レザラクス 赤い土

 二十一章 偽りの神を送り出す場所

「見ることの出来ないカラスの羽根。
 でも、地面に落ちたときは普通の羽根と同じ。
 死んだ体は普通のカラスと同じ。
 ただ、声だけは誰にも聞かれないでどこかに消えてしまうけど。」                  

初めてのレザラクスの歌われなかった歌


「悲しき狂気の叫び声、苦しみの野を駆けわたり、雲の住みかを叩き壊す。」

レザラクス教則 39


 御者の名前はウリヌス・マットパーといった。リルファーは彼のことを忘れないだろう。結局、彼が協力してくれなかったら苦しみの野を越えて人間達の所まで来るまでに疲れ果てて死んでしまっていたのに違いがなかったからだ。彼らが一番東の村であるゲダイ村に一月経ってやっと着いたとき彼は言った。
「馬を一頭君にやることは出来ないが、奴らはしょっちゅう逃げ出そうとたくらんでる。奴らはもっと美味しい草のあるところ、もっと面白い香りの風の吹くところに向かって、いつだって行きたいと思ってる。俺だって、そいつを止められないときだってきっとあるが、そん時はそん時で諦めがいつもつくんだ。だから俺は余分にどんなときも連れて旅をしている。」

 彼女が、彼と別れて村で出来るだけ沢山、水と食料を買ってから、村外れの木陰の所に行くとすでに彼の馬車は無かった。だが、彼女と一月の間喧嘩ばかりしていた一頭の馬が辺りの草をむしって食べていた。馬は彼女を背中に乗せると歩き出した。まるで彼女の行きたい所と、馬の行きたい所が同じであるみたいだった。馬は焦げ茶色の毛をしていたが汗をかくと緑色に光った。リルファーは馬が進もうとしているうちは東に進み、疲れたときは、出来るだけ木陰で休んだ。村で聞いていたとおりにだんだん木が少なくなっていって、石ころばかりが転がるようになってきた。余りに食べられる草が枯れ果ててしまっているときは馬の背中に背負っていた干し草を少しずつ与えた。

 馬の名前はエウ・ジンドル・ラーと呼ばれていた。つまりエウという呼び名のジンドル種のラー(馬)という訳だ。その名前は厩の神官がつけたらしい。

 馬の肩には大きな痣があった。その青い雲のような形が彼の体からいつまでも消えないであることを不思議に思いながら、リルファーはアンフィと彼の背中に揺られていた。

 地面には巨人が爪でひっかいたような跡が一本だけあって、そこは地表付近のがれきが無くて柔らかな赤い土が敷き詰められていたから、エウ・ジンドルはそこを道として選んだ。しかし、土は乾ききっていてもとてもねっとりしていたから、蹄の間に入り込んでなかなか抜け出そうとしなかった。彼は時々立ち止まって足を強く震わせて土を払った。

 不毛の地はとても長く続いたが、一週間過ぎると、重く雲が垂れ込める場所に着いた。そこの草は棘だらけでパサパサだったが、干し草に慣れきっていたエウは美味しそうに歯で引きちぎって食べた。少しずつ雨が降り始めた。赤い土はだんだんに濡れた場所を増やしていって、すぐに泥沼になってしまった。土の道は窪みにあったから雨が降るとそこに溜まって、ゆっくり流れる川になるのかもしれなかった。リルファーは土の道を歩かすことを諦めて、岩だらけの台地の方に上がった。もうだいぶ尖った岩は姿を消していたから何とか進むことが出来そうだった。少し休もうとエウの背中から降りた。エウの胸から下の肌には赤い泥跳ねがびっしりこびり付いていて、それが濡れた彼の肌を一層緑色に輝かせた。リルファーは荷物の中からしわだらけの雨具を引っぱり出すとそれを着た。

 エウの胸に付いた泥はすぐに雨に流され始めた。それは灰色の石だらけの地面に赤い染みを作った。今度は馬から降りたまま歩くことにした。しばらく行くと地面に小さな岩が綺麗に円形に並べられているのに気が付いた。誰か、ずっと前にそこに住んでいたようだ。それはほとんど地面に埋もれていたから、馬から降りて歩いていなかったら見落としていただろう。その石の並んだ形はレザラクスの塔で見た、人間の集落で発見された彼らの埋もれた歯が地面から発掘されつつあるときの写真とそっくりだった。この辺りには昔人間が住んでいたのだろうか。もしそうなら、苦しみの野をとっくに通り越してしまっているかもしれない。それとも、ここがレザラクスが千年以上前に住んでいた廃墟の村なんだろうか。リルファーには分からなかった。

