レザラクス 赤い土

十七章二節


 次の日の夜、ベッドの中でリルファーは目をつぶって待っていると、額に置かれた冷たい手を感じた。「イレアラ。地下の教室に行こう。その前にベットの下に古いシーツを置いておいたから、それを丸めて君が寝ている形にしておくと良い。古いシーツは他の使われていないベットから剥がしてきたんだ。戻ったとき朝になるまでにまた元通りにしなければいけないけど。」彼の声はいつも以上にかすれていてほとんど聞き取りにくいぐらいだった。リルファーは黙ってベットから出た。ベットの下を手探りで探すとアンフィのいう通り布の固まりに手が触れた。これが私のここにいなければいけないことの身代わりになるのか。その袋を寝かしつけながら、その体積分しか自分が存在していないことに気付いてとても怖くなった。それぐらいその布の固まりは小さかったのだ。

 廊下に出るとアンフィは彼女の手をそっと握って引っ張って歩いた。ちょうど今は監視をしているプラックスはいないようだった。それとも彼はあらかじめその時間を調べておいたのかもしれなかった。いつもの階段室への入り口をくぐると中は暗闇になっていった。それでも、アンフィはリルファーの手を引っ張り続けた。彼女は階段にけつまづいて転びそうになってうめいた。「アンフィ、こんな真っ暗な階段を降りるなんて無理だよ。」

 彼が振り返った気配がした。「仕方がない。君には見えないんだね。余りこんな所で使いたくなかったけど。」そう言うとカチリと音がしてランプに灯がともった。「僕が歩くときは必要ないけれど、今日みたいな日が来るかもしれないと思って教官の宿営室から盗んでおいたんだ。だけど、見つかるといけないから、今は火を一番小さくするから。」リルファーの足下を小さなオレンジの輪がかろうじて照らしていた。それが素早く移動して行くのに遅れないように、その中に彼女はジャンプして飛び乗って行かなくてはならなかった。小さな落下していく感覚がいつまでも続いたので目眩がしそうだったし、周りの暗闇がどんどん濃くなっていくのが分かった。暗闇は彼女の周りに出来た新しい皮膚のようになってそこから抜け出せることなど予想も付かなかった。

 しかし、落ちていく恐ろしい感覚が突然無くなったことで彼女は底に着いたことを知った。いつもの何十倍もかかった様な気がした。「ここからだったらランプが無くても大丈夫だろ。いつも最後の横穴の所はまっ暗なのだから。」
 そう言って彼はすぐランプのスイッチを切ってしまった。そうしないと中に誰か居た場合にすぐにばれてしまうから当然だったが、リルファーは怖かったのでまたアンフィの手を握った。彼の手はさっきよりもずっと熱くなっているように感じた。

 背をかがめながら最後の横穴の扉をくぐり抜けると、やっといつもの大きな空洞の部屋にたどり着いた。そこで二人は不思議な光景を見た。昼の間見る白い光はとても強くて、永遠にそこにあるのかとさえ思えるぐらいのものだったのだが、その光はどこに吸い取られたのかどこにもなかった。だが、真の暗闇がその部屋にある訳ではなかった。光の残響が部屋の壁の岩の肌をほんの少しだけ青く光らせていた。そして当然それよりももっと力強く脈打つ光があった。彼らがシハレウで描き殴った光の帯だ。その帯は真っ直ぐ水平に部屋を横切って一周していた。その赤く所々様々な色をした純粋な光は奇妙なことに部屋の他の部分を全く照らし出そうとしていなかった。リルファーはそれがまだそこに有って本当に良かったと思った。アンフィも軽くため息を付いたのでそう感じたのだろう。しかし、彼女はとても不安な気分になっていった。その明るく暖かい光がこれから乱暴に引きむしられるのが予感させられたからだった。そうやってずっと親しさを感じ続けることが出来れば良かったのだが、彼女がその光の筋を大切な物だと思えば思うほど、光の輪は半径を狭めて彼女の方に迫ってくる感じがした。そして、その光が自分に同化するぐらい近くなったとき自分の姿が砕け散ってしまうのが当然だと思った。それにそれを受け入れたいと思ったのだ。そうやって赤い光が自分の方に来たときに彼女は手を伸ばした。彼女はうれしくて声を上げた。

