水の国の姫 SFファンタジー小説 : 著 岩倉義人

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1章 2 火の息の塔の上で

 真夜中になると辺りは急にひんやりとした冷気に覆われ始めた。寒くなってきたのでイルミスはリュックからマントを取り出して着た。さてどうやって塔の周りにある要塞を通り抜けるかと考えていたのだが、信じられないことに要塞の門は開いていて、警護の兵すら一人もいなかった。こんな時にいったいどこへ出かけてしまったのだろう。あまりにも不思議すぎて何かの罠かとも思ったが、彼みたいなものをはめても何の得にはならないということがわかりきっていたので、気にせず先に進むことにした。
 砂の要塞の壁は特殊な砂岩でできていた。その砂岩は昼の間は明るいオレンジ色をしているのだが、夜になるとぼんやりと緑色に光り始めるのだった。その光のおかげで中には照明一つなかったのだが、闇に迷うこともなく歩くことができた。
 今までの間は砂の要塞のことを遠くから眺めることしかしていなかったので今日急に中に入っていることがイルミスにはなんだか不思議に感じた。要塞は遠くから見ていると塔の高さに比べてとてもちっぽけに見えていたのだが、中に入ると思いの外広かった。だけど、壁の一番外側に沿って大砲が置かれているほかは中はほとんどがらんどうだった。
 砂岩の壁が音を吸収しているのか、あまり足音はしなかった。しばらくしてイルミスは塔のちょうど根本のところにたどり着いた。見上げてみるとあまりの高さに首が痛くなるぐらいだったが、黒い使者がぶつかって砕けてしまった場所がどの辺りか見当をつけると、そこを目指して登ってみることにした。
 思った通り塔の中は巨大な筒のようになっていた。入り口に立ち見下ろすとすっぽりと穴が開いていて全く底が見えなかった。下の方から時折熱気が立ち上ってくるのが感じられた。そこから竜の息が這い上ってくるのだ。この穴の中に身を投げたら最後には竜のところにたどり着き、竜に食われてしまうのだろうかと思うと背筋が寒くなる気がした。
 塔の中の壁を見るとはしごが見つかった。上の方に行くにはそれを使うほかないらしい。これだったら塔というよりも煙突に近いかもしれないなとイルミスは一人でつぶやいてから、はしごを登り始めた。
 この塔の中は所々ランプで照らされていた。そうでなかったら延々とはしごを登っている最中に方向感覚を失って落っこちてしまうかもしれなかった。
 少なくとも一時間ぐらいは登っていくと小さな窓があるところについた。そこには足場が塔の内部の一周分作られていて輪っかのような感じになっていた。イルミスはいい加減はしごを登るのが疲れてきたので足場の方に移って休んだ。
 だんだん塔の中の下の方から熱い風が吹き始めた。彼にはそれが耐え難かったので少しでも涼しさを求めて窓から首を突き出した。窓にはガラスははまっていなかった。
 外は完全に闇に包まれていて地面がどこであるかさえほとんど分からなかった。ただ途方もない遠くに星がぎらぎらと瞬いていた。
 だけど彼はすぐ近くにも光っているものがあるのを感じた。なぜか青白くぼんやりと彼の手や胸が光っていたのだ。何かあるのかもしれない。そう思って彼はもっと窓から首を突き出すとすぐ近くの塔の壁の表面を調べ始めた。すると彼の頭のすぐ上の辺りの外壁部分に何か青い液体がべったりとついているのが見えた。それがさっき黒い使者がぶつかったところなのではないかとイルミスは思った。黒い使者の血は青いのだろうか? 不思議に思ってその血に少し触れてみた。すると鋭い痛みを感じて叫び声を上げてしまった。何か毒にでも当たってしまったのだろうか。彼は何とか闇の中で自分の手をさすったりしていたが痛みはしばらくして止んでしまった。そうだ、この感じは痛みではなく冷たかったんだろう。そうやっと分かった。
 人はあまりにも意外な感覚を感じたときにはいつもと違ったように捉えてしまうのはありがちなことだろう。壁の外壁部分にべったりと凍り付いている黒い使者の血を見つめながらイルミスはぼんやり考えた。「これからどうしよう?」使者の血を見つけてもこれ以上何も起こりそうもなかったし引き上げた方がずっと安全だった。
 だけどここまで来たんだからもう少し登って天辺まで行ってみよう。そう彼は決心した。たぶん地面よりも塔の天辺の方が近いに違いない。イルミスはまたさっきまで登り続けてきたはしごのところに戻って登り始めた。
 天井の方を見上げると、ところどころ星が見え始めた。塔の天辺に開いている穴から透けて見えているのだ。そこを抜けたらやっとまともな所に行ける。そう思ったらイルミスはうれしくなってはしごを登る速度を速めた。だけどもちょうどそのとき地響きのような音が聞こえ始めた。それと同時に地下の方から熱気の固まりも登ってきた。とても息苦しくて仕方がなかったが、どこにも逃げ場はなかった。これはたぶん地下から火の息が吹き出す前兆ではないだろうか? とても恐ろしくてその場にじっとしていたかったが、何とかして早く登り切るしかなかった。もし火の息の音がたった今吹き出してきたらイルミスのちっぽけな体なんてひとたまりもないだろう。
