レザラクス 赤い土

 十九章 髪の毛の部屋


 リルファーは髪の毛の部屋に入れられた五時間後、服を脱ぎ捨てて、横になった。すぐに真っ黒な床に生えた髪の毛達は手を伸ばして彼女の足を開かせてからめ取り、固定した。 彼女には前来た時の様にそれを拒む理由などなかった。床の髪の毛は彼女の口の中にも伸びていって、何滴も黒い露をそそぎ込んできた。彼女はそのくせのある甘みのある味をゆっくり楽しみながら飲み干していった。

 リルファーは自分がうまくここに戻れたことに喜び、また驚いてもいた。もっともコーラルの方が信じられなかっただろうが。リルファーはまだ彼女に全てを話した訳ではなかった。それは全てが済んでからすれば良いことだった。

 彼女はアンフィがやって来るのを待った。天井には小さな岩の割れ目が有ってそこに差し込む日の強さで、時間を有る程度推測することが出来そうだった。今はまだ昼間だ。彼女はすでに死の胎児になっているアンフィのことを思った。いつかコーラルに見せられたように胎児は透明で背中に赤い火の粉を閉じこめているのだろうか。その彼に寄生している赤いカビはレザラクスになろうとしている証拠だとコーラルは言っていた。もはやリルファーはそんなことを信じてはいなかった。

 そう感じながらも頭では全く逆のことも考えた。本当に赤いカビがレザラクスになろうとしているのなら、彼女の中に出来つつあるものと混じり合ったときどんなふうになるのだろう? それならそれは彼女の考えているものを素直に受け入れるはずだ。リルファーはそのカビにタルヒナーの事を感じた。私はアンフィの中のタルヒナーを待っているだけかもしれない。タルヒナーのかけらに死を与えることが出来たなら、彼女は神の第二子宮の中で確実にそれに気付くだろう。私は本当はアンフィではなくタルヒナーの事を殺したいのだろうか。リルファーは自分がここから出た後、また第二子宮に行って扉をこじ開けて、中のタルヒナーを殴り殺している様子を想像した。その光景に彼女は一人で笑った。「フフッ。たとえ彼女が進んでそれを受け入れるとしてもそんなことは私は望んでいないわ。アンフィが私の中に来るまで待ってもう一度彼に問いかけてみよう。それで全部疑問は解ける。」

 リルファーがいつまで待っていても、アンフィが部屋に現れる様子はなかった。いつの間にか岩の割れ目から見える太陽の目玉は閉じられて、部屋の中には暗闇と髪の毛だけが取り残された。髪の毛は盛んに彼らの血を口の中に流し込んでくれたので別にお腹が空く事はなかった。彼女は微かに動く生きた髪の毛達のことが好きになっていた。リルファーが動けないように縛り付けてはいたが、締め付ける力はとても弱くて彼女が抜け出そうともがけばすぐに髪の毛は自分から千切れて彼女のことを喜んで解放しただろう。だが、髪の毛が引き千切れるときの髪の毛自身の苦痛を考えると、やりきれない気分になった。それに彼女はそこから逃れたいなんてちっとも思っていなかった。

 天井の割れ目の所から今度はもっと淡い光が差し込み始めた。白くてぼんやりした光。彼女が首を捻ってみても、辺りの様子は全く見えなかった。多分、外には明るい月が有るのだろう。しばらくして、この部屋の中にさっきまで存在していなかった音が生まれたのを感じた。ぽたぽた滴がしたたり続ける音。すぐにその音の中にかちかち固い物をぶつけ合う音も聞こえだした。口を何度も開け閉めするときに出る、歯がぶつかり合う音だ。リルファーは舌の先を動かして自分の歯が動いていないのを確かめた。何かが部屋の中に居るらしかった。その音は小さくなったり大きくなったりしながら、うんざりするぐらいゆっくりリルファーの周りを移動して行った。アンフィが来たのだろうか。コーラルは声を出して問いかけようとしたが、舌の回りに部屋の髪の毛が絡まりだして何も言うことが出来なかった。それでもあごを動かしていると、のどの辺りからうめき声がやっと出た。その声は恐ろしいぐらいに部屋の中に響いた。すると少しの間、這い回っているものは身を縮こまらせて黙っていたが、すぐに前よりも活発に動き始めた。