「見てアンフィ。これが私たちの産み出した物なのよ。私は多分この赤い光に飲み込まれてしまったら、本当に死ぬことが出来るわ。どんなにあいつらが私から取り上げようとしたってこうやって自分の力で作り出すことだって出来るのよ。私はやっと望みがかなうわ。自分の血を使って死を作り出したのよ。だから見て、私が手を伸ばせば光達はきっと私の思うようにしてくれる。私の偽物の体を破壊してくれるわ。」

 アンフィは驚いて彼女の方を見た。彼は彼女が普通の死の子供と違っていることに、やっと気付いたのだろうか。彼は目の前で怒っていることに怯えて頭を手で覆い隠そうとしていた。リルファーはそれを見て少し笑って馬鹿にした。「プラックスは本当にどこまで馬鹿なのかしら、そんなことはどうでも良いわ。私はタルヒナーがあなたのために投げ与えた物を今取り返すのよ。そうすれば苦しみだって終わるし、苦しみの野に行くことだってやっと出来る。さあ、来て私たちの血の光達、私の中で腐って私の体をぼろぼろにして。」

 リルファーは光を必死で呼び寄せようとした。その甲斐があってか光はやっと彼女の事に気が付いてそこに乗り移ろうとした。しかし、リルファーの手にそれが触れようとした瞬間だった。彼女の見た光の体が引き裂かれていくのを見た。赤い花束から花弁が抜き取られていくようだった。何かにそれは食い尽くされていった。リルファーはやっと自分の周りにざわざわ足音が聞こえているのに気が付いた。部屋全体に雨が降り注ぐような音だった。光は全ていつの間にか元にあった壁の縁に追い戻されていた。赤いシハレウの光から伸びきった毛が何本も引きちぎれて、空中を舞い続けた。それはいつまにか壁から生まれた透明な小さないぼに吸い取られていった。しばらくして腹を満たしたいぼは一つずつの形に千切れて透明なナメクジになって嬉しそうに部屋の壁をはい回り続けた。シハレウの光は彼らの消化器の中で少しの間虹色に鋭く輝いた。だが、それはすぐに灰色に変わり炭のように真っ黒になって死んだ。そしてナメクジたちは天井付近に集まるとその死体を静かに排泄し始めた。それは黒い雪のようにふわふわ言って地面に舞い降り続けた。部屋の中はいつの間にか夜が明け始めたのか乳色の光に満たされ始めていた。


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「そう。分かったわ。この塔に降り積もっている物、それは火にさらされた清潔な木の灰なんかじゃなくて、あなた達の糞だったのね。あなたが食べた私たちの感情や記憶は一体どこに行くのかしら。この人をこんなに苦しめたって何にもなりはしないのに。」

 アンフィは頭をかかえたまま地面に転がって体を何度も痙攣させていた。多分今日確かめることが自分の体にどんな効果を及ぼすのか知りたくなって昨日の昼シハレウを使ってみたのかもしれない。
 「だけど、あなた達は私の心を食いつぶすことは出来なかったみたいね。それはそうだわ。私は死の子供なんかじゃない。私は偽物の死の子供。レザラクスなんだもの。それに私はもしプラックスの姿になるとしてもあなたたちに捧げる物なんて何もないのよ。」

 リルファーは嘲って笑った。「私たちには死が無いなんて誰かが言っていたけどそんなのはでたらめだって事にやっと気付いたわ。百歩譲って私たちに死が無いとしたって、私たちは殺されて皮を剥がされ続けているのよ。私たちはタルヒナーと同じように皮を剥がれて死ぬ瞬間に永遠にいなければいけない。それが私たちを神と同等にしているとはなんというペテンなのかしら。人間が私たちを見限ったのも当然だわ。苦しみの野は彼らがさった場所なんかじゃなく、この部屋の中にある。かわいそうな引き裂かれた意識達。その意識の小さな綿毛を踏みつぶして、私たちは永遠に生きようとしているのよ。そんなものは私には必要ないわ。」