 その濡れた石の連なりを彼女は撫で続けた。長い時間経ってやっと満足すると、彼女は立ち上がった。その時、地平線に近い灰色の草の間に血が滴って出来た小さな跡を見つけた。それは幻みたいに赤く光っていた。「あそこ。あそこがタルヒナーが皮を自分で剥いだ場所。赤い羽根に似た綿毛達は彼女の死体を見つけて笑ったわ。彼女はそれを見て怒って、綿毛達を引き裂いた。綿毛達はレザラクス、彼女は自分以外のレザラクスを全員殺したの。自分が人間達の所に最後に連れ去られる前に。だから今のレザラクスは彼女の子供達なんだ。でも、私はそうじゃない。彼女は私を自分の娘だとは言わなかった。私はタルヒナーじゃないんだ。」

 リルファーは急いでアンフィをポケットの中から取り出すと、包帯を引きむしって取った。そして、地面の出来るだけ平らな石の上に置くと叫んだ。
「タルヒナー。私はあなたの子供なんかじゃない。だからあなたの子供を殺せたのよ。私はあなたの気違いじみた幻想からこの子を救ってあげたの。だからこの子は死んだ。私はこの子が好きだから殺したんじゃない。憎たらしいから殺したの。だから見なさい。タルヒナー。」

 リルファーはアンフィの上に力一杯足を下ろした。アンフィの体の中身ははじけて辺りに散らばった。石にはピンク色のかわいらしい斑点が出来た。リルファーはしゃがみ込むと砕けたアンフィの体に静かに口づけをした。
「アンフィ。あなたはまだ生まれ変わっても黒い染みのある舌をしていたのね。」
彼女は胎児の口を開いて中の舌を引っ張った。舌は自分から簡単に千切れた。それを口の中に入れて自分の舌で遊びながら彼女は考えた。
「アンフィ。もう一度あなたとこうしてキスすることが出来た。あなたの血はとても不思議な味をしているのね。」
彼女はしばらくそうしてから、かみ終えたガムを吐き出すように地面に吐き捨てると、舌は痛がってピチッと音を立てた。

「ありがとうアンフィ。あなたのことは忘れないわ。だってもし私がまた死ねなくなったとしても、あなたは私の前に現れて、私があなたにしたみたいに私を殺して、舌を引き千切ってくれるはずなんだもの。その時を楽しみに待っているわ。」
 彼女は素手で地面に浅い穴を掘ると、その中に残されたアンフィの体の部分を出来るだけ集めて土をかけた。土を被せる途中で手を止めると、彼の小さな握り拳だけが地面から突き出しているのが見えた。その手はなにか見えない物をつかもうとしているみたいだった。アンフィのその小さな癒着しあった指にそっと手を触れると、彼女は言った。

「あなたの中の偽物じみた命の中で、あなたは一体何をつかんだと言うの。あなたがつかんだのは苦しみだけ。私たちには苦しみだけで十分よ。私たちの苦しみを他のレザラクスに食わせ続けるのなんてもう沢山。私は自分の苦しみは自分一人で味わうわ。だって私たちは神様なんかじゃないもの。」
 すっかり彼の体を土で覆い隠してしまうと、その上に彼をくるんでいた包帯を置いた。そのまま彼女は立ち去ろうと立ち上がったが、またすぐに戻ると包帯を手に取ってポケットの中に乱暴に押し込んだ。
「私はあなたのことを忘れるはずはないけど、きっとすぐどうでも良くなってしまう、だけど、あなたの香りが私の近くにいてくれさえすればたぶんそうはならずに済む。」
 彼女はエウ・ジンドル・ラーの背中に乗るとそのまま振り返らずにさっきの赤い染みの見えた地平線を目指した。そして彼女の脇には赤い綿毛の花がいくつも咲くようになったのだが、彼女はそれを無視してかき分けて進んだ。ただ、エウはその花が思ったよりみずみずしくて美味しそうだったので、それを頬張るために立ち止まれなかったのが残念そうだった。

 数週間して彼女は人間達の住む野に着いた。彼らは物珍しそうに遠巻きに彼女のことを見ていた。リルファーはそんなもののためにここまで来たのかと思うと馬鹿らしかった。
「なぜあなたたちは私たちの所に来るのをやめたの? 答えなさい。わたしはレザラクスのリルファー・ラグドザムよ。」
 彼女が大声で話しかけるとぼろを着た子供達は驚いて走って逃げた。彼女はそれを見てふっと笑った。無理もない、彼らから見たら私はきっと怪物なんだもの。答えが分かるまできっと時間がかかりそうね。
 案の定、答えを得るまでには彼らの間で、リルファーが死ぬまでの時間が必要だった。

Lezarakus
chapter 21
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「凍り付いた肌を駆ける者、レザラクス。
 皮膚を引っ掻きその割れ目に潜り込む者、プラックス。
 割れ目の中の暖かさの中で彼は安心して死に、
 また絶対零度の中に産み出される。
 だがプラックスは透明な心を持っているので、
 それを透かして死が見える。
 彼らはそれを待つだけの者。
 それを見るのを拒む者。
 苦しみの分だけ彼らが死から遠ざけられているのを知ろうともしない者
 レザラクスは吹かれるのを待つ、骨の笛。
 プラックスを切り裂くことを望む、髪の毛で出来た刃。」

レザラクス教則 526

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