 リルファーは怖くなって何も見えない辺りを見回した。そして自分の目を覆い隠そうと始めた髪の毛達の隙間から、奇妙なものを見た。部屋の自分の周りの髪の毛達は床に身を伏せていた。何かが自分の上を這うのを妨げないようにするためだった。その様子がはっきり見えだしたということは、部屋の中が照らされ出したということだった。その時自分の様子が監視されていることに気付いた。低い所に有る小さな岩の穴からランプの光が強く差し込んでいた。光の向こう側にはコーラルがいるのだろうか。それとも別の誰かがいるのだろうか。彼はリルファーがレイプされていくショーを楽しみに見守っているのだ。彼女は今度は自分を押さえつけている髪の毛を引き千切ろうと全身に力を込めた。髪の毛はビクともしなかった。髪の毛は彼女の首を息が出来ないぐらいに締め付け始めた。苦しくて頭を揺り動かして床に叩き付けた。その痛みの中で彼女は見た。彼女の顔のすぐ近くまでそれはやって来ていたのだ。ほんの手のひらぐらいの大きさしかないそれは透明で所々ピンク色に光っていた。目は落ちくぼんだ白い玉でしかなかった。何も見えていないのだろう。目のすぐしたには黒い穴があった。穴の中からは白い二列のかわいらしい歯が顔を覗かせて、閉じたり開いたりしてさっきのかちかちいう音をもう一度出して見せた。それを聞かせたらリルファーが喜ぶとでも思っているのだろうか。しかし、その口の動きを見るうちにそれが喋ろうとしていることに気が付いた。

「アンフィ。アンフィ。」自分のことを知らせようとしているらしかった。彼女はそれを知ると抵抗する力を緩めた。アンフィはその後、だいぶ経ってからリルファーの足の間に自分が帰るべき場所が有ることにやっと気が付くと、這って行って、その中に潜り込んだ。 リルファーはそれを感じながら、自分もそんなふうにして他のレザラクスに潜り込み続けている感覚を思い出して吐き気がした。彼女がそんなふうにして吐きだした物は全て部屋に生える髪の毛が喜んで始末した。彼らはそれを食って生き延びているのだから当たり前のことだった。彼女はアンフィが自分の中に完全に姿を隠して、安心して自分の全ての細胞を崩壊させ始めているのにほっとして、心の中で話しかけた。

「さあ。プラックス達あなた達のための残酷なショーはもう終わったわ。今度は私が見せてもらうから。アンフィ、あなたは安心していて良いのよ。」
 彼女のことを押さえつけていた髪の毛は今は力をすっかり弱めて体の外側に倒れ込んでいた。リルファーはそれを踏みつけながら立ち上がると、よろめいて何度も倒れながらさっきから彼女を照らし続けてきた割れ目の方に歩き始めた。割れ目の奥で驚いて声を上げたプラックスは「無理するな。そのままそこで待っていろ。」そう叫ぶと、扉を開ける儀式を始めた。クスベーガルは急いで震える手を落ち着けると自分の奥歯を取り外しに力任せに突っ込んだ。指は震えて舌の奥に当たり、酸っぱい胆汁が胃の中を駆け上がりだした。「自分から外に出ようとするなんて、なんて頭のおかしいレザラクスなんだ。」
 彼は後ろを振り返るとゴツゴツした冷たい岩に額を押しつけて胃袋が機嫌を直すのを待った。それから、やっと彼が封印を解いたときには、中でレザラクスは倒れて気を失っていた。彼はほっとため息を付くといつも通り彼女を背負って産室のベットまで運ぶと、彼女を寝かせ付けた。彼はリルファーの血を抜いた後、彼女に付いての報告書に手早く記入した。問題なく帰胎終了の欄に小さく丸を書き入れた。さあ。これでやっと気が狂ったリルファーともおさらばだ。後は出産係のケシタル・ハズに任せればいい。早く奴を起こしに行こう。こんなにうまくいくとは彼は思っていなかったので、早く前もってハズを叩き起こしておけば良かったと、唇を咬むと彼は素早く部屋を出た。ベットの中では髪の毛の部屋の自分たちが千年間かかってやっと作り出した甘い血の匂いに包まれながら、リルファーは眠っていた。コーラルがその事を知らされたのは次の日の朝になってからだった。