 地面に寝転がったまま、アンフィは彼女のことを見上げた。その姿は震えもせず、目に焼きついていた、かつてスクンエラだった時に見た記憶を呼び起こした。「君はきっと初めてのレザラクスなんだろ。桃色の鎖に繋がれた、皮を自分から剥いで僕らにくれた。君はそれが間違いじゃなかったって、知っているんだろ? 僕らは君たちがいなくたって永遠に生きられる体を作りだしていたけど、僕らはレザラクスに頼らなかったら、精神だけがどこかに行ってしまって、死ぬことだって出来なくなってしまっていたんだ。だから、君は懇願する僕らに自分の皮をくれた。苦しみの野をここに作ることだって君は喜んでくれたじゃないか。どうしてだかは知らないけど。」

 「あなたはまだ、消えて無くなってしまうことを怖がっているのね。」
リルファーはさっきのシハレウの光に触れたとき、確かに自分の中に新しい可能性が産まれつつあるのを知った。
「あなたは帰る所がなくなって困っているんでしょ? 残念だけど私はタルヒナーではないわ。私はリルファー・ラグドザム。あなたは自分では分からないでしょうけど、あなたが死の胎児に戻れない理由は私があなたを受け入れようとしていないから。私が帰胎を受け入れなくて苦しんでいても、それ以上にあなたは苦しまなければならないのよ。だってあなたは自分の苦しみが自分自身が原因でないことを知ることが出来ないんだもの。それとも、それが不当なことだとでもあなたは言うのかしら?」

 小さな灰色の毛をした男の子はやっと起きあがってあぐらをかいた。
「不当か。僕にはどっちかよく分からないけど、僕はただ自分の心が消されて無くなってしまうのが怖かっただけなのかもしれない。でも、本当は僕らのあり方が嫌で仕方がないんだよ。こんな事が永遠に続くなんてもう耐えられない。そうとは言っても僕にはそれから逃れる方法が無いんだ。だけどもう君のことだって求めたくない。」
 リルファーはしゃがむと彼の肩に手をやって助け起こしながら言った。
「大丈夫よ。私を求めても。もう永遠なんて有りはしないわ。私の体の中にはそれを壊すものが有る。」彼女はそこから先を言うことが出来なかった。彼にキスされて口を塞がれていたのだ。リルファーは彼の舌に出来た黒い斑点の苦さに驚き、彼がそれを通して知ってきた苦しみについて知った。
「あなたがその苦しみに値するだけの価値があるのか自分に問いかけたことがある? アンフィ。」
 彼は答えたくなかったのか、疲れてしまっていたのか彼女の肩にうなだれたままだった。「ふふ。とにかく、そんなどうでも良いことは後にして部屋に戻りましょう。もう、教官達にばれているのかもしれないけど。」
 苦労して巨大な部屋の真ん中から彼の体を入り口の横穴の所まで運んでから振り返ると、部屋の壁はいつも通り真っ白になって朝の光に洗われていた。これからもう少し経ったら、また恐ろしい強い光の地獄に戻っていくのが信じられないぐらいだった。

 部屋に戻ると、まだ全ての死の子供達は意識を奪われてベットの中で固くなっていた。リルファーは、アンフィを彼のベットに投げ出すと、自分のベットに倒れ込んだ。次の日やるべき事を考えながら。それが本当にうまくいくのか、全く分からないことは都合良く恐ろしい疲れが忘れさせてくれそうだったのが、唯一の救いだった。問題はそれを彼が本当に望んでいるのかどうかだった。だが、今の彼女にはそうとしか考えられなかった、彼が死にたいと望んでいるというふうにしか。

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