水の国の姫 SFファンタジー小説 : 著 岩倉義人

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1章 1 始まりの砂地

 人間にとって大切なものって一体なんだろうって極めてどうでも良いことをイルミス・アングロードは砂漠の果ての木の影に寝転んで考えていた。
「このままじっとここにいれば水の国が向こうからやってきて、あたり一面を全て綺麗に洗い流してくれるんだろうか。そしたら僕にとっての一番大切なものにもう気を取られる心配もなくなってしまうんだろう」
 イルミスは空高くに飛んでいる黒い使者を見つけた。水の国からの使者だ。その姿は真っ黒な天使のようだった。
 彼はまたイルミスの国の姫に会おうとし、そしてまた拒絶されてその腹いせに住民の中の一人を捕まえて彼らの国に連れ去ってしまうんだろう。
 その連れ去られた人はどんなひどい目に合って殺されてしまうんだろう。彼らの宗教に乗っ取った一番惨たらしいやり方で命を奪われるのは目に見えていた。
 イルミスは何とかして連れ去られる犠牲者として志願してみたかった。この乾いた大地から逃れられるのならどんな方法でも良かったし、その結果どうなろうとどっちだってよかった。
 だから彼は木の影から立ち上がると、姫のいる要塞の方に向かって歩き始めた。空には砲撃の音がズシーン、ズシーンと巨人の足音のように響き始めた。
「使者を打ち落とすためにまたあんなことを始めた。そんなことをしたって絶対当たりっこないのに」
 イルミスは口笛を一度だけ吹き敵に合図を送った。「僕はあんたの敵なんかじゃない。僕の国を滅ぼしてくれるのなら、君は僕の親友さ」そういうふうな意味だった。
 木の根っこに足を取られたりしながらイルミスはふらつきながら歩いていった。それは砂漠の果てに誰も思い出せないくらいの大昔に生えていたものだった。
 だけどやっぱり奴はイルミスの口笛なんかに耳を貸さなかったのだろう。低いブーンといううなり声をあげながら使者は翼を羽ばたき続けた。彼の近くの空に砲弾が炸裂した瞬間だけ彼の周りの空気が水色に揺れた。彼は水の世界の使者だけに水のバリアで守られているのだ。
 イルミスにはそれがとてもうらやましく感じた。大声を上げて、早くおまえの恵まれた国に帰っちまえ! 薄汚い腐ったカラスめ! そんなふうにでもめったやたらに叫びたかった。
 でも彼にはそんなことはできなかった。さっき一度だけ吹いた口笛のせいで口の中はからからだったし、口びるだってひび割れてちょっとは血が滲んでいたのに違いなかった。
 気が狂わんばかりの熱気が地面の近くに渦巻いていて、そんな中をほっつき歩いているのは彼だけだった。
 もう少し前の彼だったなら最近死んだあの子のために、太陽に焼け出された謎のクルミを拾い集めていただろうけど、そんな馬鹿なことはもうしないと誓ったのだった。
 イルミスが今までしてきたことの無意味さに対して誓ったのだ。「なぜなら僕はもうすぐここからいなくなってしまうのだし。国のすべてが透明なもの、水で覆われた水の国に旅立つのだから」
 そう思うとなぜか彼の気分は軽くなった。かなたに霞んでいる砂の塔を眺めていると急に歌でも歌いたくなった。そんなことをしてもだんだんと沸き起こり始めた砂嵐に簡単にかき消されてしまうだろうけど。
 いつの間にか水の国からの黒い使者は砂の塔の天辺に近づいていた。ここまで塔に近づいてしまえばもう砲弾を撃つことは出来ない。あたりはさっきまでの轟音が止んで静まり返っていた。
 もしかすると本当は水の国からの使者は砂の塔に住む姫を助けに来たのかもしれない。彼女は幽閉されているのと同じようなものだというのがもっぱらの噂だった。
 イルミスは40倍の倍率を持つ双眼鏡をリュックから取り出すと塔の天辺を眺め始めた。何か面白い動きがあるかもしれない。使者は塔の上から数十メートル上のところでしばらくの間、振り子のように揺れていた。
 それから使者は不思議なことをした。腰に差している剣を引き抜くと、自分の頭に剣を当てたのだ。その剣は明るい水色の光を発し、昼間だったのに辺りは暗く感じた。
 しばらくして彼は剣を動かし始めた。すると黒い髪が切れてパラパラと落ち始めた。髪の毛は蛇のように重苦しくうねりながら落ちていったのだが、ちょうど塔の真上のところまでくると急に軽くなってふわりと浮いた。そして最後にそれは水晶のように透明になって塔にポトリと落ちた。
 塔の天辺は雨に打たれたように濡れ始めた。砂の塔の天辺にはここ数百年雨が降ったことがなかった。だが、国の外からやってきた黒い使者によって雨は降らされたのだ。
 双眼鏡で覗いていても、彼が得意そうににやりと笑ったのが見えた気がした。イルミスはなぜか急に気分が悪くなるくらい頭にきて、石でも投げてやりたい気持ちになった。だが、そんなことをしても届かなかっただろう。
 それはたぶん砂の塔に住む姫に対する侮辱だったのだろう。彼はたっぷりと塔を濡らしてから、何が起こるか見守っていた。しかし誰も塔の中から現れることはなかった。彼はひどくがっかりしたようだった。彼は大きく口を開き、叫び声を上げた。
 聞いたこともない奇妙な言葉だった。地下深くを流れる水のような静けさを感じさせる音だった。
 しばらくしてから彼は塔の天辺に降り立った。剣を握りしめたまま何かを探しているのかウロウロし始めた。たぶん入り口か何かを探しているのだろう。彼は塔の天辺に開けられている小さな無数の穴を覗き込んだ。するとその時だった。辺り一帯にブーンという巨大な音が響き渡った。塔が鳴き始めたのだ。それは火の息の音と呼ばれているもので、いつもは気紛れに鳴ったりしていた。塔自体が笛のようになっていて地下からの熱気が噴き上げてきたときに塔が鳴るのだった。
 その巨大な音をすぐ近くで聞いて黒い使者は動転したのだろう。真っ暗な翼を開いて再び空高くに舞い上がった。天高くに浮いている双子星である太陽のすぐ近くまで彼は飛んで行った。
 彼はその時見つけたのだった。塔の表面に小さな虹の輪がかかっていたのを。
 それは彼にとって何かの隠された合図だったのに違いない。彼は喜び勇んで鷹のように急降下しその小さな虹の中心部分に向かって突進していった。そこを潜り抜けると姫の元にたどりつけるのかもしれない。彼はびっくりしたことに何の疑いもせず塔の壁に激突した。あたりにはバシーンと鈍い音が響き渡った。彼の体は壁を通り抜けることができずに砕け散ってしまったのだ。
 その一部始終を見てからやっとイルミスは双眼鏡を下した。かなりの長い時間そのまま待っていたのだが、もうなにも起こる気配はなかった。
 彼は夜になるまでそこで待ち、塔に行ってみることにした。

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