Lezarakus
chapter 19
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 リルファーはコーラルが一人で部屋にやって来たのを見ると、彼女は自分の思っていることを打ち明けた。
 それを聞いて彼女は長い間黙って考え込んでいたが、最後にはあなたの思っているようにすればいいわ、と言った。
 その一月後にリルファーはレザラクスの姿に作り替えられたアンフィを再び産み出した。ハズはその子を静かに捧げ持つように取り上げると、隣の部屋の生育ケースに運び去った。リルファーが死の胎児と大して変わり映えのしないそれが、劇的な変化を遂げているのをはっきり感じた。あの子は自分の向かうべき所に行くわ。彼女は自分の中の可能性の全てをその子に与えた。

 もう二日ぐらいしてリルファーの体力が回復し次第、あなたはプラックスの職業訓練学校に送られて自由になれるとハズは言った。そして、リルファーが支給された新しい荷物をチェックしているときだった。ハズが産室の中に驚いて飛び込んできた。「君はあの子に一体何をしたんだ。あの子は昨日まであんなに元気だったのに。私はトワンスを呼びに行かなくては。それまで、君はここを動くんじゃないぞ。」彼は声を引きつらせながらやっとドアにつかまると、出て行った。それを確かめてからリルファーは生育室のドアを開けた。彼は動転していたから、鍵をかけ忘れたらしかった。部屋の中にはいくつかのケースがあって一番大きなもの中にはほとんど人と同じ形をしたものが元気に歩き回っていた。リルファーの目指すケースは、すぐに見つかった。とても小さなケースの中には三日前彼女が見た形の肉の袋が収まっていた。アンフィはリルファーから産まれたときは透明で緑がかった光さえ発していたのに、今は濁った赤い灰色をしていた。お腹の所は奇妙に青くなっていた。アンフィは苦しそうに息を時々した。そのたびに彼の腹に透けて見える小さな心臓は圧迫を受けて、びくびく怯えた。リルファーはケースを開けるとアンフィを優しく手に取った。彼女はアンフィの口から延びる食餌用のホースを抜いた。その痛みにアンフィは頭を背中の方にのけぞらせて何度も痙攣していた。彼は呼吸にさえ苦しんでいるようだった。

「あなたはやっと私たちの仲間になれたのね。アンフィ。あなたはこれからレザラクスが帰るべき所に行くのよ。だから、そんな怯えなくっても良いの。だけど、仲間でもないか。今度は私がプラックスになる番なんだから。」
 アンフィはそれを聞いて安心したのか、無理に呼吸をするのを止めた。ただ、時々肺は無意味に膨らんでいた。しかしその間隔も次第に延びていって、再び胸が膨らむことはなかった。

「ああっ。その子供は一体どうしたんだ。」振り返るといつの間にか、トワンス・ロフとコーラルが部屋に来ていた。トワンスは驚愕の表情をしばらく続けていたがやがて大声で笑い出した。
「ハハハ。君はついにやってくれたね。計画通りだ。決して死ぬことを許されていないレザラクスと死ぬことの出来ないプラックスの垣根を君は越えたんだよ。私に隠れてコーラルが君のことを死の子供の館に送り込もうとしているとき、私はそんな馬鹿げたことをすぐに止めさせようと思った。でも、すぐに気付いたんだ。君の中に巣くっている新しい可能性のことをね。」

「可能性とはこれのことね。」リルファーはアンフィの体を静かに揺らして見せた。明らかに今度は演技でなくトワンスは顔を驚きに歪めた。
「私もそのことに気付いていたのよ。そして意識的にその可能性を育てさえした。私は彼を殺したかったの。確かにあなた達は私たちを犠牲にして、精神的な永続性を身につけたようだけど、タルヒナーがあなた達に預けた物を私は返してもらうことにしたの。そしてそれをアンフィにも分けてあげた。ただ、彼はもう私の仲間なんですから。私は彼の体をもらっていくわ。」

 トワンスは顔にしわを寄せたまま考え続けた。奴に死体をやっていいものだろうか。たしかにあれが死んだ、ただのレザラクスであるのなら、神の第二子宮に入れなければならない私の失敗に過ぎなかっただろう。だが、アンフィはプラックスでありレザラクスでもある瞬間に本当の意味での死を与えられたのだ。それは私たちの向かうべき新しい指向性ではないだろうか。その特異点を打破した記念すべき死体は大切にするべきなんじゃないだろうか。考え込んだ末に彼は慎重に言葉を選んだ。