 だけど彼の頭の中でキーンという金属的な音が鳴り始めた。その音を聞いていると手足がしびれてしまいそうだった。イルミスにはもうどうしたらいいかよく分からなくなってしまった。「このまま手を離せばすぐにでも安全なところに吸い込まれていけるのではないか」とも思った。
 地下の方から吹き上げる熱気もものすごくてまるで原子炉の中に投げ込まれた感じだった。その熱気の中でうっすら目を開けてみると、なぜか右手の手のひらが青く光っているのが見えた。その光は熱気の赤い渦の中では唯一の助けに思えた。イルミスはその光を気づかないうちに口に当てていた。すると不思議なことにその光の中だけでは息ができた。まるで氷から伝わってくる冷気のようだった。それはさっきイルミスが触った使者の血だった。
 どれくらいの時間がたったが分からないけど、やっと火の息の音がおさまったようだった。イルミスはまた登り始める前に右手を見てみたがもう青く光ってはいなかった。
 それから登るにつれて天井に見えていた星がだんだん近づいてきて、すぐそこに迫ってきた。はしごは天井にいくつも開けられている穴の一つに繋がっていた。そこをくぐってやっとイルミスは屋上に出た。
 さっきまでの耐え難い熱気とは打って変わって外は凍えそうなぐらい寒かった。地平線の方を見ると濃い群青色に変わりつつあった。夜が明け始めているのだった。イルミスはそれからどうしようかとか考えるのを忘れてしばらくその光景を眺めていた。
 だんだんと明るくなるにつれて塔の屋上の様子が見え始めていた。そこは火山の噴火口の様子に似ていた。よく生きて火の息の音をくぐり抜けられたものだ。イルミスのマントはところどころ焦げて香ばしい臭いがしていた。「こんな格好で家に帰ったら妹になんと言われるだろう。たぶんあいつなら何も言わずに鼻で笑ってから放っておくに違いない」
 なぜかよく分からないけどイルミスは満足してここから早く降りることにした。そして地平線の上を浮かんでいる透明な雲から目を離して登ってきた穴を見たときだった。その穴のとなりに奇妙な黒いものがあるのに気づいた。それはさっきまで辺りを覆っていた闇が固まりになって残っていたような感じだった。イルミスはそれに近づいてしゃがんで見た。それは黒い使者の死体に違いなかった。ぶつかったところは塔の真ん中ぐらいだったのにどうして死体だけ天辺に運ばれてしまったのだろう。そうぼんやり考えた。
 彼の血はやはり鈍く青く光っていた。その血の塊の中に彼の手が見えた。彼の真っ白な手は剣を握りしめたままになっていた。彼がその剣を使って切り落としていた髪のついていた頭はどこをさがしても見あたらなかった。
 剣は水晶のように透き通っていてとてもきれいだった。イルミスは吸い寄せられたように死体の手から剣をもぎ取ると登り始めた太陽にそれを透かして見た。すると剣の中に何かぼんやりと幻のようなものが見えた。どこか遠くが映し出されているのかもしれない。そう思ってじっと見ていると、イルミスが今まで見たことのないぐらいの量の水が渦をつくって動き始めた。ごうごうと渦巻いている水の中に豆粒ほどの小さな白い船が浮かんでいるのに気がついた。イルミスの視線はその船の方にどんどん引き寄せられていった。船は華奢で象牙でできているみたいだった。今にも激しい波に飲まれてくだけてしまいそうだ。その船の甲板の上にはマストがあってちぎれて役立たずになってしまった帆が激しくはためいていた。そのマストの根本に誰かが縛り付けられているのが見えた。
 縛り付けられている人が頭を上げてこっちを見た。それは真っ白な髪の毛をした少女だった。恐れているような表情をしてこっちを一瞬だけ見たが彼女はすぐに決心してこう言った。
「はやくここから立ち去りなさい」
 彼女を縛っている真っ白なひもがうごめくのが見えた。それは白い蛇だった。彼女は手を伸ばすと白い蛇の頭をそっとなでた。蛇は彼女を縛っているのではなく彼女を守っているのだ。そう気づいたとき、イルミスは現実の世界に引き戻されていた。
 目の前に巨大な男が立ちイルミスの肩をがっちり捕まえていた。それは人間の手ではなかった。鷹にそっくりな爪が生えていたのだ。イルミスは肩の肉に食い込んでくるその爪を払いのけることもできずに立ちすくんでいた。
 その大男は夕日のように赤く輝き始めた。もしかするとそれはイルミスの血の色だったのかもしれないけど。大男はなぜお前なんかがというような非難に満ちた目つきをしていたが何も言わなかった。彼はそれから赤い翼を広げた。イルミスの視界はその翼で完全に覆われてしまった。そしてあまりの痛みに気を失ってしまったのだった。

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