントにしたら奇妙すぎる。いくら変わり者のフレイシーでもこれなら怒ってもしょうがないな」イルミスはすこし首をかしげてから剣をまた包み直すとそれをベッドの下に押し込んだ。こういったやっかいなものはこうやってなかったことにするのが一番だ。そうすればしばらくすれば、彼女だってすっかり忘れてしまうだろう。「機嫌を直してもらわないと困ってしまうな。とりあえず僕の怪我が治るまではだけど」

 そのどうでも良い剣が来てから、イルミスには何か悪いことが起こりそうな予感がなぜかしていたけど、何も起こりそうもなく、しばらく彼はだらだらすごした。まだ肩の傷も痛むのであまり出歩かずにもっぱら日光浴ばかりしていた。なぜわざわざ砂漠の国に住んでいて好き好んで灼熱の太陽に肌をさらしているのか不思議に思う人もいるかもしれないから前もって言っておくと、イルミスたちはそうしないと生きていけない深刻な理由があったからだ。
 全く信じられない話なのだがイルミスたちみたいな子供の肌にはピカテリア・アカフズとかいう奇妙なウイルスが住んでいて、そのウイルスの出す毒素によって常に心臓が脅かされているらしかった。だけど、そのピカテリアとかいう奴は陰気な奴なので日光の下にさらされている間だけは何の毒も出さないのだ。だからイルミス達は騒ごうがわめこうが日光浴しないと仕方がないというわけだった。
 そんなわけでイルミスは家の前のただの砂漠にしか見えない庭にビーチパラソルとデッキチェアを持ち出して、その上で暑さにうめいていた。フレイシーはもう十分、日を浴びたらしくビーチパラソルの下で冷たいパイナップルのジュースをストローですすっていた。それがイルミスの家にある最後のジュースだった。「どうか奴の心臓がピカテリア・ウイルスのせいで明日にでも止まってしまいますように!」とイルミスは朦朧としながら神に祈った。
「おいフレイシー、僕の飲み物も家の中から持ってきてくれよ! そろそろ新しい配給物資が地下から届いているはずだ」
 フレイシーは泳ぐところなんてどこにもないのにどこで見つけたのかビキニを着ていた。
「ただの水なら来ているかもね。ここ数週間ろくな食べ物が届けられてないから。一体地下の大人たちはなにやってんだか。たぶん地下に世界一のハーレムでも作ってるんだわ」
 彼女は飲み終わったパイナップルジュースの容器を握りつぶしてこっちに投げつけてきた。
「あんただったらもう二、三年たったら皮膚の上のウイルスもおとなしくなって、そのハーレムに仲間入りできるじゃない。それまでの辛抱よ」
 イルミスはまた砂まみれになったジュースの容器を拾い上げ、フレイシーの方に投げつけ返した。
「僕がそんな牢獄みたいな所に行きたがってないってことぐらいお前だったら分かってるだろ。僕は去年、学校からあそこに見学に行って完全にうんざりしちまったんだから。あいつらは地上を神聖な土地とか言っていたけど本当はこれ以上ないぐらい忌み嫌っている。なぜかっていうと、ただ暑いからってわけでなく、ものすごく危険だって言ってやがるんだ。そういうところに僕らは押し込められている。だけど地下の方がもっと最悪さ。なぜかっていうと…」
 フレイシーは顔にかかった砂をはらったりせずになんだかきょとんとしていた。まるで意外なものを見るかのように。
「とにかく、ぬるい水でもいいから持ってきてくれよ! このままじゃ砂漠トカゲの皮みたいになっちまう!」
「あのさ、イルミスあんたってほんと変わってる。そんなどうでも良い事にうだうだ悩んでたらほんとに気が狂って水の国に連れ去られてしまうわよ」
 そう言ってから彼女はフンと鼻を鳴らしてから、気取った足取りで家の方に向かっていった。
 何分待ってもやっぱりフレイシーは何も飲み物を持ってきてくれなかった。イルミスは肩の包帯を押さえながらふらふら家の方に歩いていった。確かにここは砂漠と太陽だけがあって何もない場所なのかもしれない。だけど彼には地下の真っ青な光に満ちた鉄の牢獄よりはずっとましな気さえした。あそこにいたら配給の食べ物をぎりぎりまで待たされたりしないだろうし、空気もずっと涼しくていっつも気持ちいい音楽が流れてるみたいなんだろうけど。
「だけどあそこには砂漠トカゲもいないし、サボテンに住むトゲフクロウもいない。それだったら砂漠の方がずっとましだよな。夜になっても星も見えないし」
 イルミスは何気なしに砂に半分埋もれている野牛の骨の化石に向かって話しかけた。そのあごの骨は風で動いてかたりと鳴った。イルミスはなぜか答えてくれた気がしてちょっとだけうれしくなって笑った。

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