「君は彼の貴重な価値を理解しているのだろう。だから、それだからこそ、私たちみんなで彼のことを大切にしなければならないと君は思わないのか。」
 殴りつけて気を失っているうちに、アンフィを奪えば良いんじゃないか。そうするのがなにより一番手っ取り早い。あのレザラクスは頭がおかしいんだ。構うことはない、また神の第二子宮に放り込んでしまえば良い。あいつはまだプラックスに成り立てなんだから、神様だって勘違いして文句を言うはずもない。トワンスは自分の頭の中でがなり立てる声を必死になだめながら、冷静に説得を続けた。

「分かった少しそこで待っていてくれ。」彼はコーラルを部屋の外に呼び出すと、小声で自分がリルファーを押さえているうちに君が死体を奪えと命令した。コーラルは無言で頷いた。

 部屋に戻ると自分の緊張が悟られないようにしながらゆっくり彼女の方に近づいていった。
「大丈夫だ。何も心配しなくても。死体は君にやる。だから、その前にアンフィを私に一度だけ見せてくれ。私はそれで満足なんだよ。」
そして、自分の手がリルファーの細い肩に触れた瞬間、彼は全身の筋肉にゴーサインを出した。しかし、なぜかその命令は伝わらなかった。不思議に思ってコーラルがなぜだか知っているような気がして振り返った。 彼女は手にイスを握りしめていた。「あなたは自分の約束したようにするべきよ。」そう言うと彼女はまたそれを容赦なく振り下ろした。今度は呻いて倒れるとトワンスは気を失った。
「大丈夫よ。彼は死にたくても死ねない体なんだから。早く窓から出て行きたい所に行きなさい。支給された荷物を持っていくと良いわ。それには食料とすこしだけお金も入ってる。」
 リルファーは無言で開いた方の手で彼女の腕を握ってから聞いた。
「あなたはどうするの、コーラル?」
コーラルはイスを床に下ろして、自分の着ている研究用の白衣を見下ろしてから答えた。
「確かに私たちはあなたの考えたように呪われているのかもしれない。それでも、帰胎を必要とする死の子供達は存在するのよ。私はただ、あなたみたいにそれを投げ出す気にはなれないわ。こんなことになってここの仕事を続けられればの話だけれども。
 本当はあなたみたいにプラックスが私たちを支配し続けることをなんとかしなくちゃとも思う。でも、事実はもうプラックスとレザラクスは切り離すことが不可能になっているわ。私はあなたが持ってきてくれたことを元にしてよく考えてみる。あなたはあなたがしたいようにすればいい。」

「分かったコーラル。私は苦しみの野に行って、この子を埋めてからその先に行ってみる。人間達がそこに去った後、どうしているのか知りたいの。」
 リルファーの顔は青ざめていたが、決意は固そうだった。彼女は手を伸ばしてもつれたまま伸びきっていない髪の毛をそっと撫でた。
「あなたはもうレザラクスではなく、これからだんだんとプラックスに向かって行くわ。それはあなたに苦しみをもたらすかもしれない。もし、レザラクスで有り続けたいのなら、それを長引かせることだって出来るのよ。」
 彼女は少し笑ってから答えた。「私にはもうそんなことは必要ない。いいえ、必要としない体にもうなっているのよ。でも私はあなたのずっと仲間。」
「そうね。分かってる。」

 そう答える間もなく、リルファーはアンフィをポケットの中に入れると新しく与えられたリュックを背負うと窓から姿を消した。彼女はもう一度コーラルのことを振り返って手を少し振ると藪の中に潜り込んだ。コーラルはため息を付いてから、トワンス・ロフの枯れ枝のような体を起こすとベットに寝かせた。もうすぐ彼は死の子供になるべき時が来る。コーラルは彼の体に打つための死の子供に姿を変えるための促進剤を探しに研究室に戻った。彼自身の研究がこんな所で役に立ったのだ。彼だって喜んでくれるのに違いがないわ。コーラルはトワンスに注射を打ちながら、リルファーがやがて到達するはずの苦しみの野のことを心に描いた。そここそがレザラクスが帰るべき所なのかもしれないと思いながら。彼女はもうリルファーに会うことが出来ないのを考えると苦痛を感じ、リルファーが自分の力で得たものは彼女にとって良かったのだろうかとも思えた。

「でも、少なくとも私たちの際限のない地獄から、彼女は抜け出した。私はこの中でここをどう素敵な地獄にデザインし直せるのか試してみよう。逃げるのはそれが失敗してからで良いわ。行くべき所は彼女が教えてくれたから。」

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